芥川龍之介『歯車』理解の準備④

 

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  1. 学習文化からの保護 ・所属レベル
    情報格差の解消)
  2. 学習環境の改善   ・家庭レベル
  3. 学習態度の涵養   ・個人レベル

同性婚を考えるとき常に言上げされることに、婚姻の承認機能があって、制度の本質である補完性から派生する、社会への帰属要請の強さに驚く(単に社会調整のメカニズムと考えると、婚姻にこのような意味での、即ち、「帰属」と結びつけられた承認機能を考える必要が、まったくない。これが「司法案件」であることろで、法哲学の課題が潜んでいる。効率性の問題と離れて、法と価値付与の問題なのだ)。

一人「婚姻」のみがそうであるかというと、昨今のワーディングにあるところの「学習歴」にも同じ問題があることに、社会に出てから驚かされた。
虐めとは別に、学校で傷ついた経験を持つ者が少なからず居るのだ。これが不思議なことに、一見まったく独立した問題同士に見えて、共通する問題を胚胎する。

自分たちのころは、特に自分のような「転校生」だと、或る意味で「まがい物」と言うと語弊があるが、「勉強」が「文化的構築物」なのが当たり前で、それに習う、というよりむしろ条件として、、、、、それに倣うのであるから、また小学校の3年生にもあるとみな「学習指導要領」の存在を知って、自分たちの行っていることが(漠然とした)「勉強」ではなく、「評価対象」と「評価基準」とを以て為る、機械的(効率的な)で機会的(求めアレバ)な応答準則を見る「性能評価」に過ぎないと知り、サンタクロースとまったく同型の「勉強」という「贈与」に関するファンタジーに漬かっていた※のでそれに違和感を覚えたのであるが、それもほんの一瞬で、むしろ小さいころから「博打」を訓練される世代でもあったから(物心ついたころから、花札、トランプが最大の「ゲーム」で、慣れ親しんだ。或いは、学校に通うことで、牛乳瓶の蓋の取り合い、メンコなど。)、ゲームとしての「勝負」に順応するのにーただし、まい進するのとはまったく違う。「O.K.それで行こう」と快諾すること※ー苦もへったくれもなかったのであった。

 

『兄「どうしてオレがずるいのだ。お前ならどっちをとる」』

まことに奇妙な疑問を呈することになるが、わたしたちが何らかの「対象」を選んでいるとき、わたしたちは本当にその対象を選んでいるだろうか。このような奇妙な質問を発するのは、実は多くの場合、明らかに対象を選ぶのではなく、むしろ、選択の根拠を選んでいるとしか考えられないケースが存在するからである。

P295 Ⅷ多様性の中に調和を 二 選ぶモノと選ぶコト(上掲)

これは、アマルティア・セン(インドの経済学者、倫理学者など。貧困のメカニズムを研究して、アジア初のノーベル経済学賞受賞。1933年生)が論文の中で用いた対話である。
すごく身につまされる話で、忘れないように付箋が貼ってある。要は、この程度のことは、当然に理解する環境だったのだ。

 

 兄「どうしてオレ〈が〉ずるいのだ。お前ならどっちをとる」
 弟「どうしてお前〈は〉ずるいのだ。オレならこっちをとる」

 

すなわち、云われずとも、この2文が構造的に同義であると、即座に理解できなくてはならない。理解が及ばないことは、同意という、その実「負け」を帰結する。

実際のセンの説明では、きちんと会話になっていて、弟『僕なら小さい方をとるな』兄『じゃあいいじゃないか。オマエは(以下、省略)』弟『・・・・』と終わるのであるが、この沈黙が、言外の言を伝えている。すなわち、

「謙譲の精神」という選好動機を「自己本位」という選好動機よりも優先して考えているのである。

P296 同

そう言えば、ハムレットの有名なセリフも、コピュラが省略されている。この会話も実を言うと弟の『お兄ちゃん。ずるいよ(以下、省略)』から始まっていたのだ。

以前、それを40通りの訳と比較して、これは約しようがない(反語的な意味合いで、いきなり死ね言われてもなぁ、という愚痴。)、と言った。
なぜなら、文末に係っていたからだが、それがまさに実証的な〈は〉の役割だったので、もう少し丁寧に言うと、

 

 いきなり、死ねなんてこと困るやんか。それ〈は〉、以下詳しく言うけどな。
 ただ、それが問題や。

 

という、日本だったら、松竹の舞台にかけられそうな話である。
ただし、この『問題』は、キリスト教文化における問答体で、問われるのはハムレット=観客となっているのではないか、と思う(日本の問答体と反対)。つまり、(日本人好みの解釈にいかにもありそうな)勝手に死生観を披露しているのではなく、キリスト教の教則に沿って考えているのだ。だから、ハムレットが困っているのも、そのせいである(だから、結果として、文中のどの語にこのセリフが係って来るかも、自ずとわかるようになっている)。
そして、これが、論理の原型である。

 

勉強が「サンタクロース」。しかし、8歳のころには、「サンタ」は「信じる」ものではなくなった。

 

 

さて、その年齢(精神活動の発達)に応じた理解の深め方を念頭に、大学の授業を先取りして有頂天になるよりむしろ、高校生の基礎的な教材を用いて学び、十分訓練されることを目指す。

次の3つのテーゼを満たす

  1. 説得的と論理的とは同じであるとは限らない
  2. 論理と文法は異なる
  3. 論理と論理的文章は異なる

 論理とは評価システム(セット)である。

 

本当は何をしたかったかというと、コピュラの表現する実在性の題材として芥川龍之介『歯車』を見たとき、他の文章との違いについてであった。

例えば、

環境省_動物愛護管理法 [動物の愛護と適切な管理]

動物愛護法というと、ペットを愛する人たちにはおなじみだが、器物損壊罪との違いがある。

wanchan.jp

ここで触れられていない(というより、おそらく、「器物損壊罪」で纏められている)「動物傷害罪」もある。

〈は〉 〈が〉

第一条 この法律は

第二条 動物を取り扱う場合には

第三条 国及び地方公共団体

第四条 動物愛護週間は

第四条 動物愛護週間には

第五条 環境大臣

第五条 基本指針には

第五条 これを変更しようとするときは

第五条 これを変更したときは

 

 

 

第七条 動物の所有者は

 

 

 

 

第二条 動物が

 

第四条 その趣旨にふさわしい行事が

 

 

 

 

 

第七条 第七項の基準が

第七条 その所有する動物が

第七条 みだりに繁殖して適正に飼養することが

第七条 環境大臣

第七条 基準を定めることが

第九条 必要な措置を講ずることが

第十条 販売の用に供することが