自分の言葉

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これはね、自己責任で社会的に許容できる程度の「プライベートな領域」が「ある」ってことなんだね。それは「プライヴェート」だから「パブリック」に重なるとハレーションが起こるということ。
このときに、この子自身の言葉が、13歳の学齢期の子どもの発達として、どうなのかなを見ることになる。どちらとも言えない。だからこそ(すなわち、13歳の「子ども」相当だからこそ)、指導が要る。つまり、「子どもっぽい」短絡をしているわけ(子どもだから、「当たり前」と言えなくても、ふつうだろうと思う)。
つまり、大人としての「行き先」を「指し示す」ことが望ましい(今すぐには理解できなくても)。まぁ、裏でやっていると思うけれどね。

今行っている活動の何が良いかと考えると、

  • 計画的であること
  • 他人との調整を必要とすること
  • 実践的であること

実は学校でもおこなっていることを、自分たちで行っているのだけれど、それでは何が学校と異なるか。

  • 語彙獲得の発展性

学校も家族も共同体であるから、集団維持のために語彙が限定的なのだけれど、学校は機関だから、外部から語彙を準強制的に導入する営みを持つんだね。なんとなく気が向いたら、都度、という程度ではなく。

お父さんが、この子が「東大の問題を解いた」「積分を30分で理解した」と言っていて、これはまぁ、(もちろん、事実として、言い方が)「売り言葉」に「買い言葉」のような語調だけれど、前者に関しては「1問では意味がない」、後者に関しては「30分で理解できる程度の内容でしかない(専門的には、異なる)」が「正しい理解」であり、そこには、相当の大きな知識量を獲得するために、小分けにして、継続的に取り組み、かつ、常にフォードバックして一貫して意味を保持できる理解力を培う取り組み、が、社会的に望ましいこととして求められている。

13歳という年齢を考えると、中学生の期間は、「1問だけ(たまたま)解ける」からその括弧を外す作業—すなわち、それが「たまたま」に過ぎないと理解できる理解力—であったり、カッコ内の「たまたま」を「たまたま」でなくす理解力を獲得する準備をする大事な期間であると思う。

要はね、この子が、「東大の問題を解ける」「積分を30分で理解できる」ことから仮に高知能児として、「知能」から「学習」に態度を改める、大切な3年間になる。例えば、受験勉強を通じて。厄介なのは、受験勉強なんてとりたててしなくても、「できちゃう」場合があるわけ。

 

 そういうことじゃないんだよ

 

大切なのは、将来を見据えて、「態度を改める」ことなんだ。
ここで鍵になるのは、「態度」は、実は他人から与えられてるってことだ
もう少し適当な言い方をすれば、信頼できる他人の評価を参照して、自己の行動を決定することを「態度」と謂う。
学校が「家庭からのシェルターの役割を果たす」こともあるということをここでは言っている。もちろん、反対に、家庭が学校からのシェルターの役割を果たすこともある。これは双方向の問題だ

また、このときに、生来の資質が大きな影響を持つことが「ある」。
それが、「1問だけ(たまたま)解ける」と「次々に解ける」の間にある、個人的な事柄で、自然とのめりこんじゃん子っているわけ。それは或る種のフィーバーで、離れられない。
どうもそういった雰囲気は見られなので、能力自体は枯渇しないから、この子は「英語」をやってみたらいいんじゃないかな。
誰でも彼でも数学をやればいいとも思わない。
潜在的な「能力」は枯渇しなくても、顕在的な「ハードル(困難)」が上がることはある。ずっとやっていないと、継続的に行っている以上に、「内部の変更」に大きなエネルギーを使って、そこで消耗してしまうんだよ。このハードルを越えられなくなる。
学校に週の半分は通っているということであるから、特に数学に関して、そこで基礎力だけはつけるようにして、それでいいんじゃないかと思う。残念ながら、責任は持てないけれど
そうして、まずは「英語」を一定期間がんばってみて、それから「数学」をやるくらいの心持でいいんじゃないかな?

 

  コミュニケーションの能力を方法的に、、、、飛躍させる方が、合っているのではないか

 

と思った。

「パンク」「受刑者」「バカヤンキー」ということではなく、世界ではいかに「自分の言葉」が尊重されているかを知って欲しい
ジョン・ライドンの自伝が君にお薦めできる。

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👆の人の勉強法を「真似しろ」って言っているんじゃないんだよ。
「勉強」ってすごくパーソナルなイベントだから、自分の方法を見つけるしかない。
ただし、おそらく人間として、共通していることもあって、継続的な取り組みが有効で、特により専門的、すわなち体系的理解には必須となる。
だから、生活態度なんだね。
ファインマンの自伝を「面白い」と思うか、ジョン・ライドンの自伝を「面白い」と思うかかな?
すなわち、「人」やその延長で「社会」に興味を持ちやすいか、外交的であるか。