以下、引用文中、赤字強調、青字強調下線は引用者による。
ものうさと甘さが胸から離れないこの見知らぬ感情に、悲しみという重々しくも美しい名前をつけるのを、わたしはためらう。
フランソワーズ・サガンの『悲しみよこんにちは』(河野真理子訳)の冒頭文である。
ものうさと甘さとがつきまとって離れないこの見知らぬ感情に、悲しみという重々しい、りっぱな名をつけようか、私は迷う。
こちらは朝吹登水子の訳によるP456の文章である。
ロマンあふれる文章だが、朝吹の方が、詩的である。
2人の翻訳者はなぜ〈は〉を選んだのだろうか。フランス語がわからないので、わからない。ただ「主語だから」ということであれば、直観的に、何かを感じ取ったはずである。それがこの文章をロマン主義へと近づけている。
綿矢りさは『さびしさは鳴る』(『蹴りたい背中』)とやり、島崎藤村は『蓮華寺では下宿を兼ねた』(『破戒』)と書いてその主語を求めた(『瀬川丑松が急に転宿を思ひ立つて、借りることにした部屋といふのは、其蔵裏つゞきにある二階の角のところ。』)。
小谷野敦はそれを指摘し、宇佐見りんを絶賛した。すなわち、『推しが燃えた。』(『推し、燃ゆ』)である。王朝物ではないが、敢えて「燃ゆ」とするところに、メディアを消費する(90年代的な)「新しさ」があるが、それ自体古くて、しかし、ここではかつてあった軽さを焼失して、真摯な、今日的な表現となっている。古くて新しい言葉が、古い「古くて新しい」が新しい表現となっている。言葉の片りんから意味を汲みだしてゆくものらしい。ここらへんは若い人たちに素直に従うほかない。
さて、『くるまの娘』である。
なお、試し読みである。
かんこ、呼ぶ声がする。
これは技巧的だろうか。朝吹的な意味で、詩的である。しかし〈が〉を使っている。
それこそよくある冒頭文のような気もしたが、ちょっとほかに思いつかず、
「こいさん、頼むわ。―――」
谷崎潤一郎の『細雪』の冒頭文である。
上手いのか、下手なのか、その発話を情景から説明する言葉の、縷々としてちょっとしたパズルの後に、
「雪子ちゃん下で何してる」 と、幸子はきいた。
幸子は「ゆきこ」でないらしい。思わせぶりである。
実を言うと、『くるまの娘』の冒頭文から横溝正史の『悪魔の手毬歌』を思い出したのだが、あらためて確認してみると、意外なほどしっかりとした〈が〉文体だった。
『細雪』は反対に、意外なほど、〈は〉文体だった。
〈は〉文体に拘った芥川龍之介に、『藪の中』があるが、こちらは見事な文章である。芥川の性格がよく表れていると思うが、如何か。
さやうでございます。あの死骸を見みつけたのは、わたしに違ひございません。わたしは今朝何時もの通り、裏山の杉を伐りに參りました。すると山陰の藪の中に、あの死骸があつたのでございます。あつた所でございますか? それは山科の驛路からは、四五町程隔たつて居りませう。竹の中に痩杉の交つた、人氣のない所でございます。
〈は〉と〈が〉を見事に使いわけ、なおかつ〈〉(空拍)を置いている(青のアンダーライン)のは、芸術的である。
死骸を(可能な対象として)利用しつつ、〈わたし〉の〈違ひ〉を巡る話であることが、明瞭に説明される。芥川はなんとも几帳面な性格をしている。
しかし、これでは、長文をものにできない。それが芥川の悩みであった。
『藪の中』はこのように主体の不確かさを巡る話であるので、犯人探しをするのはナンセンスであるが、これを敢えて社会推理に変えると長文となる。
そこで〈は〉文を、推理をめぐらす所与の舞台装置として設置する意義が出てくる。
〈が〉文で推理するのだ。その意味で、横溝正史が見事な〈が〉文体の名手であったことを、再確認した。
うちの裏のせんざいに
すずめが三匹とまって
一羽のすずめがいうことにゃ
おらが在所の陣屋の殿様
狩り好き酒好き女好き
わけて好きなが女でござる
(『金田一耕助ファイル12 悪魔の手毬歌』)
ここで、『殿様』は殿様〈は〉だろう。
『金田一耕助が』で始まる本文において最初の発話は
どうしたんです。金田一さん、いつおいでんさったんです。
横溝正史は〈は〉文を避けていたのだろうか。そんなことはない。
あさ、眼をさますときの気持は、面白い。
は太宰治の『女生徒』の冒頭部である。パクリの太宰らしく、こちらもどこまでがそうかがわからないが、字句を整えるくらいはしたと信じることとする。
朝の寝床の中で、私はいつも厭世的だ。
ここから、夏目漱石の「厭世病」を思い出すが、その説明も夏目漱石の”two infinities"を思い出させる。
胸がどきどきして
が『暗い押し入れ』と『小さい箱』から説明される。感情の幾重にも折り重なって、しかし、中心は『虚無』であることの比喩だ。『胸』が『どきどき』するとはそういう『名状しがたい』(梶井基次郎『檸檬』※)ことの鈴生り(鳴り)で解釈される。
※大正14年(1925年)1月、『青空』創刊号で発表。『女生徒』は『文學界』4月号で発表。昭和14年(1939年)。
そして、こう繋がる。
朝は、意地悪。
「お父さん」と小さい声で呼んでみる。
もともとが19歳の日記だったのだが、14歳に変えられている。
日記を書いた有明淑は「高女」出身の才女で(東京新宿区の成高等女学校)、
旧制中学校 - Wikipedia
高等女学校 - Wikipedia
卒業後に書いたものを、太宰が、有明淑の父親が死ぬ前に変えているのであった(父親が死んだのは高女卒業直前だったらしい)。
『くるまの娘』の試し読みができる中で、『かんこ』と出て来るのは17か所ある。
『かんこが』は1か所。残りのほとんどが『かんこは』であり、『かんこを』は2か所、『かんこの』は1か所である。
『かんこを』の主語は『物理の女教師が』と『体育教師が』であり、『かんこの』の主は『かんこの話し相手は』(担任、カウンセラー、医者)である。
『おいおい』と『おいおいおい』とをつぶやく主人公であったが
ある朝、目覚めたかんこは気分が晴れやかだった
これが主題だろう。
【試し読みほか】
www.kadokawa.co.jp谷崎潤一郎 細雪 上巻
芥川龍之介 藪の中
太宰治 女生徒
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