#ゆたぼん#中村幸也さん
— あほ猫 (@97QcTOYHAmqObMk) October 23, 2022
「原爆が落ちるまでは平和だった」
「8月6日に広島と長崎に原爆が落とされた」
ゆたぼんが動画内で話した上記のことに絶句した
原爆だけでなくあらゆることの前提知識がないから物事を曲解するのではないだろうか?
これなら家で地理や歴史の勉強をした方が有意義だ pic.twitter.com/YzlQA4umkw
いや、「平穏」って言いたいのだろうと思う。
「平穏」と「平和」の違いとは?分かりやすく解釈 | 言葉の違いが分かる読み物
「穏」は、中学校で習う漢字だから、ギリギリ大丈夫だったりする。
「平和」と「平穏」を比べると
おだやかに、やわらぐこと。静かでのどかであること。また、そのさま。
しずかでおだやかなこと。おだやかで無事なこと。また、そのさま。
こういうとき大人は、「表向きは」と結果から補足するだけのことであって。
リアルタイムには結果を知らないからね。感情移入してそう言ったのかもしれない。
そうなると、社会性なんだよね。バランスをとって話せるかどうかに過ぎないけれど、結局、「学校へ行かない」選択ってそういうことだよね(今は週の半分は通っているということだけれど)。
markovproperty.hatenadiary.com
お父さんが言い返しているみたい。
これ「本当」は『中学生日記』なんだろうね。
すなわち、「中学生」という精神の発達段階をむかえて「原爆」或いは「戦争」ということを考えたときに、仮に自分が教える立場にあったなら、「すんなり通り過ぎて欲しくない」とは考えるかな。
つまり、戦争/平和が、所与の「公式」として受け取られて、アポケーになっているとしたら、考えを深めるためにもうひとつ「フック」が欲しいところで、ここでひとつ「波風」立てたいなと思う。
そういった意味では、「平和」という語彙の語意/語用に近づくのは「よい」と思うよ(一般的な「原爆投下」の説明でも、「それまで」は日常の生活が続いていたことが語られるんじゃないかな)。ネットの場合は、ドラマじゃないでしょう。だから、言い合いに終始しちゃうよね。
『エヴァンゲリオン』は大人になって、あまりに話題になっているので見たから、そのせいかどう見ても『中学生日記』なんだよね。
アニメ『六神合体ゴッドマーズ』の原作漫画『マーズ』が好きだったのもあって、幾何的なメカには美しさを感じたけれど、ストーリーは。
そのころから『中学生日記』の持つストーリーテリングが通用しなくなっていたのかもしれない※。
※これは今時わかりにくいかもいしれない。
「「中学生日記」を中学生が観る」ということのうちには、「こいつら馬鹿なことやってんな」ということが自己にうちにも発見される、デフォルメされた(理想化された)「中学生」を、自覚しながら観ることにほかならなかったんだね。だから、番組作りに対して、いろいろと問題提起もされた(んじゃなかったかな)。
『エヴァンゲリオン』になると、自己を発見して没入することはあっても、揶揄はしないでしょ。「こいつら馬鹿だな」或いはもう一歩進んで「馬鹿なことやってんじゃないよ」と自己批判乃至自己規範化になるかならないかの違いがあるように思う。自己のうちの「馬鹿」をゴミとして捨てる感覚というか。
これは、後の「「心のノート」問題」に引き継がれることじゃないかと思う。
『シンゴジラ』なんてもちろん、極端な「エンタメ」に過ぎないとしか感じないので、あらためて見ようとは思わないよね。これが「政府批判」になっていると思うとしたら、ちょっと世間知らずだよね。