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デカルトアウグスティヌスの関係を整理しようと思ったけれど、とてもじゃないが、すぐにできない。

デカルトは誤解されやすいが、彼はおそらく意図的に、スコラ哲学の「論証」(本当は信仰)を「シンプル」にした。それが物足りなく感じられるらしい。

「そうではない。それは(デカルトの画期乃至意図であって)誤解だ」というのが、私の主張である。

ひとつのヒントが"probability"と言われた『憶見』であり(トマス・アクィナスの解説がある。)、もうひとつのヒントが、時間だろうと思います。

アウグスティヌスは、神の導きによって主体を獲得すると言いたかったのでしょうが、時間は神の業です。

デカルト実在論に立ちますから「いつでも」獲得可能と言いたかったのだろうと思います。「方法的懐疑」と言いますが、彼は曲線論(での彼の出色な達成)を言いたかった(自慢したかった)のですから、疑わしいかどうかというよりむしろ、「確からしさ」の方法論=万能(よろず可能な)な方法論=万能法線の発見を言いたかったのだろう思う
もっと言えば、ライバルが多く居たのが事実で(彼も、自信が批判を求めたこともあるが、実際に批判も多く)、最大のライバルが「接線派」のフェルマーだったでしょう。
実際にフェルマーをその点で腐しているんじゃなかったかな。
それをアウグスティヌスへ持ってゆくと、よくわからなくなる。
デカルトは媒介を駆使した明証主義に立つのであって、直観主義フェルマーが論敵なんだよね。
だから、「近代的自我」「近代的個人」なんて後世から評価するからおかしくなるのであって、あくまで「直観主義批判」の「明証主義者」だよね。

 

アウグスティヌスやアンセルムスと決定的に違うのは、彼らの言葉が「本論」であったのに対し、デカルトの有名な言葉は「ガイド」であって、端的に述べるだけで意義は果たせたということである。余計なことまで言う必要がなかったのである。
「パクリ」疑惑が上っているが、むしろひょっとしたら、「「定式」を関係あるところだけ使います」くらいの注意書きでもおかしくない(後代になるにつれ、技術的に洗練される、或いは、簡素化されることは、一般にある)。
そういった意味では、言葉そのものよりも、アウグスティヌスのアクロバティックな「神の論理」=「人間の論理」を踏襲したと考える方が、自然である。

その場合、アンセルムスの「擁護(神の存在証明)」を簡素化する意味があるからだ。


論理的には、ともすればトートロジーに似たトートロジーではない論証のことで、中間項に任意の命題を置いても可能なことから、具体化できる方法があったことは思い出せるが、おそらくそれを使えばよいと思うだけで、それが何だったかノートを取っていないのですぐに思い出せない。

要は、「対角線論法」にしても「ゲーデル数」にしても具体化なのだ。アンセルムスはそれを「比」で行い、デカルトはそのエッセンスだけを利用して、具体化の果実だけを作図に利用した。

デカルトの「我思うゆえに我あり」はデカルトの「神の存在証明」の、アウグスティヌス流の「人間の存在証明」への反射で在り、デカルトの「神の存在証明」はアンセルムスのキリストと三位一体の擁護(所謂「神の存在証明」)の"probability(確からしさを保障する憶見)”を通じた簡素化だったのだ。ここでアンセルムスの「具体化」(背理)がデカルトの「具体化」(作図)へ置き換えられたのは、上記の通り、実に論理的な判断だったのだ。デカルト存在論的論証がアンセルムスの「擁護」よりもやたらとボリュームが小さいのはそのためである。デカルトの言った「方法的懐疑」とはアンセルムスの「(仮定と)背理」のことだったのだ。そしてその具体化が作図であった(だから、その分差し引かれた「神の存在証明」の方はシンプルとなった)。

すなわち、デカルトは、アンセルムスの始めたスコラ哲学を(その源流に当たるアウグスティヌスからあったストア派の流れを拡大解釈して)書き換えたのである。

しかし、それは「異端」の決定と共に歴史上常に排除されてきた方法でもあり、胚胎すれども孵化させてはならない方法論だった。

直近では、原理主義者のパスカル自身とパスカル派らの怒りを買い、最終的には、カントによって「形而上」へと追いやられる。このとき、カントは、数学もまたア・プリオリとしたことから、機微がうかがい知れる。

カントによって、デカルトは「デカルト」になり、我々が今日思い出すところの「我思うゆえに我あり」の感慨を完成させたのだ。
アウグスティヌスの始めた「主体化」は、アンセルムスの「可能性化」を以て、その憶見にあった任意の中間項の書き換えが論理的に可能なことに気づいたデカルトが「具体化」を施したその果実を、カントが(言及可能な)「主語」の修飾、すなわち「手段化」として得て、(カントが)「主体」に基づく憶見、すなわち論証上の権威を「絶対」として別に保存した格好である。
なにやら、面倒なことを言っているが、そもそもアウグスティヌスが主体たる神と被造物たる人間をごっちゃにする「必要」があったからで、それが三位一体の「難しさ」だったに過ぎない。反対から言えば、カントはアウグスティヌスの三位一体論を解体しただけである。

ただ、それができたのはデカルトのおかげであり(カントによってデカルトは「デカルト」になった。明証は証明になった)、順に遡れば、アンセルムスのおかげなのであった(デカルトによってアンセルムスは「アンセルムス」になった。擁護は明証になった)。
いや、三位一体論を擁護するためにああだこうだ『知識』を総動員して(すなわち、学統的に)『知恵』を振り絞った結果、三位一体論自体がもはや要らなくなった次第である。
カントが(「賢い」或いは「小賢しい」ことはあっても)「偉い」というのはただの錯覚である(「まとめサイト」訳を担ったおかげで、見通しが良くなっただけである。その意味で有用であった)。
すくなくともデカルトには曲線論があった(実は、カントには、このような「本論」に当たる部分がない―早死にしたヒーローのようなもので、伝説だけ残った―後年、カントの「本論」に挑戦した天才フォン・ノイマンもその点では敗れ去った。ノイマンが悪いわけではない。そもそもドイツ人特有のただの「はったり」であったに過ぎない。結局、ゲーデルに差し戻された。ASDとおぼしきゲーデルに「はったり」が効かなかったのだ)。その点ではデカルトはまことに「偉い」人だった。嘘がない。