プラグマティズムの時代

 

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小さすぎて読めないが。 

 

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【訂正】
』が意味不明だが、山月記プラグマティズムが増淵で、それと対峙して社会主義リアリズムが荒木だろうという見立てである。
あと、訂正するとしたら、👇のような視点からで、政治哲学までは踏み込まないが、フィッツジェラルドプラグマティズムから影響を受けているか(そうして、宗教の排除を志向する村上との対立は明らかだが、そういった点から決定的になるか)。
ジョン・デューイはどうして宗教哲学者なのか――アメリカ哲学における宗教・政治・消費という論点をめぐって――

ここに、日本の「刑法の時代」を重ねられるか。

 

16~17世紀のイギリスでは、驚くことに現代と同じく多くの起業家が現れ、新規プロジェクトを立ち上げてイノベーションを起こし、世の中を変えていった。当時のイギリスでは、高価な外国製品への依存度を下げるために輸入代替政策がとられたが、これが各種の起業を生んだのだった。産業は多様化し、雇用が創出され、増加傾向にある人口は労働市場に取り込まれ、経済が拡大していく。しかし、これも現代同様、富は人々を腐敗させ、産業活性化のための特許制度は歪められていく――。グローバル経済の胎動期を活写し、現在に続く市場倫理の問題を明示した経済史の名著を文庫化。
解説 山本浩司
(商品紹介より) 

 👆がなぜすごいかというと、👇の最盛期だったから

15世紀後半~18世紀後半、4万人以上の魔女が殺戮された。中世ではなく、近代黎明期に魔女狩りが大流行したのはなぜか? 「魔女狩りとは何か」という問いかけは、「ヨーロッパ近代とは何か」とイコールである。魔女狩りとヨーロッパ近代誕生の関係を新視点から解き明かす。視覚文化論、哲学、宗教学的な知見を盛り込み、魔女狩りの歴史研究を通したヨーロッパ近代化論、および人間存在と人間文化を探究した冒険的著作です。(講談社選書メチエ) 

魔女狩りは、「女性差別」とともにあって、やがて男性を巻き込みつつ、その禁止原理が憲法原理に組み込まれたが(規範的due process of law/c.f. 実体的due process of law)、移民差別(人種差別)に向かった経緯がある。

「視覚を中心とする感覚の近代化」「自然認識の変容と近代化」「他者・社会的周縁の排除と近代化」

 

なお、「時代」は、ベルグソンのような客観(『空間』)/主観(『意識の流れ』)の区分ではないが、グランドセオリーによる転換を以て意味を画す目的的な時間の区切り方であって、ケルゼン流の二元論の系譜に連なるが、ケルゼンと異なるのは、カント的な「そのもの」として見えない規範に従うのではなく、方法的に根本性を表現するグランドセオリーにそれぞれが従いつつ(表現で止揚可能。ケルゼンは「厳密」に無限を表現しえたわけでは決してなく、無限に陥る様を素朴に述べたに過ぎない。)、ベルグソンと異なるのは(ベルグソンが一元論派なのか、二元論派なのかは知らないが)、世界が集約される目的論的にそれが従うのではなく、それぞれの目的的に従う『自由』を持つところである。
いわば、エリートの「変節漢の自由」といってよいし、「変節の自由」と言ってもよい。

ベルクソンは、空間的な認識である分割が不可能な意識の流れを「持続」("durée")と呼び、この考えに基づいて、人間の自由意志の問題について論じた。この「持続」は、時間/意識の考え方として人称的なものであり、哲学における「時間」の問題に一石を投じたものといえる。

アンリ・ベルクソン - Wikipedia