One who loves the truth and you,and will tell the truth in spite of you.-Anonymous                    武者小路実篤8

 

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そうすると、ロダリーゴなんじゃないかと思えてくる。

Roderick の名前意味

Eric の名前意味

「有名な」「法の支配」というよくわからない名前だが、マグリブ商人だと思うと、なんだか、納得感がある。

イアーゴーは、ロダリーゴの代理人で「結託するメンバー」だ。
オセローは、前回のヨセフのような高官だが、もはや「結託するメンバー」ではない、改宗したキリスト教徒だ。ただし、名誉を重んじる。
カシオーは、マグリブ商人に文化的に敵対する、イタリアの人間だ。
デズデモーナは不運な女性だ(cf.「われわれは幸運であった」)。

いつもお世話になっているサイトにケチをつくたくないが、ロダリーゴの一人称が「僕」であるのは、不適格な訳じゃないかと思う。
彼らは「結託するメンバー」だが、対等でなく、その非対称な関係を成熟の差で表すのは、違和感がある。

仮にこうだとすると、夏目漱石の不満は誤読ゆえということになりそうだ。
すなわち、シェークスピアの演劇では、観てすぐわかるような性格づけが行われていたなら、ロダリーゴもそれを担っていたはずで、ロダリーゴを欠くなら、イアーゴーの性格がわからなくなる構図だったのではないかと思う。
シェークスピアの時代の演劇で場面の説明に関して馬琴の「省筆」のような立ち回りに言及されることは見るが、演劇の基本構造として単調な性格付けについて言及されることがあるだろうか。「近代的」な主体から読み過ぎだろうと思う。

※批判的に読み込んだ、新しい価値を見出した、なら、そうである。
その講義が、いかに先生獨得のものであり、いかに批評的であり、またいかに暗示的であって私を動かしたかを、決して忘れない。
先生は多くの訓詁註解者の上に立つて全然自分の一箇のあたまで批判しようとしてゐたらしい。
はしがき,夏目漱石先生評釈Othello,野上豊一郎編,1930年・昭和5年 - 国立国会図書館デジタルコレクション
夏目漱石シェークスピアは違う、ということである。
これは「Furnessの集註本を唯一無二の金科玉条とし心得てゐた私たち」「當時高等學校を出たばかりの青二才」向けの講義であって、「それは一つの驚異であつた」ということである。
この人だろうか。

Horace Howard Furness (November 2, 1833 – August 13, 1912) was an American Shakespearean scholar of the 19th century.

Horace Howard Furness - Wikipedia

継子立ては聖書にもある。

『塵劫記』の「継子立て」

誰のエピソードか忘れたが、エジプトに捉えられて順番に殺されてゆくところ、瞬時に状況を理解し機知を働かせて逃れたという話であったと思う。
要は、継子立ての計算を利用して、並び順を隣の人に代わってもらったのだけれど、ということは、他人を犠牲にしたということである。なかなかの修羅場である。

シェークスピアが依拠した聖書だって、読もうと思えば、かなり深淵になる。
しかし、そこには、近代的な主体が居ない。
私たちは、他人を犠牲にしてよいか、〈のこととして、、、、、、、悩んでしまうのだ。
一方で、ハムレットは、「生きるか、死ぬか」なんかで悩んでは、、、、いないのだ。
困っているだけである。


ただ、まったく証拠が挙がってこない。どういうことかね?

『オセロ』と『ロビンソン・クルーソー』とでは100年以上の開きがある。


知らないことを説明するのは大変で、勉強しなければならない。
内容もそうだが、伝える技術である。
直そうとは思うものの、どう直せばよいのか。慨嘆してしまう。

しかし、その「けれども」を挟んだ前述の内容を承ける形で、後述ではその前述の内容を別の角度から見た場合の見解が述べられる場合もあり、この場合の「けれども」の用法は「受動態のけれども」という活用・イメージになります。

  • 彼はこのように言っていましたけれども、大丈夫でしょうか。
  • その手紙は彼女からの物らしいけれども、筆跡はどうもあやふやです。
  • 受験勉強を頑張ってきたけれども、どうもまだ自信がありません。

このように、逆接的な活用をする「けれども」とは違い、その後述では前述の内容を否定しない表現が取られます。

「けれども」の意味と使い方・例文・類語|敬語/話し言葉

「けれども」は逆接の接続詞だが、こういう用い方もあるらしい。

話し言葉における「が」「けど」類の用法 /三枝 令子

 

美濃部達吉イェリネックを「一知半解」にしか理解できなかったが、夏目漱石シェークスピアを誤解していたのではないだろうか、と思わないではないし、それ以上に、『こころ』が『オセロ』を参考にしたと考えるのは考えすぎな気がしてきた。
いや、彼らは、そもそも、ヨーロッパの多様さを十分理解できていなかったのではないかと思う。そういった意味では新渡戸稲造の方が優れていて、『武士道』を書いたのは、白眉であった。内容が優れていたという以上に、ヨーロッパ人の機微と語用を理解できていた、要は「騎士道」のフィクション性にもとより気づいていたからこそ、それに寄せて(「武士道」を)書けたのだ。なかなかの離れ業である。
或いは、『武士道』が鈴木大拙の活躍に与えた影響などはあっただろうか。
美濃部より上杉慎吉漱石よりも新渡戸と考える次第である。
インスピレーションを得た、くらいで、本質的には明治的な何かの擁護乃至弁明であったと思う。乃木希典の殉死もモチーフとなったが、内容的には、子規の死の方であると思う。その点で、『こころ』は、「漱石の文学」として面白いと思うようになった。

非常に交流の幅が広い人物で、著作の一つ『偉人群像』には、伊藤博文桂太郎乃木希典らなどとのエピソードも書かれている。

新渡戸稲造 - Wikipedia

そうすると、明治から大正へ、何がどう変わったかである。
そこに哲学者たる武者小路実篤が居る。