真・日露戦争物語(メモ)

 

markovproperty.hatenadiary.com

 


〇「御用学者」と云うなら、美濃部は「反体制学者」なのか
美濃部達吉は、イェリネックの学説をつまみ食いして(尚、イェリネックに会ったこともなければ、指導を受けたもない。その点で、上杉に見劣りする。むしろ、上杉は、もともとは国家法人説に拠っていたが、イェリネックに師事してーイェリネックの家に下宿していたらしいー、考えを改めた。)、所謂解釈改憲をしたのであって、それは形式上の主権の変更を迫るものであるので革命"的"であるし、それはレジテマシー上の問題があるのでクーデタ"的"であったが、遂行的に達成した。
〇そのエリート共同体の「専横」が、この国の「国体」であり、それは(ドイツ観念的、あくまで便宜的な)国家主権から導かれる(それが上で言う「遂行性」である)。
〇美濃部を一高卒(尚、兵庫出身)の「エリート」として上杉と比較しようとするのは、不思議である。
上杉は四高卒とは言え東京帝大を恩賜の銀時計(主席か次席)で卒業したのであるし、そのまま大学に残った。美濃部は官界に行ったのであるが、ここらへんは、上杉の弟子である岸信介我妻栄くらいの差かもしれない。
ノーム・チョムスキー西田幾多郎。実在が言語哲学内かどうかで、矛盾を巡って、非ユダヤ人は誤る⇒カール・シュミット
夏目漱石新渡戸稲造 分析哲学者なのはどちらか。夏目は日本のホワイトヘッドになれなかった。
〇『日露戦争物語』でゆくならば、夏目漱石ではなく森鴎外ドイツ学閥とは)、『こころ』ではなく『参謀要諦』(兵の教育における内発的動機付けを明記;明治4年?明治X4年?)⇒兵隊教育における禅の導入
司馬遼太郎は、ジャッキーチェン。行ったのは、エンターテインメントの近代化。
ジャッキーは、京劇のリズムを変えた。司馬は、講談のリズムを変えた。ただそれだけであるが、これは日本の小説の近代化の轍に沿う業績であって、評価されるべきことである。ただしそれは、「司馬史観」などと呼べる業績ではない。
二宮忠八と高野長次郎(足踏み式脱穀機を考案したが、「発明者」ではない)
戸籍の歴史と資本蓄積(農本主義から資本主義へ、マニュファクチュアから工場へ)
二宮忠八は時代的に言って評価され過ぎであるが(ライト兄弟の科学性と近代性に比べて見劣りする。この時代を考えるにあたっては、それが本質的に重要。)、この時代の「坂の上」を目指す空気を醸しだすにはうってつけの人物であるし、逆に過渡期の人物であることを考証できる
〇むしろ、高木貞治を挙げるべきである(できれば、関口開と最初期の東大数学を担った加賀藩も)※。
〇軍人ならば、旅順攻略の一戸兵衛で、この副官に林銑十郎がいた。

ここまで理解できると、憲法は憲政の一部であり(憲法の前に憲政在り。)、それは実在的な記号を巡る政治の一環であることがわかる。
それでもわからなければ☟
国立国会図書館/デジタルコレクション/上杉慎吉/日本における「議院内閣制」のデザイン,斎藤憲司(文中の『記号化』)
国立国会図書館デジタルコレクション - 検索結果

なぜ、上杉は、「愛国」を「新原理」と言ったか。それは、この国の民主主義が、主権を回避して選挙による動員に集約されていたからである(国家"主"権と言えない時代であったし、民"主"主義と言えない時代であった)。ウェリントン公爵と英国の歴史を見てわかるように、議会(とその限りでの民主主義)が必ずしも信用されていなかったのは、むしろ歴史の流れにおいては常識的であって、上杉はその"近代的"保守思想の系統において、議会を通さない、しかし平等を実現する動員を目論んでいたのであるし、それは現在に続く主体思想に通じる話である(から、それが社会主義と結びついても不思議ではない)。


高木曲線 - Wikipedia
自分は三角関数で似たようなことをやろうとしたが、今から考えれば、ガウス関数正規分布確率密度関数)でやればよかったかも
(本当は、裾野を無限「入れ子」にしたい)

f:id:MarkovProperty:20181112001206j:plain