自分の言葉3

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これは政治学或いは、政治哲学になるかもしれないけれど。

民主主義(乃至大衆運動)の参加に関する「感激」の意味じゃないかと思う。

「感動ポルノ」と「感激」を比べたときに、「感」はいっしょで、続く「動ポルノ」と「激」が異なる。このニュアンスの違いを乙武さんは言ったのだろうと思う。

 

あんまり好い例ではないけれど(おそらく、1920年代のアメリカの政治学の、シカゴ学派からの発展を観た方が良いが)、

第2項 「ユダヤ人を人間にしてやろう」

 1812 年にユダヤ人解放令が出される前、プロイセン官僚のクリスティアン・ヴィルヘルム・ドーム Christian Wilhelm Dohm の 1781 年に発表された「ユダヤ人の市民的改善」という論文がどのような経緯で書かれたのか、アーレントは『ラーエル』の第 1 章でつぎのように述べる。
 「抑圧された人びとのためにドームは人間の良心に訴えた。同胞のためにではない、何らかの責務を負っているさる民族のためというのですらない。啓蒙主義の鋭敏な良心にとって、自分たちの下に法的権利のない者がいるということを知っているのが耐えられなくなったのだ」230。そうして啓蒙主義者たちは、「ユダヤ人を人間にしてやろう、ユダヤ人がいるなんて、うんざりだ、彼らを人間に、つまり啓蒙主義時代の人間にするしかないのだ」231と考えたとアーレントは言う。啓蒙主義時代の非ユダヤ人にとって、ユダヤ人は自分たちと同じ人間ではなかったと彼女は考えているのである。
 一方、「人間にしてやろう」と言われてユダヤ人はどう応えたのだろうか。「彼らは感激してみずからの劣等性を認めた。劣っているのは、やつらのせいなんだ、悪意あるキリスト教とその暗黒の歴史が自分たちを劣等にしたのだ、と」232アーレントのこの皮肉交じりの突き放した叙述は、同化批判の視点から記されているように見える。本章第3節第2項で見たように、ユダヤ教の指導者層の人々が反ユダヤ主義を組織存続のために利用したということは、迫害されても致し方がないと受け入れることである。そのため、「彼らは感激してみずからの劣等性を認めた」のである。

230 Arendt, Hannah, 1959, Rahel Varnhagen, S.21.(上掲、大島訳、13 頁)。
231 Ibid., S.22.(同書、13 頁)。
232 Ibid.,(同)。

P78,アーレントの道徳哲学論としての<自己との対話> 論について

赤字強調は引用者。

ここにはナラトジー上の問題があると思う。
ナチスで迫害を受けたのは、「女性」「ユダヤ人」「黒人」「ロマ族(ジプシー)」「障害者」「同性愛者」「左翼」である。ほかにもいるかもしれない。
彼らは、「病的」であることを理由として、「能力的に劣っている」ことを理由として迫害を受けたのではなかったか。

さて、民主主義を「語る」とき、主体たる〈私〉から語るか、普遍的な〈存在〉から語るかで、様相が異なってくる。

この〈私〉から語るときに、「感激」が導入され、その表現行為の制限は(身体を含め)「障碍」と見做される。つまり、この場合の「障碍」は、社会に帰属すべき責任(不利益命令)として語られ、その表現行為は、その未達の「矛盾」として評価される。

一方〈存在〉から語るときに、「能力」が導入され、その表現行為の制限は(身体を含め)「義務」と見做される。つまり、この場合の「義務」は、自己に帰属すべき(相互的な、相関的な)責任(不利益命令)として語られ、その表現行為は、その未達の「努力」として評価される。

 

[比較検討]「義務」と「相関的」;ホーフェルドにない「義務」

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すなわち、乙武さんは、「マッチョ」な指向を持っている。
要は、参加に、障碍者も健常者も「ない」ということであり、この観点から、「障碍者」だからと言って特別に取り上げられる必然性(義務)がないとの(相互的な、相関的な)主張である。
さて、その批判が荒唐無稽かというと、あくまで運動の成果は主張の内容から判断されて導かれるべきであり(没個性的判断)、それに参加型民主主義の達成が見られるから(個性的判断)その点が評価されてよいが、敢えてこれを混同する表現を伴っているので、「ポルノ」と揶揄されても(望ましくはないが)口を塞げないだろう。


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