One who loves the truth and you,and will tell the truth in spite of you.-Anonymous                    武者小路実篤7

 

markovproperty.hatenadiary.com

(P3,夏目漱石先生評釈Othello - 国立国会図書館デジタルコレクション

さて、夏目漱石の講義である。

「鼻毛を伸ばしてべいろしやになっている」とは何語なのだろうか?

One Michael Cassio, a Florentine,
A fellow almost damn'd in a fair wife;

 

マイケル・キャシオというフローレンス生まれのやつで、
美人の女房をもらって尻に敷かれる類の野郎だ、

A fellow almost damn'd in a fair wife 「きれいな奥さんを貰ってひどいめに会っている奴」これを後にでてくる Bianca とすることには問題があろう。Othello の元になっている Cinthio の novella では Cassio に当たる人物は結婚していることになっている。普通は "bless'd" (「めぐまれている」)と言うところを "damn'd" と言ったところに Iago の cynicism がある。

Othello Act 1 Scene 1 対訳『オセロ』第一幕 第一場

漱石の説明したmistress(愛人)が、Bianca(ビアンカ;愛人の名で、「白」仏語なら「モンブラン」のBlancだろう)。

Come, and take choice of all my library,
And so beguile thy sorrow, till the heavens
Reveal the damn’d contriver of this deed.
―Titus Andronicus, 4.1.34-36
(おれの蔵書からどれでも選んで
悲しみをまぎらせるがいい、そのうちに
神々がおまえをこんなめに会わせた悪党を示してくださろう)

http://spear3com.web.fc2.com/shakespeare_current.html

damn’dで検索したらヒットした。
シェークスピアの1590年前後の『タイタロス・アンドロニカス』ということである。
『オセロ』の10年前だ。
cynicismというのは無理がないだろうか。
そこで、「フローレンス」で検索すると、

フィレンツェ - Wikipedia

この金融都市のことなのだ。イタリアである。そして、

カトリーヌ・ド・メディシス - Wikipedia

である。カトリーヌ・ド・メディシスはフランスから酷評されていたらしい。当時はイタリアが先進国でフランスは文化的に遅れていたのだ。じゃあなぜ、小ばかにして嫌ったかというと、田舎者とはそういうものなのだ。
これはどうもイアーゴーの出自について言っているか?実は『オセロ』の中でシェークスピアは「嘘」をついて、オスマン帝国に勝ったとリップサービスしているので、

世界史の窓—世界史用語解説 授業と学習のヒント—オスマン帝国

そういう類かもしれず、あながち、漱石の言うように、「事実と違っていても差し支えなし」なのかもしれない。

ヴェネツィア - Wikipedia

ヴェニス社会と人種 —『オセロー』 における時代背景と諸問題—/宇治 瑞季

ヴェニス」とはどのような街だったのか。

11~12世紀の地中海においてイスラム圏と欧州をつなぐ二つの商業集団がいました。一つは北アフリカイスラム圏を拠点とするユダヤ商人を中心としたマグリブの商人です。彼らは、身内からなる内集団を組織することで、鉄の結束を築き、拡大していきました。マグリブの商人にとって「自分の良い評判を保つこと」は、内集団のなかに居続けるために何より重要でした。なぜなら一度でも仲間を裏切り悪評がたてば、その経済圏でビジネスを続けることが困難になるためです。そしてもう一つはキリスト教圏、現在のイタリア北西部を中心としたジェノバの商人です。彼らは内集団を組織する代わりに、法システムを発展させ、契約による取引で商圏を広げることに成功しました。彼らにとって重要なのは、未知の相手と良好な関係を築くための「信頼」だったのです。この二つの商業集団は地中海を舞台に覇権を競いましたが、最終的に欧州貿易の中心となったのはジェノバの商人でした。

マグリブの商人とジェノバの商人|宮林 隆吉|note

簡単に言うと、

 マグリブの人々は、ムスタルビーン(mustarbin),すなわち,イスラム社会の価値観を受け入れた非イスラーム教徒であり,

P239,9.2マグリブジェノヴァにおける文化に根ざした予想:その差異の起源と発現形態,比較歴史制度分析

そして、

 マグリブは,イスラエルのすべての人々はお互いの行動に責任を持っていると考えるユダヤ人社会にも属していた.

(同上)

そのような社会に於いては

イスラーム社会では伝統的に,「不正を見,その行動を自らの手によって正すことができる者は,そうしなさい.もしそれができなければ言葉で,それすらできなければ心で正しなさい.それが信仰の最低条件である」(Cook2003,p.4)という言葉は,ムハンマドの言葉とされてきた.

(同上)

ただ、それから400年も経っているイギリスでの上演だ。

英米と大陸には、こういう違いもあって、よくわからなくなってくる。

そもそも、「ユダヤ人」と括っているが、実は

 マグリブ貿易商は,10世紀に政治的不安が次第に高まったバグダット周辺を離れ,ファーティマ朝のカリフによって支配されていた北アフリカチュニジア,すなわち西イスラーム圏(マグリブ)の一部に移住したユダヤ貿易商の末裔である.
(中略)

 マグリブ貿易商は,彼らより大きなユダヤ人集団の中で,明確な社会的アイデンティティを持る少数民族だった.
P53,3.1商業,海外の代理,および効率性,同

ここでの民族の定義がわからないが、ユダヤ人の中でも何かしら違ったのだろう。

カルタゴ - Wikipedia

彼らが重視したのが、評判乃至名誉で、11世紀にチュニジアの著名な貿易商サムフン・ベン・ダウートがフスタート(エジプトの首都)のヨセフ・ベン・アウカルニーに長い手紙を送って

「私の評判(あるいは名誉)が地に堕ちてゆく」(P58)

と書いていて、どうも、ヨセフは高官で、サムフンはその代理人に就きたかったらしい。

フスタート - Wikipedia

便宜を図って儲けさせろと臆面もないことを言っている。彼らが不誠実かというと、こういう話が別にあった。
船荷がチュニジアに届いて市場が開く前に、違法取引で売り手の吹っ掛けた売値に応じたが、後に値崩れした。買い手たちは渋ったが、結局は、評判を恐れて、違法取引時の売値で支払った。

「われわれは幸運であった・・・・・名誉(を失うことを彼らが恐れること)なくしては・・・・・われわれは何も受け取ることがなかったであろう」(P59)

と売り手の手紙に書いてあったということである。売り手も買い手もチュニジア人であった。不完備契約に代わりうる制度としては、上位下達(すべての事後的な決断を下す権限の割り当て)を用いることも効率的になることが試行的に計算したところ明らからしいが、彼らは、商人法(「慣習」と呼ばれる、事前にコミットする文化ルール)を採用して、多者間の懲罰戦略を用いることで「結託」して利益を守ったらしい。制裁は経済的制裁を科したということだ。

「結託は代理人サービスを取引する市場の活動基盤を提供し,(中略)商人たちが代理人を通して活動することを可能にした」(p76)のだが、「おそらく最適ではなかった.特に、結託は動学的には効率的ではなかった」のであるし、また、「自らが属する集団のメンバーとそれ以外の人々に対する異なる行動は,この明確な社会的アイデンティティを再生産した」(P143)ことで、「マグリブ人が貿易の地理的範囲を広げるにつれて、結託内の代理人関係の利益は上がり,他の貿易中心地への移住と居住区の設立が進んだ」(p73)のだが、(その文化を共有することによる)将来のリターンを賄えない「イタリアへの移住は文化的により困難であり,したがって見送られた.宗教が同じで,イタリアとの貿易に潜在的利益があったにもかかわらず,メンバーではないイタリアのユダヤ人が代理人として雇われることはなかった.それは,結託の外で代理人関係を結ぶことの追加的な利益が,相対的に高い代理人コストを埋め合わせることができなかったからである」(P73)ことからわかるように限界があった。

そのような「マグリブ人は11世紀を通して,イタリア人,より一般的にはヨーロッパの軍隊と商業勢力がイスラーム世界からの商人たちを追い出すまで,地中海で活動した.マグリブ人はその後インド洋貿易に転向し,12世紀の終わりにエジプトのイスラーム支配者に貿易を止めるよう強制されるまで貿易を続けた.この段階で,彼らはより大きなユダヤ系の共同体に溶け込み,歴史の表舞台から姿を消した.」(P69)


こうなると、ただ読んでいても、ほとんど内容がわからないと言ってよいと思う。
「冷笑的」なのか、「文化共同体的」なのか、「文化共同体」の排除性が「冷笑的」となって現れるのか、なんだか、よくわからないのであった。

ただ、ロドリゴとイアゴーは「結託」しているように見える。
そのための(結託内の仲間内で共有して、メンバー外を排除する文化障壁を構成する言葉が" damn'd "と考えた方がわかりやすいように思う。

ただ、彼らがマグリブ的であるかは、まだわからない。むしろ、オセローの方かもしれない。

チュニジアの歴史 - Wikipedia

チュニジアは1574年にオスマン帝国の属領となったらしい。
ここらへんの話のようだ。

『オセロー』では、 キリスト教徒にとっての「トルコ化」の不安は、むしろキリスト教徒に改宗 したムーア人であるオセローにトルコ人的なイメージを投影することを通じ て表象されているのだ。

Are We Turned Turk...? : 『オセロー』とジェイムズ朝の悲喜劇における〈トルコ化〉の表象 | 学術機関リポジトリデータベース

そういうややこしい設定だったのか。

ハムレット』が書かれた当時のイギリスは、宗教的に不安定な時期にあった。

エリザベス朝時代の復讐劇 Shake the Spear!

なるほど。
ヤコブの相方のヨセフが出てこない。ジェームズ1世(1566-1625年)もヤコブである。

ジェームズ1世 (イングランド王) - Wikipedia

現在のマグリブ

第23回 マグリブ(北アフリカ)――幻の豚肉《続・世界珍食紀行》(渡邊 祥子) - アジア経済研究所