Roxana

より古典的テスト理論(正答率、素点方式、偏差値方式)と比べると、IRTは、試験者が評価項目の信頼性の改善に役に立つ情報を提供し得る、標本(受験者)依存性・テスト依存性にとらわれずに不変的に受験者の能力値とテスト項目の難易度を求められる、という利点がある。

(略)

項目応答理論は、運による要素や評価の相対性といった性質をもつ古典的テスト理論の限界を解消し、受験者の実力をより正確に測ろうとする理論である。項目応答理論では、個々の項目(問題)に対して、正答率や配点では無く、下記のパラメータを用い、受験者の能力を推定する。例えば、識別度が著しく低い問題の正誤は、受験者の能力を決めるのにほとんど影響が無いといったことが起こる。また、同じ正答率・得点を得た受験者同士でも、項目反応理論による能力値は違う結果になることが起こる。

項目応答理論-Wikipedia

これは

  1. 係り受け解析
    文の構造を正しく把握する。読解力の最も基礎となる能力。
    例)順序構造、就中、述語構造
  2. 照応解決
    代名詞が何を指しているかを正しく認識する。
    例)引数理解
  3. 具体例同定(辞書)
    辞書の定義を用いて新しい語彙とその用法を獲得できる。
    例)包含的把握(「である」意味論)
  4. 具体例同定(理数)
    理数的な定義を理解し、その用法を獲得できる。
    例)帰結的把握(「となる」統語論
  5. 同義文判定
    与えられた二文が同義かどうかを正しく判定する。語彙力や論理力が必要。
  6. 推論
    既存の知識と新しく得られた知識から、論理的に判断する。
  7. イメージ同定
    文と非言語情報(図)を正しく対応づける。

https://www.s4e.jp/about-s4e
少し混乱しているときで、このときに、こういうのを目にするとまさに「渡りに船」である。これは英語の読解の指針を決めるのに、実際に、役立つ。

すなわち、何をしていたのだったか。
夏目漱石である。
夏目漱石の『オセロ』の人物評価から『フランシス・ソヴァ―ル』の運、そして、ルネサンス期のプロバブルが「しるし」として現れる時、トマス・ホッブス(1588-1679)の批判者ジョン・ロック(1632-1704)であり、ジローラモ・フラカストロ(1478-1553)であった。すなわち、二段階の理解の登場である、、、はずであるが、実のところ、それは伝統的な理解の仕方の変奏であった。
すなわち、アリストテレスであり、ガザ―リーである。
アリストテレス、すなわち、プラトンにおいて、1は数でなかった。したがって、数は「多」であった。このとき、「最初の奇数は3」であった。
1という単位を参照して構成される数は「多」であり(テーゼ「1と数は対立する」)、数は「偶数」と「奇数」に分類される。このとき、偶数は”even”、奇数は”odd”であるが、これは「本質的」か「偶有的」かと言われると、「白い」と同じように「偶有的」であるが、何かしらの価値を表しているのではない。
数学史上に於いて、このアイデアを覆したのが、ルネサンスの先駆けとなった、スティブンであり、1を数と宣言した。「宣言した」ことが鍵であり、数は「自然の「公書」に書かれた「しるし」」としての表示に過ぎないからだ。この点において、確かに「アリストテレス的」であっても、プラトン的ではない。自然は参照すべき〈鏡〉であり(〈芽〉ではなく)、弁証主義ではなく、文献主義を採る。
しかし、もとより、ガザ―リー(1058-1111)が、これら哲学者たちを批判していた。
ガザ―リーは、哲学者ではなく、神学者が正しいことを証明した。その過程において、詳細に人間の持つ能力を分析し、その発現の成り行きを明らかにした。

それを踏まえたうえで、2文を比較しなければならない。

  1. I know the least of my demerits merit this miserable death ;
    but wilfull striuing against knowne truth exceedeth all the terrors of my soule. 
  2. It cannot be but he was murdered here ; 
    The least of all these signs were probable.

このとき、1を書いたのはジョージ・ピール(1556-1596)であり、2はシェークスピア(1564-1616;『ヘンリー6世』)であるが、1の”know”に関してはシェークスピア(『ロクリーン』)、同じく1の”merit”に関してはリチャード・ハクライト(1553–1616)を参照していた。2に関してはもとよりシモン・スティブン(1548-1620)である。
そして、普遍概念の階級化に関して、オッカム村のウィリアム(William of Ockham,1285-1347)の怒りに触れたのである。

小谷野先生の小谷野先生の

大抵のイズムとか主義とかいうものは無数の事実を几帳面きちょうめんな男がたばにして頭の抽出ひきだしへ入れやすいようにこしらえてくれたものである。一纏ひとまとめにきちりと片付いている代りには、出すのが臆劫おっくうになったり、ほどくのに手数がかかったりするので、いざという場合には間に合わない事が多い。大抵のイズムはこの点において、実生活上の行為を直接に支配するために作られたる指南車しなんしゃというよりは、吾人ごじんの知識欲を充たすための統一函である。文章ではなくって字引である。
 同時に多くのイズムは、零砕れいさいの類例が、比較的緻密ちみつな頭脳に濾過ろかされて凝結ぎょうけつした時に取る一種の形である。形といわんよりはむしろ輪廓りんかくである。中味なかみのないものである。中味を棄てて輪廓だけをたたみ込むのは、天保てんぽうせんを脊負う代りに紙幣をふところにすると同じく小さな人間として軽便けいべんだからである。
 この意味においてイズムは会社の決算報告に比較すべきものである。更に生徒の学年成績に匹敵ひってきすべきものである。わずか一行の数字の裏面りめんに、僅か二位の得点の背景に殆どありのままには繰返しがたき、多くの時と事と人間と、その人間の努力と悲喜と成敗せいはいとがひそんでいる。

 

イズムの功過 夏目漱石 | 青空文庫

面白いのは、漱石が、「決算報告」と言っていることで、「公理的確率論」の祖がゴットフリート・ライプニッツ(1646-1716)であるとみなすとき、彼の数学は彼の法学者のキャリア(債務論。アリストテレス倫理学の伝統でもある。)に拠っていた。なにしろ、ライプニッツの数学の師が、変わった人だったからであるらしい(これは史料から明らかである)。ここらへんは、インドのシュリニヴァーサ・ラマヌジャンがまずは地元数学教師の教えと地元で唯一手に入れられる教科書に拠る実用的な「初等数学」から始めたのに近いのだろうか(ジョージ・カーという数学教師が著した『純粋数学要覧』。これは「受験数学」の公式集だったらしい—要は、体の好いアンチョコである。つまり、数学史上を見渡しても、もはや神話的なバースカラ2世しか匹敵する能力を発見できない、オイラーガウスさえその後塵を拝するとも言われるこの奇跡的な天才は、いまではろくに評価されない「覚える数学」からその才能を開花させたのだ。遊びの天才でもあった逸話が残っているので、数に関するセンスや計算に関しては知らないが、もとより高校での学力は高くなかったらしい)。最初から「高等」だったわけではないのが同じである。
ライプニッツは、早熟な才能を大学ではアリストテレスユークリッドに捧げ、専門的には『ユスティアヌス法典』に則る論文を著す法学者であり、その師エアハルト・ヴァイケルの影響から法学者的数学者だったのだ。この奇妙な経歴が彼を驚くような数学者にしたようだ。機も熟していた。

これらを前にしていたライプニッツは、はやくも二人の教師からすばらしいヒントを引き出していたようだ。哲学のヤーコプ・トマジウスからは幾何学と精神の関係と「モナド」の意味を、数学のエアハルト・ヴァイケルからは哲学と科学の和解の方法とその和解のための論証の方法を――。  

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知識を70年支配したとも言われるフランス人デカルト(1596-1650)との対比においては、やはりガザ―リーの影響であって、古典的アリストテレシャンであり、ユニテリアンでドイツ人のライプニッツと、イタリアに始まったルネサンスの影響を受けたフランス人のデカルト、すなわちこの修正アリストテレシャンとの対比である。つまり、ライプニッツモナドは、突拍子もない独創などではなく、プラトンの「1」そのものである。1は数ではなく、数は「多」だったのであり、それを覆したのがイギリス人である;ただし、エウドクソス=アルキメデス系とデモクレイトス系の議論には注意を要する。ライプニッツの極限概念はアイザック・ニュートン(1642-1727)と異なり、デモクレイトス系に属するものである。PP.18-19極限概念『数学100の発見』。ドイツ人は田舎者だったのである。

※『カッツ数学の歴史』だったかもっとデカルトの業績に絞った或る「数学辞典」だったか、その文言が「支配」だったか、その年数が50年だったか70年だったか、などがうろ覚えである。

案外、西田幾多郎なんかよりも、漱石の方がセンスがあったのかもしれない。いきなり「カント」は鬼門なのであった。なにしろ、ドイツ人である。

さて、このモナドライプニッツによれば全知全能の神の手から作られ、世界のありとあらゆる物質に宿っているらしいのです。 これが仕事してくれて、世界を最善のものにしている(予定調和)─そう彼は考えていました。

 ライプニッツの生涯と哲学・思想の解説。人生や性格が分かる面白いエピソード・逸話を紹介

世の中って面白いなと思うのは、こういうときで、小躍りしたくなるのだが、全然異なる経路をたどって本来全く矛盾しているはずの、いままでの説明とこの方の説明が、なぜか、カントで合流するという。
ここで思い出したいのは、ガザーリーは、哲学者の知識が間違っていると批判したかどうかである。哲学者の知見に半ば、、同意しつつも、矛盾していると批判したのは、神学的理由であった。結果としてなかなかよいことも言っているが、根本原因の導引を間違えているため、矛盾しているという話である。ガウスの第七証明(平方剰余の相互法則)もおどろく第十証明まである。
私の思うところでは、カント(以降の哲学者)は、ルネサンスで屈したイスラム神学の記憶を消す作業にまい進しただけである。そのために一方で善の器を「社会」を(「社会進化論」で)準備したのはイギリス人だったが、近代的な全体主義を準備したのはおそらくドイツ人である。「器」が鍵で、それはガザ―リーが論駁した、神の「内在」のことである。
ドイツ人はルネサンス以前に戻ったのか?
これは微妙で、私の思うところでは、ヘーゲルはそうだが、カントは違う。
(ちなみに、ルソーは、知の覇者デカルトの明証主義の直系であるが、彼も近代主義者であった。すなわち、「神を不問に付して「内在」を社会に期待した」のであり、全体主義を準備した一人である。彼の「明証」は「婚姻」が「棄児抑制の具体的手段」だったことである。デカルトは完全にキリスト教徒であったが、異教的だったのであり、ルソーは本来的にはキリスト教徒であるがそう謂うわけにはいかなかっただけである。近代主義者として「キリスト教的なドグマ」をカトリックに対抗して信奉していることに違いはない。これがフランスの社会文脈であり、リアリズムなのだろう。日本には関係がない。別に「近代主義者」を貶める意図はなく、それが「前期」と理解されるのは、戦後の反省に於いてであると思うだけである。実証主義が挫折した理由を考えるのに、文学的意図はない。法学的、政治学的意図がある。私は、ジャン=ジャック・ルソー上杉慎吉と同様に評価するのにやぶさかではない。今では通用しないという点が同じである。少なくとも、完全な観念において、完全な「男女平等」を主張できた上杉の方が多少頭が良かったと思うくらいである。ただし、これはルソーが流行思想に左右されたのが大きかったと思う。彼の先達が誰かであるが、解析主義の萌芽がそれであると思う。ルソーはデカルト主義者であるが、デカルトもずいぶん批判されたのであった。彼の幾何的世界が「解析的」な人権思想で彩られてしまって幾何的な彼の主張の本質を見失うのであるが、上杉は傍から見ていたので、「人権」とは言わないのであった。正直だったのである。これを克服できたのは、あくまでも、戦後である。「戦後の反省」ととは、本当は、こういうことなのだった。しかし、日本では、「戦後」が長らく続いてしまったのであった)
カントは「神」を不問に付したのであり、これがどうも、ヴィトゲンシュタインへ流れる(だから、多くを引き出した師であったはずのラッセル卿とヴィトゲンシュタインの確執は、ニュートンライプニッツと同様かそれ以上に、根深い。不思議なことに、ヴィトゲンシュタインも学力は芳しくなかった)。「神」こそが「主体」であり、その後、ドイツ実証主義は、主体の内部で「多」なる「主語」による全体主義を準備することとなった(だから、ごく自然な事実として、マルクス主義は—シンプルに—全体主義である)。
それを戦後、反省したのもイギリス人で、主体を復活した。アメリカ人はもっと単純だったからである。


小谷野さんへの、学問に対する、思想に対する、概念に対する違和感が、多少ご理解いただけると、ありがたく思います。

60年代生まれまでは仕方がないと思う。
まぁ、戦前のやり直しが酷かったからね。環境がまともじゃない。
それが本当に「終わった」のは、ソ連の経済敗戦、ソ連の政治敗戦、ロシアの軍事敗北と、終戦時からさらに80年も要したのだから。その渦中にあった60年以降しばらくは、仕方がない。
日本の場合、この期に及んで、不幸にも、安部元首相の殺人事件で混乱してしまったが。ハートから素直に始めて、ギリガンを理解すべきです。
道徳は道徳として、社会に必須なだけですから。

ネットは社会を変えたと思う。「IT革命」はあったね。
それは演繹革命ではなく、帰納革命だったというだけ。実存ではなくね。

「戦後」のサブカルでさえ、遠い「過去」へ追い遣った。

この善意の人の発言が支離滅裂—つまり、科学を理解していないのは、仕方がないと思う。自分の拠って立つ世界観に無自覚だから。

そういうポジションでは「無理」なんだよ。
だから、一生懸命、固有の、すなわち至高の〈私〉から、反例を挙げようと努力するのだけれど。無駄だね。

だから、騒ぐ。デモンストレーションだから。
どれだけ福祉を害しているか、区別がつかないんだよ。区別する方法論を持たないから。だから、たまにヒットすると喜ぶのだけれど、そりゃもちろん、間違った前提が間違った帰結を保証しているのではないから。科学的でない、とは、こういう「当たるも八卦、当たらずも八卦」なんだよ。それ自体が福祉を害している。個人の自由ではあるけれど。

要は、古典的試験観すなわち権威の保障する試験観に立って、科学的試験観を批判しているだけなんだ。その自覚がない、そもそも。RISを理解していないから。
だから、「資本主義」という外在的な理由を補助線に引くわけ。
それは「わかっていない」ということのサインなんだよ。ルソーの婚姻政策(棄児抑制)と本質的に変わりがないね。