そういうことがあったんだなぁ。

西村賢太自身は「エリート」を言っていたけれど。

それを信じないわけじゃない。いろいろあったのだろう。

誰かが嘘をついているのではないだろう。

 

これは言葉尻以上のことを思っていて。

これ自身が本人の弁だが、藤澤淸造(よく見たら、「清」だけでなく「造」も正字じゃなく、旧字体で、いちいちそれをワープロで出すのも大変だが、その分の思いが伝わってくる。)への帰依も、人気の出始めたころに弛みが出てきて、危機感を覚えたので、一念発起したらしい。

本人の頭には「田中英光」が当然にあっただろうから、それを二度と繰り返したくないという思いもあったろうが、その後のことを考えると、単に、拘り癖や、達成への意地や満足感以上のことが感じられる。或る事件的な出来事があったのだが、古い読者を裏切ってまで、新たな境地を求めた(その矢先に亡くなられたのでその意味でも残念だったのだが、『雨滴は続く』はその片鱗をとどめて、西村賢太の『明暗』となった)。

反対に、かつての『鞍替え』にも、その前駆的な思いがなかったか。
事件は西村賢太に責められるべき失態があっただろうが、その「言い訳」もにただの屁理屈や言い逃れ以上の思いが浮かび上がらなかったか。「エリート」の指摘に、表面的な表現への飽き足らなさを現代的作家に見て取るのである。

それは『漁港の肉子ちゃん』や『推し、燃ゆ』にも同様のことが感じられて、上の世代が誤解しかねない、従来からの表現を持ちつつ、意味を書き換えているように読める。
昭和ならここで「エリート」と言っていしまうと、「僻み」(或いは「劣等感」)と規範的(或いは、心理的、心理学的)に意味づけられた。

👆エリート中のエリートを自他ともに認めた大蔵省の「キャリア」官僚の理解は、それで一貫してぶれななかったが、それももう、四半世紀前の話で、今の若いひとにそんな理解が通じるだろうか?かつてはそれに違和感を挟む余地などなかったことが理解できるだろうか?

今では、どうも、もう少しポジティブである。
もちろん、西村賢太であるから、西加奈子や宇佐見りんのような軽やかさはない。
それでも、僻みを負けじ根性で「何糞」と、主体的、、、に「頑張る」主義に沈溺する態度でもない。勝つか負けるかでは、彼でさえ、なくなっていたように思える。

そういった意味で、彼もまた、新しい作家だったのだろうと思う。
西村賢太。67年生まれ、享年54歳。新しい世代の手前に生まれて、新しい世代の文学があちらこちらで誤解されるさなかに亡くなった。
不思議な時代を背負った作家だった。