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要は、シェークスピアの『オセロ』(1602年)とデカルトの『方法序説』(1637年)は、双璧と理解してよい。
そういう時代だったのだ。
若干、イギリス人の方が大陸人より早く、大陸人の方が整理されているというね。
ここらへんはラッセルとヴィトゲンシュタインの関係を彷彿とさせる。
なるほどねぇ。
『デカルト頌』とアカデミー・フランセーズ
デカルトを文学的に考える効用とは何か。
- 学校で教わることはどれも役に立たない
- 感覚は私たちを欺く
- 明晰判明でなければ決して真ではない
- 方法の規則は少ししかない
- 神はやろうとすれば3+2=4にできる
- 「私は考える、だから私は在る」というのは大発見である
- 人間の魂は、自分に対して透き通るように立ち現れてくる純粋な思考のことだ
- 人間の精神は、思考するのに身体を必要としない
- 人間の精神は、独り観念を介さなければ何も認識しない
- 人間の意志は無限である
- 人間は、自然の主人にして所有者になるべきだ
- 物質は延長に他ならない、すなわち空間である
- 自然学に経験や実験は不要である
- 人体は、純然たる機械である
- 私たちの魂は、身体を動かすための力を持っている
- 私たちは動物に何をしたって構わない
- 理性は、情動なしで済ませられる
- 私たちの実践上の判断はどれも不確実だ
- 完璧な道徳は手に入らない
- 高邁とは、自由の情念のことだ
以上二十一個の言説は、多かれ少なかれ、デカルト哲学に触れたことのある者であればどこかで――哲学の専門書や入門書、はたまた中等教育課程の「倫理」分野の教科書等でも――目にする機会のある、馴染み深いものであるだろう。しかしそのいずれについても、決して「デカルトはそんなこと言ってない」のだ!
TARB書評: ドゥニ・カンブシュネル『デカルトはそんなこと言ってない』 | Tokyo Academic Review of Books
ここで謂われているのは、「デカルト」の定式化の否定であり、修辞的に見るとそうではないという、デカルト「古文辞」再考である。
要は、デカルトの文脈では(必ずしも)そう言ってはいない、ということであり、この括弧書き(必ずしも)が、定式化を拒んでいるのだ。
例えば、第5項目について、
なぜか。ここで「神は3+2=5以外にすることができる」と〈神は3+2=4にできる〉との違いを言葉遊びの次元のものとみなすことはできない。
「言葉遊び」でなければ何か。
直感的には、(これは反対からの説明になるが、)論理包含が近いかもしれない。
P が偽ならば、Q の真偽にかかわらず「P ならば Q」が真である (en:Vacuous truth)、という定義は直感的に受け入れ難く、しばしば哲学的な議論の主題となる。以下、いくつかの例とそれについての議論を示す。
書評者は、かいつまんで言うと、考えても仕方がないことは考えないー「考えても仕方がない」ことを考えるのみである—、ということであり、後者はその、考えても仕方がないことを考えていると指摘していると思う。この「」の差である。
デカルトは、(それを)括弧に入れてしまおう、と言っているというのだ。
それは論理において、真の前提を正しく演繹すれば真の帰結が得られる、ことに、デカルトの「明晰さ」が近づくと思える。
第8項目については、所謂「心身二元論」のことだが、私は、デカルトは実在論に立っているので、(後年、脳に関する言及があるが、あくまで神の表現としての実在的立場であり、現代的なニュアンスで)科学的にそれらを分離することはなかったと思う(新たな知見と古い観念が不分明、乃至古い観念で新しい知見を説明する程度。新しさを認めつつも、あくまで中世乃至近世的である)。
そもそも、アリストテレス主義であることと、新プラトン主義であることは、ニュアンスが異なる。
現代の私たちニは、「我思うゆえに我あり」と「人間は考える葦である」の違いがよくわからなくなっていると思う。
第5項目に即して言うならば、パスカルこそ、後者の立場に近いような気がする。にもかからわず、パスカルのデカルト批判は、デカルトこそ後者であると言っているように思える。
ルター(とオッカム)を間に入れるとよいと思うが(オッカムも誤解されやすい一人である。ルターは、オッカムの学統に属していて、オッカムが先鞭をつけた意味と形式の区別に教義上の解決を見出して、イエスの存在によって意味の問題は「終わった」ので、考える必要がない—従うのみ—としたのであると思う。意味の解釈が不要なので、聖書:形式に従うのみとなる。それゆえ自由意志も不要である。)、パスカルも(ルター同様)人間は導かれる存在であると言っており、デカルトは人間は導かれて(=与えられて)すでにあると言っている。
だから、デカルトは与えられたものを活用して「明晰に」考えればよい、活用しないとダメだよ、となり、パスカルは、活用しないとダメなんだから、「明晰に」考えればよい、なんておこがましいとなる。
要は、正当性ではなく、正統性を巡る話であるが、ルターは聖書をどう考えたかを考えると、聖書は正しく「与えられる」のだから正しく「読めばよい」と考えるとき、「与えられる」こと(の恩寵)に着目するか、(与えられているので)「読めばよい」に着目するかで、ニュアンスに違いが出るということである。
そこで、ルターを批判するツヴィングリの立場が出てくる。その読み方はおかしいんじゃないの(共在説批判)?である。
[比較参照]中世のユダヤ人の場合
マイモニデスには、二つの相対する権威が見られる。一方ではトーラーと口伝があり、それに対するものとして、アリストテレスの著作である。これはまったく異なる二つの人間の完成に関する対立でもあった。一方は、敬虔主義であり、戒律の実践で達成できる完成、他方は知性に基づいた人間の完成、すなわち科学や知識を通じて達成されるものである。
これかな。
イスラームの教義を脅かすアリストテレス主義を論駁するために執筆された本書は,アリストテレス哲学への第一級の入門書として受容された.ヨーロッパ中世においても基本文献とされた古典中の古典.
実は、3部作らしい。「哲学者の意図」「哲学者の自滅(矛盾)」「宗教諸学の再興」
著者は、アブー・ハーミド・ムハンマド・ブン・ムハンマド・ガザーリー(1058-1111)で、懐疑論を乗り越えた神学者。
荒野の狼
ベスト500レビュアー
★★★☆☆ ガザーリーの思想を知るには本文は不向きだが、訳者の解説は優れている
2013年5月28日に日本でレビュー済み
Amazonで購入 “精緻な論理的整合性にもとづいて思考する数学者は、宗教にも同じ厳密さを求め、その結果宗教を否定するようになる。他方無知な宗教者は、イスラームがこのような学を否認することによって守られると考え、その明証性を受け入れることをしない。ガザーリーが意図しているのは、理性が正しいとするものの積極的な肯定であり、同時に理性がよしとするもので真理のすべてが尽くされないという主張である”p351
“すべてを理性の求める厳密な因果関係で解釈、説明する哲学者の思想は、理性を超えるもの、不可知のものにたいして自らを閉ざす思想に他ならない”p353
“ガザーリーの強烈な自己追求が、それまで牢固としてそそり立っていた法学者とスーフィーたちの対立の壁をものの見事に打ち破り、老朽化した既存の知的パラダイムの変革を引き起こした”p354
「哲学者の自滅(矛盾)」
ほかにも。
指向性(intention)は新プラトン主義の「ト・ヘン」から導かれたか。
『崇高論』とは何か。
後述するように『崇高論』は,ルネサンス期に至るまで,古典古代,中世の書物においては一切言及されておらず,ルネサンスにおいて人文主義が隆盛する過程で,突如世に現れた 書物であったが,出現するやいなやアリストテレスの『詩学』に並ぶ重要な文芸理論書とし て取り上げられるようになった。これは,1548 年にアリストテレスの『詩学』をフィレンツェ において刊行し,好評を博したイタリアの人文主義者,フランチェスコ・ロボルテッロ(1516 ~ 1567)が,1554 年に『崇高論』のギリシア語の刊本を刊行したことによるものである(6) 。
P.31(3),玉田 敦子 (Atsuko Tamada) - ロンギノス『崇高論』再読ー初期ストア派の思想をめぐって - 論文 - researchmap
シェークスピア前史(☟)
アヴィセンナ論理学はイスラーム世界の論理学における主導的な体系としての地位をアリストテレス論理学から奪い[43]、さらにアルベルトゥス・マグヌスのような中世西欧の著述家に甚大な影響を与えた[44]
[43]
Influence of Arabic and Islamic Philosophy on the Latin West (Stanford Encyclopedia of Philosophy)
[44]
Richard F. Washell (1973), "Logic, Language, and Albert the Great",
イブン・スィーナーの概念のひとつは西欧の論理学者オッカムのウィリアムに特に重大な影響を及ぼした。
論理学の歴史-Wikipedia
そこでオッカムは「質量的な」推断と「形式的な」推断とを区別しているが、これは大まかに言ってそれぞれ現代の論理包含と論理的示唆と同等である。
論理学の歴史-Wikipedia
赤字強調は引用者。
さて、ここで(シェークスピアの世界に戻って)着目すべきは、イスラーム世界からの影響である。
ルターの前にオッカムが居り、オッカムの前にイブン・スィーナーが居たのである。
そして、それは、アリストテレス論理学を凌駕したらしい。
☞シェークスピア前史を紐解くと、
この点で,おなじ言語統制機関とは言っても,クルスカ・アカデミーとアガデミー・フランセーズとは,その理念において大きなちがいをもつ。後者が,その出発点において,言語規範とみなしたのは,宮廷の会話と同時代のすぐれた作家たちであった。
「15世紀末からのフィレンツェの急速な政治的,文化的衰退」(P.20)にも関わらず、ヴェネチアのピエストロ・ベンボに『俗語について』(1525年)を書かせた。
「ヴェネツィア出版界の中心であったアルド書店は,当初,ギリシャ語,ラテン語古典の刊行に従事 していたが,しだいに俗語作品の出版にまで手を広げるようになる。」(P.21)
さて、
一六世紀後半のイングランドでは、国際舞台 における影響力や交易網の拡大にともない、近代諸語、とりわけイタリア語 とフランス語の有用性が増大し、ラテン語の優位の座を脅かしつつあった。 エリザベス朝は、ルネサンス精神が中産階級にまで浸透していった時代であ る。それは勃興しつつある階級であった。自らのジェントリ化をはかろうと する市民階層は、大陸の先進文化を吸収し、生まれではなく教育によって道 を切り開こうとしていた。彼らにとって、人文主義的情熱は、社会的成功と いう野心と結びついていた。翻訳はイングランドにルネサンス文化を伝播す る主要な手段の一つであり、カスティリオーネ、デッラ・カーサ、グアッツォ の作法書もこの時代に次々に英訳されたが(注 10) 、これらの書物は、人格陶冶 の書であるとともに、紳士指南の手引書としての実用性も備えていた。とり わけ『宮廷人』は、翻訳をつうじてヨーロッパで広く流通し、洗練が教育によっ て培われるという理念を提示することによって、教養人であることを重要な 資質とするイングランドの紳士像の形成に貢献することになる。
P.14,フローリオとシェイクスピア ,正岡和恵
また
おりし も一六世紀後半は、大陸での宗教迫害が激化した時代にあたり、フランスか らはユグノーが、フランドルからはアルバ公の弾圧を逃れた人々がプロテス タント宗教難民として流入し、ロンドンに国際的な多様性をもたらしていた。
P.15,同上
要は、シェークスピアは、先進国のイタリアっぽかったようだ。