One who loves the truth and you,and will tell the truth in spite of you.-Anonymous                    武者小路実篤16

 

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(p.187,第4章第1場,夏目漱石先生評釈Othello - 国立国会図書館デジタルコレクション

野上豊一郎による『夏目漱石先生評釈Othello』では、漱石は、クライマックスの第5章の前段(第1場)を「愛」に関して、後段(第2場)を「正義」に関して読み取ったようだ。

興味深いのは、一種の「デウス・エクス・マキナ機械仕掛けの神)」の指摘とも受け取れる批判があったことだ。

デウス・エクス・マキナ - Wikipedia

(p.253,第5章第2場,夏目漱石先生評釈Othello - 国立国会図書館デジタルコレクション)

古代ギリシアの時点で既にこの手法は批判されている。アリストテレスの『詩学』において、デウス・エクス・マキナは褒められた解決方法ではない、とされている。アリストテレスは、演劇の物語の筋はあくまで必然性を伴った因果関係に基づいて導き出されていくべきであるとし、行き詰った物語を前触れもなく突然解決に導いてしまうこのような手法を批判している。

デウス・エクス・マキナ - Wikipedia

これ以前に登場人物の死については言及しているので、「うまくついている」との評価となったのか?

それはよいとして。
ところが、むしろ漱石の関心は、第4章第1場でクライマックスを迎えたらしい。
漱石解釈における、『オセロ』の2大問題とも言うべき、

  1. 真の悪☟
  2. 嫉妬

嫉妬である。
『オセロ』は『二コマコス倫理学』を下敷きに(『ニコマコス倫理学』は『イーリアス』を踏まえている。)当時の世界状況と社会関係を反映させてリアリティーを持たせた作品であると思っているが、ここでdomain(ドメインがやはり問題となる。
アリストテレスの『ニコマコス倫理学』と、シェークスピアの『二コマコス倫理学』の翻案と漱石の『オセロ』の解釈間に、domain上の違いが出てくる。

(p.243,第5章第2場,夏目漱石先生評釈Othello - 国立国会図書館デジタルコレクション)
例えば、ここで"appetite"と「欲望」に関する『二コマコス倫理学』の頻出語彙が出てくるが、どう理解すべきか。迷う。

今までは、アーシェ間で言えば、「アマグリブ商人」であったり、「カウサ理論」乃至ギリシャの世界観と「聖書」の違いを候補に挙げてきたが、例えば、「男の話」の話だったものが、「男女の話」に拡張されていることも挙げられる。これはシェークスピアが元話を翻案する際の改変であった。ここに、love you/love theeの交錯が絡んでくる。loveが(より)曖昧模糊としてくるのだ。漱石が"love=like"と訳す箇所がある。これは"love""like"の概念上の差がないとできない。即断はできないが、同じ内容の別の言い方程度の解釈だろうか?
そのような漱石の解釈は「近代的」と言えるのか、おそらく私たちが「近代的」と捉えるのが武者小路実篤以降の(前期近代主義に依拠する面でも、文化的な面でも、特殊な)解釈だからだ。

 

それと関係があるかわからないが、漱石は、キャシオー、ビアンカの関係をオセロ、デズデモーナの関係とパラレルと評価して、賞賛している。嫉妬するビアンカと嫉妬するオセロである。漱石の関心の高さがうかがえる。

 



(p.255,第5章第2場,夏目漱石先生評釈Othello - 国立国会図書館デジタルコレクション)

どういう場面か。

Othello Act 5 Scene 2 対訳『オセロ』第五幕 第二場

振り返ってみると、foolには性的なニュアンスも含む場合が在り、foulには差別的なニュアンスを含む場合もあった。
すなわち、縦軸は善(正統性)を美的価値として、横軸には正義(正当性)を実践的的価値として置いているが、「真善美」と言うには、倒錯している。この「実践的」とは、知的であると同時に計算高さであって、『ニコマコス倫理学』でのtought(思考)とreason(理性)の違いと対比され得る。

そうすると、

(p.67,第2章第1場,夏目漱石先生評釈Othello - 国立国会図書館デジタルコレクション)

このevenは、文法(表現)上のevenなのか、『ニコマコス倫理学』における「平均」のことなのか、悩ましい。なぜなら、これがなぜ「logicalなwitである」のかよくわからなくなるからだ。

www.english-speaking.jp

倒錯的な「ロジック」であるように思う。だから「失当」なのではなく、それが味噌だろうと思う。シェークスピアはそれがいいたいのだと思うのだ。
すなわち、この場面では、次々に「倒錯」を並べる。

(p.69,第2章第1場,夏目漱石先生評釈Othello - 国立国会図書館デジタルコレクション)

"prank"の訳出問題である。これに性的なニュアンスがあると解釈すると、縦軸と横軸が「倒錯」してくる。
次の、heavyは、デスデモーナからイアーゴーに向けてのセリフである。誰が本当に「ばか」なのか?

(p.69,第2章第1場,夏目漱石先生評釈Othello - 国立国会図書館デジタルコレクション)
これは漱石の訳の方があやしくて、

DESDEMONA
O heavy ignorance! thou praisest the worst best. But what praise couldst thou bestow 145on a deserving woman indeed, one that, in the authority of her merit, did justly put on the vouch of very malice itself?


デズデモーナ
なんと愚かな。最低のものを最高にたたえるなんて。それじゃ、本当に価値ある女性をどんな言葉で讃えますか、自分自身の美徳の力で悪意をも味方につけてしまう女性を。

put on the vouch of very malice itself 「悪意をはさむ者にさえ有利な証言を強いる」"put on"= impel. "vouch"= favourable testimony./ one who, authorised by her merit, did reasonably encourage (others to give) the testimony of malice itsself: i.e. one who, sure of her own merit, did not fear the worst that could be said against her / "put on the vouch" compel the favorable testimony.

Othello Act 2 Scene 1 対訳『オセロ』第二幕 第一場

やはり、「倒錯」の場面だ。

(p.69,第2章第1場,夏目漱石先生評釈Othello - 国立国会図書館デジタルコレクション)

(p.69,第2章第1場,夏目漱石先生評釈Othello - 国立国会図書館デジタルコレクション)

(p.69,第2章第1場,夏目漱石先生評釈Othello - 国立国会図書館デジタルコレクション)

また、ハンカチが実在の「顕現性」という意味での「証拠」と考えるとシャーロック・ホームズ的「証拠」と区別して考える必要もある。

『オセロ』は1602年、デカルトの曲線論の前書きで在る『方法序説』が1637年である

イアーゴーとの対比になって、内面と外面を使い分けられていないのであった。

決闘の対象となりうるのは貴族や自由人に限られていた

決闘裁判 - Wikipedia

「神は正しい者に味方する」裁判としては12世紀までに最盛期を迎え、13世紀に禁止されたが、「名誉のための決闘」は残った。
漱石は、復讐劇の趣を指摘したが(『ハムレット』もそうであるが、実際、当時の流行であったらしい。)、むしろ「決闘(裁判)劇」とでも読んだ方がよいのかもしれない。そういった意味で『ヴェニスの商人』(1594-1597)と並ぶのであった

シェークスピアは意外に、アリストテレスデカルトを繋いでいたのであった(かもいしれない)。

クレモニーニ、アリストテレス主義、ティコ - オシテオサレテ
チェーザレクレモニーニ(哲学者)

イタリア人のクレモニーニはフランス人のゲス・ド・バルザックに尊敬されていた。

デカルトは、ゲス・ド・バルザックの(レトリックの)影響が注目されるが、

KAKEN — 研究課題をさがす | デカルトとレトリック (KAKENHI-PROJECT-04J01623)
ジャン=ルイ・ゲス・ド・バルザック

シェークスピアが、全ヨーロッパに広がる一潮流を作ったことが見逃されていないだろうか。

Q87: 英語にとって、シェークスピアとはどんな存在でしょうか? - ジャパンタイムズ出版 BOOKCLUB

自国言語による表現への渇望である。デカルトは最初のフランス語の哲学者であった。
少し前には、ドイツ語を作ったルターが居たが、影響はどちらが大きかったか。
シェークスピアが、アリストテレスデカルトを繋いだかどうかはわからない。
シェークスピアは、チャールズ・ドジソン(ルイス・キャロル)と並んで、ロジシャンとしての名誉を戴いていないのだ。

ハッキリさせたい!『頂く』と『戴く』の意味の違いと使い分け - Churio!

 


前回の論文著者にしても、隋の「天」と日本古来の「天(あま)」に違いを認めているが、『隋書』に書かれていることが本質的である。
仏教受容がそもそもそういう問題で、不思議なのは、インド発祥の仏教が、正反対の中国東北部から「再輸入」されたことだ。隋の楊堅鮮卑出身とも言われている。
ここに、匈奴が係ってくる。文字を持たない彼らが言った「天」とは何だったか。
そして、外交とは基本的に「暴力」であり、だからこそ、言葉の扱いに関してドメインが問題となってくる。暴力の機微に疎いと、わけのわからない解釈に平然としてしまう(正当な学統に就いて一生懸命勉強している割に、一部の歴史学の奇妙さがある。乏しい文献の間を—それは仕方がないにせよ—自己解釈で埋めるからだ。或いは、別の科学を信奉する態度に欠け、物語になっている)。
匈奴は漢を見下していたが、「対等」な言葉を使ったのであり、倭と隋に国力の差があったとしても「対等」な言葉を使うこともあったのだ。暴力とはそのようなものである。そもそも、負ける恐れがないのに、恐れる必要はないが、恐れるとしたらいつでも統治に関してであって、それについては相当慎重でなければならない。王朝(の支配)が滅びるからである。単純な勝ち負けではなく、状況に応じて、帰納的(アドホック)な側面がどうしても付随する。高度な政治の場面においてすら、「場当たり的」というのは、決して判断の劣ることではなかったのだ。科学的推測など本当にごく最近の話である。たった「今」においてすら、戦争を一様に判断する習慣を私たちの文明は持っていないそもそも古代は近代的ですらない

それを「隋から解釈した」ものを解釈するのだ。


☞検討

実は、漱石の「真の悪」理解には不思議なところがあって、

ジキル&ハイド - Wikipedia
ジキル博士とハイド氏 - Wikipedia

への言及がないことである。どこかで別途、言及しているのだろうか?

P.138,明治29年(1896年)輓近の倫理学書 - 国立国会図書館デジタルコレクション

明治23年(1890年)に帰国し、第一高等学校講師を経て明治25年(1892年)、帝国大学文科大学教授に就任。「心理学倫理学論理学」の第二講座(倫理学)を担当した

中島力造 - Wikipedia

漱石は文科大学英文科に在学中であった。

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