文章はやっぱり苦手で、どうにもジェンガをしているのと変わりがない。
構造が不安定で仕方がない。
コピュラは、或いは、インナーマッスルで、しっかり鍛えるにも、疲れて仕方がない。
どうしても大きな筋肉に偏ってしまうのだが、それでは使える文体にならない。

 

社会の影響を受けて浮き沈みをするから二流の人が好きなのだが、二流とは言えない、「セミ・キャリア」の人たちがいる。
中でも日本三大セミ・キャリアと名付けたい、要は、帝大に進んだエリートのはずであるが、何かのはずみで選科生になってから当時にあっては辛酸を舐めた、西田幾多郎鈴木大拙谷崎潤一郎である。彼らが、今で謂うミドルマンとなって、社会に相当程度の影響を及ぼしたことがうかがえる。勃興した雑誌業界で編集者となって、社会へ訴えかける道を目指した二流の人よりも、上座にましまし、「先生」と呼ばれた人たちであるが(したがって、二流を目指して上京した地方の若者の世話をする側の方の人。)、確かな学識を備えているようで、本格的な留学経験がない点で、いささか怪しい。

西田幾多郎は、数学の世界を勘違いして離れてしまい、フレーゲフッサールの起こした革命を見逃してしまった。カントで行き詰まって、反革命的なオカルトブームの日本的転回である新仏教に没入した。上杉慎吉美濃部達吉もそうだったが、行ってみないと、いや、本人に聞いてみないと、実際のところ、よくわからないのが、ドイツ人だったのだ。美濃部も後から随分と後悔した。その点、高木貞吉は、イギリス仕込みの菊池大麗の指示を無視して、勝手にドイツへ行って、ヒルベルトに直接師事した。世界的に大きな成果を残したのであった。

 

谷崎潤一郎がよくわからない。

ここは大阪人の筒井大先生に聞くのが早いんじゃないかと思った次第である。
ちょっとした思い付きでは、ウォルター・ベンヤミンの「アレゴリー」との、「世間」の近さで、所謂芸道の「序破急」を破って、そこに美学だけを残した格好を想像してみた。『大菩薩峠』後の「荒涼とした、一つの仏教的心世界」と対峙して、非仏教が描かれたのではないかと思うと、芥川龍之介との「物語論争」のひとつの決着であるとも思えるし、耽美主義が近代的個人の近代性ゆえに陥る「リアリズム」が帰結した変態文学に堕した自らのスタイルを超える新しい耽美主義を提出したと考えると、そのとき、「王朝的」として紫式部と比較するよりは(そもそも『源氏物語』は小説乃至近代小説ではない。)、大阪という土地柄ゆえの、  であるとか心学であるとか、近世的な土着の信仰がバックボーンにあったのではないか、ならばむしろ、江戸なのではないかと思ったのである。

細雪』の冒頭文はともかく、最期の「下痢」云々は、俗論心理学の「お約束」のネタである。ここで、「俗論」とは、同名を冠して出版した  骸骨の説明を意訳すると、大衆の啓蒙のために、生活実感に即した具体例を挙げて心理学から説明するもので、今でいう「トンデモ」というよりは、専門家との共著による、或いは専門家の監修を受けた、自己啓発本、クイズ形式の趣味本乃至実用雑学書である。


【メモ蘭】

ハイデッガー 心身二元論 ベルクソン 

 

当時の心理学のターゲットのひとつに「知能」があり、ひとつに「変態」があって、これとは別に、当時問題になりつつあった都会の孤独世帯を生んだ社会状況に鑑みて考察を加える(社会)解説が体制側にあった(新宿大久保村の「出歯亀事件」。興味深いのは、実際はそれほど上顎が前突していなかったとも言われるのでーただし、当時比ー、ウンベルト・エーコに通じる「醜」のイメージの形成である)。

すなわち、オーソドックスには、心理学から「変態」を説明し(なお、法学、社会学からは、猟奇的な動機を生む「孤独」を説明する。)、哲学から「美学」を説明するところを、哲学から「変態」を説明し、心理学から「美学」を説明したのが、谷崎潤一郎であるが、なんでそんなアップサイドダウンなことができたのだろうと思うと、定義に従って、やはり「二流」だったのかなと思うのであった。悪口ではない。社会に迎合しているのである。

谷崎は実は与謝野晶子を見ていたのではないかと思わないでもない。
与謝野晶子は高女出身で、新興著しい一階層を形成していたのであるが、どうにも賢くて、フランスの耽美主義に潜むロジカルな側面を自然と会得してしまったのではないかと思う(山田詠美のような人で、生まれつきセンスのある人は居る)。「よいではないか」と思うのは早計で、海外は遠くに在りて想うものだった時代に在って、それでは浮いてしまう。大いに叩かれて、ふつうの「大阪の女」になった。なるほど、谷崎は、そっちを見て取ったのだと思う。谷崎にはこういう社会に対する柔軟さがあったのではないかと思う。

与謝野晶子は生涯に2度源氏物語の現代語訳を世に送り出している。このうち一度目の「与謝野晶子による源氏物語の現代語訳」は、「初めて行われた源氏物語の現代語訳」として、完成当初から広く出版され、谷崎潤一郎など他の源氏物語の現代語訳の成立にも大きな影響を与えるなど源氏物語の普及に大きな影響を与えたと考えられている。

与謝野晶子訳源氏物語 - Wikipedia

与謝野晶子は言語センスに優れていたと思う。

この与謝野晶子訳が出来て以後は通常この与謝野晶子訳が「源氏物語の最初の現代語訳」であるとされるようになった。

与謝野晶子源氏物語 - Wikipedia