シンどろろ ⑯

なんだろう。何かを考えていたと思ったが、あまりにいろいろなことがショックで忘れてしまった。

良い考えは実行しなくてもよい考えだろ。占いなんて本当に駄目だな。

 

なんかすごく充実している。

ジャン=ジャック・ルソー - Wikipedia

ジェームズ・ルソー - Wikipedia

この人のことらしい。

超二枚目。

海がきれいだ。

さて、

デリダ派哲学者として知られる東浩紀は、新しい政治構想として、解釈が難しく全体主義の一つの起源とまでされた一般意志を、ジークムント・フロイトの無意識論における集合的無意識と結びつけるという思想史的に見て非常に特異な解釈を示し

ジャン=ジャック・ルソー - Wikipedia

これは本当に「特異」だろうか?
ひとつの考えとして、共和主義の現象学的な解釈である。

フッサールは、『論理学』において現象学を記述心理学と位置づけて、あらゆる前提を取り払った純粋記述として、自我の心理作用を記述しようとした。

エトムント・フッサール - Wikipedia

共和主義者の主張していた人間を原器として現れる「善」の達成が、「意識」と「志向性」で表現されるようになったのではないのか。つまり、ルソーは古典的共和主義者(であるから、王制と共和主義が矛盾すると考えない。)であるが、現象学でいうところの、近代的「イデア」(論理)主義の嚆矢と言えるだろうか(その点で、数学論争を繰り広げた—それ自体は幾何的世界観と代数に依存したせいか、ウィリスと異なり超越数を理解できなかったホッブスの完全な誤りであるが。だからこそ、超越を指向しない—ホッブスの論理に見られる現代性(二重の帰納法)と比較すると興味深い。

また、現象学的還元との関係において、意識体験のうちにふくまれるものを内在(独:Immanenz)、ふくまれないものを超越(独:Transzendenz)と呼び、この対概念によって純粋意識としての志向性の構造をあきらかにしようとした。

現象学 - Wikipedia

岸田國士の「純粋」のアイデアの源泉が見つかったようである。

明治の終わりから大正期に至るとき、19世紀科学革命のバックラッシュとして起こったオカルトブームと、フレーゲらによる数学の革新と対抗的に、論理主義者に「心理主義」と揶揄されたフレーゲらの研究があり、哲学考察へ向かって、現象学からホーリズム、方法論的ホーリズムへ至る過程があったようだ。

ルソーのアイデアは、科学的な方法論を具えた心理学で花開いて、むしろ、教育理論を支えたようだ。彼の共和主義は古典的で(ルソーが行ったのは、おそらく、デカルト的な古典の再解釈である。)、新しい理論とは呼べなかった(デカルトの曲線論は一面で革新的で、ニュートンライプニッツらの微分を準備したと言えるが、あまりに古典的であった。デカルトの業績を考える場合、ルネサンスによる技術進展、特に、建築技術の進展と背景の思想史があまりに無視されている。デカルトは古典に倣って、出発点として、3次元の問題を2次元に投射しようとしたのであり、それは光学的に理解されたのである。そして、その技術を与えたのは、広範な立体図の画法の隆盛であり、一方で、建築設計技術と考えるのが自然である。デカルト座標は、要は、バロック建築における「丁張り」「水遣り」である。)。むしろ、心理学のような新しい理論を共和主義にも必要としたのだ。

この新しい理論を提供したのが、フランス革命であり、日本においては、どうも、現象学と結びつく一方で、社会進化論の影響もあったと思しき、国家主義ホーリズムに至ったようである。ルソーが全体主義の元祖というのは、それなりの紆余曲折がありそうである。

暁烏敏らの仏教革新は、鈴木大拙に顕著にみられたように、世界的な潮流であったオカルティズムとの接近があったし、教育理論におけるルソーの高名さは疑いようがないし(ほかにも様々な理論が唱えられたとはいえ。デューイ、モンテッソーリ、ヘルバルト派のライン、ジャン・ピアジェ、レフ・ヴィゴツキーらと比べても、初等、中等学校教育ならば、ルソーの影響が頭ひとつ飛びぬけていないだろうか。比肩されるのは「20世紀最大の教育学者」と評されるピアジェくらいか。しかし、ピアジェが人口に膾炙した事実を知らない)、政治理論においては、現象学的に、おそらくホーリズムを論じる、ハイデガーとそれを利用したナチスとの関係が考察されるべきであるように思う。

「大正生命主義」という括りは、当時の社会状況を、当時盛んに論じられた理論に光を当てることで、より鮮明にイメージさせることに有用だと思うが、ベルグソンからハイデガーを安易に導いてよいかには慎重な検討が必要であるように思える。

生命主義が、近代国家建設の登竜門であるドイツの歴史法学を咀嚼して日本の社会に反映させた建国神話とやがて合流して日本主義や太陽主義に洗練されて分岐し、また一方で「生活」に焦点を絞ってゆくこととなる過程はそれなりに複雑なようである。

ちなみに、「登竜門」とはこういう意味らしい。

登竜門とは? 意味や由来、使い方・例文を解説! 英語表現も紹介 | マイナビニュース

近代国家建設には、当時の常識では、歴史法学をマスターしないわけにはゆかなかったのではないかと思う(ヨーロッパにおいては、教会との関係で近代国家が成立した経緯がある)。それはアメリカにしても同じだった。