いや、この間のLGBTへの理解促進を促す、どこやらの雑誌の記事からして無理解が甚だしいと感じたのだけれど。
その書き方って、まさに「新生活様式」への誤解に通じるものがあって、戦前の書き方なんだよね。要は、所謂アンチョコ。わかりやすく言えば、イイクニツクロウ鎌倉幕府。何も理解できなけれど、何かのソリューションにはなる。行為規範選好の受容態度。本当は開化乃至啓蒙時代の「婦人の新生活法」くらいの話(国立国会図書館近代デジタルライブラリーで検索すると、明治から大正にかけてにこの類の本がいくつか書かれているのがわかって、興味深い。ご婦人の皆さんも振る舞いには気を使っていらっしゃったんですね、他人に見えないところで。そう言えば、明治期の参謀要諦だったか要領だったか、兵の内的監視を重視しているんだよねー疑似的な近代的自我だ)。ア(エ)ポケーというか、行為は理解の表現とは考えないんだよね。行為は行為であって。フッサールなら客観だろうが、これは主観の話だから、どうなのだろうというね。

ハラスメントは人権の問題だけれど、人権ならば抽象的理解がないと、何も理解できないよ。それが端的に現れていて、なんだかな、ということである。
言葉から社会性を抜くことは不可能であるから、今でもこれはやはり、啓蒙の問題であって、直近の課題としては、学校教育の問題だろうと思う。
ところが、啓蒙の問題だから、一方でロマン主義の受け入れが求められて、前回のコミュニティーの必要を差し回すんだってことなんだけれど。