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シェークスピアは16世紀のヒトだから、その時代のヒトらしい考え方をしていた。
つまり、生きようか、死のうか、英雄的に選択に迷っていたのではなく、死ななあかんけれど教則通りに死ねないから弱ったなと愚痴って、オフィーリアにあたっていたのであった。それがキリスト教伝統の体裁(問答体)に沿って展開されている※。今ならとんでもないモラ男である。
しかし、その問答とは、聖職者が質問を発し、それに一般人が答えるということを中心に展開されていた。ところが、日本人向けに問答集を作るにあたって、その関係が逆転した。一般人が聖職者に質問を発し、それに聖職者が答えるという形をとったわけである。
👆思い出す人が居ないと、死者の国には居られない。
👇キリスト教の影響で、死者は生者に懇願するようになった。
というのは、日本にこの体の話がないかというと、ありそうだからである。
「反対」の話でわかりやすいのは、古事記の「伊邪那岐命と伊邪那美命」である。
女人先言不良
これを読み下すと、
女人先 に言へるは 良 からず
されに、
因女先言而不良
これを読み下すと、
女先 に言へるによりて良からず。
(参考)
古事記の原文『イザナギとイザナミ』
古事記の原文『国生み神話』
これも同じように、(現代の科学の代わりに)或る結果を導く行為が価値評価される〈作法〉として描かれている。自然法則と価値評価が一体となっている。
子を産むには子を産む〈作法(法則)〉が在り(古事記)、死ぬには死ぬ〈作法(法則)〉が在ったようである(ハムレット)。女性はイイ面の皮である。
👇母子相姦が、神の怒りに触れるとされて、親殺しと並ぶ重大な犯罪であり、それを言い立てる「母開」の悪口まで、他の(身分上の)悪口とともに、中世で罪とされた。
これだとさすがにシェークスピアと比較できるのかと思うのなら、『雨月物語』がある。
言いたいのは実はこれであった。
或いは近松門左衛門にあっただろうか。
落語にはあったと思う。
近松門左衛門の浄瑠璃作品は、その研究の最初期において、シェイクスピア悲劇と比較され、人間性を表現した作品として評価されてきた。それらの研究では、近代につながる資本主義や民主主義の萌芽を見出し評価しようとするため、近世における仏教の影響、近世封建社会における規範、朱子学の発想など、多くの要素が見落とされ、あるいは低く評価されている。
なんだかよくわからないが、『枕草子』(中原思想:道教)と『源氏物語』(仏教)にあったエリートに拠る政治イデオロギー対立は、近世になると、町民の中でほどよくこなれたようである。
「情念」とは仏教からでたのだろうか
https://acaddb.com/grants/projects/296653
『源氏物語』は「生霊」も生んだが、「情死」も生んだのか。「憂世」と「浮世」の話らしい。
そうすると、
死ぬとすぐに哀哭し、「復」という招魂を行なった。屋根に上り北にむかって大声で死者の名前を呼び、天に昇る魂を呼び戻そうとしたのである。
は、実は、
仏教の「この世は四苦八苦だ(つらいものだ)」とする考えと、儒教の「この世は素晴らしいものだ」とする考えは、ある意味では対照的だ。
こういうことだったのだ。そうして、
仏教が中国に伝わった時、この相反性を何とかするべく、仏教にはそれまでなかった「孝」の思想を『盂蘭盆教』や『父母恩重教』の経典として新たに作り導入することで、中国での普及を図ったのである。
となったらしい。
さて、『雨月物語』の『白峰』である。この話がことのほか好きだ。
問答形式としては、1対1の「法論」の伝統に則っている。
丸山が関心を示さなかったのは、なぜか。
丸山は戦後の復興の要請でどうも神格化されすぎていて、意外に大したことがないところがある。「思想界の巨人」というより「急場の繋ぎ」といった趣である。
いや、彼は(実際)もっぱら政治学者であって、政治が人間を原基とした秩序形成を追求するものであるから、どうしてもそれを本則に考える。この点、実際に言葉を作ってきた、(「英語」を作った)シェークスピアにしろ、(「独語」を作った)ルターにしろ、(「日本語」を作った)井上毅※にしろ、丸山と比べられない。
ただ、同じく「リベラル」であるラッセルは、論理学上の金字塔を打ち立てたにも関わらず、人間を原基とする習慣を捨てきれず、中途半端な印象を残した。
戦後復興が何であったかの内幕でもある。
※男女一人ずつに拘るわけではないが、男性なら井上毅、女性なら与謝野晶子(次点で、志賀直哉はどうかと思う。芥川はそれに失敗したのではないか、というのが、この一連の稿である)。言葉というと「熟語」になってしまっているが、ロジカルな貢献で評価した。一般的には、夏目漱石、森鴎外、福沢諭吉、西周あたりが有名であるが。坪内逍遥、二葉亭四迷、国木田独歩はどうだろうか。
夏目漱石、福沢諭吉の造語というのはほとんど嘘?肩が凝る・価値など - 知識連鎖
汝家を出て佛に婬し、未來解脱の利慾を願ふ心より、人道をもて因果に引入れ、尭舜のをしへを釈門に混じて朕に説くやと、御聲あらゝかに告せ玉ふ。
さて、論理学の歴史、伝統に則ってコピュラに拘るのであるが、問答形式なので、呼びかけと地文の「主語」に特に区別がなく、省略される。
原文 | 現代訳 |
---|---|
第1文 第8文 第17文 |
第1文 第8文 第17文 |
(現代訳は、白峰(二):雨月物語を読む,作者:壺齋散人(引地博信)より。)
赤字強調は引用者。
『汝』が使われているのは、3文で、第1文と第17文は〈は〉、第8文は〈 〉(呼びかけによる省略)となっている。
さて、〈は〉が使われている文を列挙すると、
近來の世の乱は朕がなす事なり/こは淺ましき/君はもとよりも聡明の聞えまし/王道のことわりはあきらめさせ玉ふ。/保元の御謀叛は天の神の教へ玉ふことわり/帝位は人の極なり/若し人道上より乱す則は、天の命に應じ/體仁早世ましては、朕皇子の重仁こそ國しらすべき/四の宮の雅仁に代を簒はれしは深き怨にあらずや。/天が下の事を後宮にかたらひ玉ふは父帝の罪なりし。/崩れさせ玉ひてはいつまでありなんと、武きこゝろざしを發せしなり。/君が告せ玉ふ所は、人道のことわりをかりて慾塵をのがれ玉はず。/天皇崩御玉ひては、兄弟相讓りて位に昇り玉はず。/本朝に儒教を尊みて専ら王道の輔とするは、莵道の王、百濟の王仁を召して学ばせ玉ふをはじめなれ/漢土の書は經典史策詩文にいたるまで渡さゞるはなき/此書を積て來たる船は、必しも暴き風にあひて沈沒む/我國は天照すおほん神の開闢しろしめしゝより、日嗣の大王絶ゆる事なき/御旗なびかせ弓末ふり立て寳祚をあらそひ玉ふは、不孝の罪/これより劇しきはあらじ。/天下は神器なり。/重仁王の即位は民の仰ぎ望む所なり/道ならぬみわざをもて代を乱し玉ふ則は、きのふまで君を慕ひし/けふは忽怨敵となり |
である。〈が〉は未だ使われていない。〈が〉の後発的な制度補完性にも、できれば、いずれ着目したい。
そうすると、現代文に翻訳して読む場合に、それに倣うべきだろうか疑問が浮かぶ。
私の読んだ印象では、そうではない。
原文 | 修正現代訳 |
---|---|
第1文 第8文 第17文 |
第1文 第8文 第17文 |
より砕けた文章にすると、「お前は知らぬが、近頃の世の乱れはわが仕業なり。」
こうすると、前者の〈は〉と後者の〈は〉にニュアンスの違いが出るように感じるが、すなわち、構造(を与える語彙)/様相(を与える語彙)を実証/解釈に近づけつつも、ルターによる所有格の発見からこれまで考えてきた通り示唆/含意の区別から考えると、すなわち、と内容を与えられる〈は格〉(措定辞;恩寵としてすでにわれらのうちに「在る」格)と関係によって位置を与えられる〈が格〉(指示辞;典拠に示される通り従うしかない格)の区別から考えると、前者は「お前は知っているべき」の反語であって、示唆を含意するし、
下手なことを言うと、マルティン・ルターといっしょで、(むしろパラドックスを適示することでルターの発見を完成させた)フルドリッヒ・ツヴィングリに反駁されそうである。