芥川龍之介『歯車』理解の準備②

 

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飛び飛びとなるが。

 

【1-1】 近代国家の基本構造                (司試55②)

【重要論点】

  1. 市民革命と近代国家の成立
  2. 近代国家の特質としての「合理主義」
  3. 絶対主義国家と近代国家
  4. 近代国家の変容ー近代国家=立法国家の行政国家化ー

P3,政治学演習〔改訂第2版〕,西尾林太郎,早稲田経営出版

今見て気づくのが、『市民革命』『近代国家』『絶対君主』の当然の、、、配置である。

これが当時の政治学上の基本的な理解の枠組みであった(初版は昭和61年)。
今もそうだろうか。
この枠組みは相当狭い見方であると思う。

『市民革命』を過大に評価するばかりに、『近代化』と『国家化』を当然に統合して理解し、それを支持するために、反対側に『絶対君主』を措定するテキスト構成となっているのが、その特徴であり、政治学にしても、法学にしても、それが標準的な理解であった。

「近代化」と「国家化」が統一して訪れたのは、後発近代国家である日本の状況で在り、そもそも市民革命の多様さ、不分明さが、最近、批判(歴史の見直し)の対象となっているようだ。
これは「ポストモダン」と謂う学問上のファッションとも関係するが、西欧中心のイデオロギーに過ぎなかったのは、日本においては、非キリスト教国家であったがため、「逆コース」を辿ったことからわかる。
実は、平成のころには、絶対主義国家が前提とされるべきかには相当疑義が呈されていて、それは「近代化」の一般性をどの程度信じられるかと関係していた。「絶対主義国家」が西欧の特殊な歴史であるとき、「近代化」が西欧の特権となりかねないからでなかったかと思う。

西欧の特殊事情から考えるにしても「近代化」とはポスト・キリスト教社会化※であり、善の器として社会を準備する観点からはまぎれもなく「社会主義化」であり(神無き社会の善の実現)、しかしそれに正統性を与える自然法の受容が決定的である。

※乃至世俗化であって、社会からキリスト教を排除することを意味するのではない。移行的な様相を持つ社会で在り、いまだキリスト教の影響を残している社会であるので、ここに、日本のような国や、場合によっては、啓典を信奉するイスラム諸国も入って来る。「工業化」「資本主義化」と言ってしまうと、狭い解釈となって捉えきれていない。また、テキストでは「教会」「領主」から絶対主義を、「官僚機構」「常備軍」から近代国家を説明しており、時代を感じさせる。


日本の場合、それが伝統的な小日本主義/大日本主義の文脈に乗って、在野哲学から「狂信的」と揶揄される程度の理解が徐々に改まってゆく過程で、大日本主義という国際主義の準備を進め、拡張路線へと向かうのであった(「小日本主義」をただ大正時代の政治状況から理解すると、明治時代を見失うという陥穽に落ちる。普遍的哲学が小日本主義の国内政治重視から軽んじられたのだった。井上、穂積、上杉はその初期の人物であった。ただし、ゲルマニストである。これを固有主義と訳すと見えにくくなるが、アルタナティブな普遍主義であって、それを根源的に規定するのは、ローマの普遍主義への対抗性であることを見失ってはならない。したがって、「真に固有的であるのか」を常に問われてなお、答えられない)。
ここで興味深いのは、神道の後塵を拝するばかりと捉えられがちな仏教の影響の広範さであるし、また、発展の軌を一にしたアメリカの影響と留学した米学派の影響の再理解の動きである。意外に、アメリカの近代的発展の理解が参考になる(アメリカにもドイツ派が浸透していたし、アメリカにもゲルマニストは居た。アメリカにおけるヘーゲル受容は社会に決定的な変容をもたらした)。女性史を考えるうえでも、医者がドイツ派に偏りがちなのにくらべて、「看護婦」教育に関してアメリカの独壇場ではなかったかは重要である。

【答案作成上の注意】

  1. 設問そのものが若干あいまいであるため、論点が絞りにくい。近代国家全般にわたって問われていないことに注意したい。「基本構造」を問題にするわけで、近代国家を支えた理念や原理そして統治機構の特色等を問題にすればよい。
  2. 制度論的に統治機構についてクドクド並べたてて書かないこと。
  3. 17世紀以降現在にまで及んでいる国家を近代国家として捉え、その構造的変遷(立法国家→行政国家)について述べるのもよい。

〈参考文献〉

  1. 「政治」p.198~225
  2. 「副読本」p.26~52
  3. 「基礎知識」p.59、99、102、103、104

P4,政治学演習〔改訂第2版〕,西尾林太郎,早稲田経営出版

1.「政治」1969年

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★★★★★濃密な内容、アイディア満載
2008年9月18日に日本でレビュー済み

具体的な内容については例えば、議会制の原理を「政治上の喧嘩」としてみる視点、そこから考えると多数決原理はその喧嘩を決着させる原理として考えられ、多数決原理は議会の論議を問答無用と化す効果が誘発されやすいので、その部分を補完する為、あるいは多数派を固定化させないために討論の自由が担保されなければならないとする考えが併せて必要とされた、という部分を読むと議会制についての考えが整理されるし、また、討論の自由が機能するという考えの背後には、言葉は事物を明らかにすることが出来るという、言葉の効用に対する確信があるのだろうし、そんな確信が広範に共有されない時、あるいは言葉が実際の状態や特定の意図を覆い隠すことにばかり用いられているとき、他者の意見によって自分の意見を変えることが抵抗なく出来る空気が醸成されていない時などには、討論の自由はカラオケ大会になってしまう虞があるのでは、など、いろいろ考えを広げることが出来る。

2.「副読本」1977年

3.「基礎知識」1978年(新装版)

有斐閣から1975年に出された「現代政治学の基礎知識~基礎概念・理論の整理と検証~」という本がある。当時、政治学の教鞭を取っていた53人の教授・准教授が310の問題に対して、それぞれ担当した問いの模範解答を記している。世界政治から国内政治、地方自治まで様々なレベルの事項が問題・解答形式で読める本である。

アマゾンの紹介文より