外部が「ある」とはどういうことだろう?
例えば、ドイツのシェークスピアか、ドイツのドン・キホーテ・デ・ラ・ラマンチャか、ドイツのルイス・キャロルか。
こんな人が、本当に居た。

ミュンヒハウゼン男爵カール・フリードリヒ・ヒエロニュムス(1720年5月11日 - 1797年2月22日)

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【前提】

ロープがある ならば ロープは量を持つ
量があるとき、分割(切り離し)、結合(繋げること)ができる

【論証P】
L1 ロープがある ならば 切り離せる ,ロープがある | 切り離せる
L2 ロープがある ならば 切り離せる ,切り離せる  | ロープがある
L3 ロープがある ならば 繋げられる ,ロープがある | 繋げられる
L4 ロープがある ならば 繋げられる ,繋げられる  | ロープがある
L1→L2→L3→L4→L1→… 

【論証Q】
L1 ロープがある かつ 月がある 
L2 ロープがある ならば 繋げられる 
L3 ロープは月に繋げられる

 

【論証P】は、(構造上の)真偽(モーダス・ポネンスと後件肯定の誤謬)を繰り返すので、「この文は偽である」(自己言及のパラドックス)を思い出させるヘンな構成となっている。

つまり、〈ミュンヒハウゼン数〉を考案して、あるテキストがすべて〈ミュンヒハウゼン数〉に置き換えられるとすると、ℱを、→で導かれる、引数を適当に構成可能な関数ならば、

あるテキスト「12」が真であるとき、

12 → 21 → 12 → …

ということである。しかし、このとき、{3} は言及されていないのである。
したがって、{3} は {1,2} の外部にある。

しかし、〈すべての数〉が内部にあるとすると、どうだろう?
これが、ブールの研究者だったケンブリッジいちの「秀才」数学者ドジソンの発見した〈論理空間〉である。
ヴィトゲンシュタインの議論はこの延長にあると思う。

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さて、ゴッド・フリート・ケラーである。

Meiji Repository: ゴットフリート・ケラーの「ウルズラ」(『チューリヒ小説集』)におけるスイス再洗礼派の描き方と現代性

https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/dspace/bitstream/10291/20509/1/kyouyoronshu_538_61.pdf

なかなか興味深い人物で、「太陽」とくれば、太宰治をどうしても思い出すし、それならば、戦前の文化・文芸事情を考えるうえで、非常に重要な事実であると思う。
戦前は、ドイツ派が、各派から抜きんでた勢いを誇っていたが、一方で、19世紀科学革命のバックラッシュでオカルト主義が席巻したことにより、新仏教運動の影響を受けた「日本主義」と「太陽主義」の分派を生んだように見えるからだ。

新仏教運動は大胆に西洋思想と仏教を繋げた革新運動だったが、ドイツ文学と結びつけて考えにくかった。

走れメロス』は古典に題材を取って、その原話もとうに明らかで、比較研究も十分なされているが、それ以外はどうにもわからない。
いろいろな作家が日本に限らずいろいろな古典(古典にも限らず)を翻案した、たまたまそのひとつだったのか、太宰は、『』で  の日記をパクったわけだが、  の日記は当時の女性運動も支えていた太陽思想(太陽主義)の影響を明らかに受けている。

太陽主義は大正生命主義から派生して、日輪思想の影響から考えられやすいが、果たしてその程度で説明がつくのかが、ここで問われることとなる。
明治以来の伝統である、歴史法学派から考えると(これは日本の特殊な考え方では決してなく、ドイツの法学の輸入であり、アメリカをも席巻した。要は、新しい国家建設に於いての〈自己〉確信の一里塚のようなことである。これがないと〈世界〉へ融けてしまう。すなわち、ローマ法である)、「日本的」に見えて実のところ(きわめて)「ドイツ的」である可能性はぬぐえない。「体育会系」などという、学校での「部活動」がない欧米と異なる日本的な発想かと謂うと、もちろんそんなことはなく、ドイツの「体育」から来ている。日本の伝統は、兵法や五倫の書の方である。日本の「友情」が勝海舟の父親で、無頼の徒であった勝小吉が発祥ということは考えられないが、幕末ですでにそれに言及した珍しいタイプだったと言ってるのをみたこともある。朋友と比べて如何。

すなわち、太宰の「友情」などというのは、実際にあったうちうちの事件に関して(飲み代が払えなくて、友人を走らせて借りたはよいが、踏み倒した。)、自己の人格破綻をごまかす方便に過ぎないと思っていたが(病的なレベルのクズであるから、自殺癖とも関係があるが、本当に病的だったのだろう。太宰はパートナーを間違えなければ、「死ぬ気」があっても「結果として」死ななかったと私は信じている。)、言い訳がうまい人間というのは居て、そのうまさのいったんを見るような話である。

つまり、常人(いや、常識人が)が思いつかないような発想の飛躍であって、博識ではあったから、元話とは別に、ケラーを知っていて、繋げたのではないかと訝しく思う。

なにしろ、自己弁護のためならその、、才能を発揮して惜しまない相応のクズだからである。ちなみに、「その」は文芸のそれ以上に自己弁護のそれである。

文学者で自殺した者が少なからずいるが、まったく共感できない唯一のものである。
おそらく、成り行き次第で、生き残っていただろうからだ。太宰に騙されない程度に死ぬ相手の気がが強すぎた。それがよかったのか、悪かったのか。同意したとはいえ、相手一人だけ死なせるのも不憫だ。
そんなことは「ない」と思うだろうか。病的とはそんな程度の話である。
実際にそういう事件があったからそう思うのではなく、クズとはそういうものであると思っているのである。

それはともかく、ケラーはその創作法も含めて、興味深いひとである。

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