ゼレンスキーの演説の解釈や、イスラエルの態度の評価は分からないから、脇に置くとして(ドイツでの演説が、開戦初期のドイツ外交への怒りに基づくものとの指摘もあり、開戦初期のイスラエル外交に対する何かしらを含んでいるとも想像できるが、それは、様々な解説に敬意を表するが、自分自身に対しては留保することとする。真意を探るのは今はナイーブな問題だ)。

1:19の解釈について

ユダの手紙(口語訳) - Wikisource

ユダの手紙 - Wikipedia

エノク書 - Wikipedia

オリゲネス - Wikipedia

そうではなく、オリゲネスで、このギリシャ教父はプラトン主義者であること(「芽」の比喩)が着目されやすいが、「ソクラテスの科学」を学ぼうとしている立場からは、そのギリシャ人的な発想、ニュートンもそうであったグノーシス主義との関係が興味深い。
こういう人も居たのだな。


かつて、こういったパピルス文書もあったらしい。

ティマイオス - Wikipedia

日本人としては大正新仏教における仏教とプラトン主義との接合が、後の(太陽信仰とも関係した)「日本主義」にどう影響したかも興味深い。

 

なぜ、「戦後」は石原慎太郎なのか。

中島岳志は、教科書的な理解に終始する人で、「正しい保守」などと言って、自然科学とは区別される人文学の経験主義(素朴実在論から素朴な帰納主義まで。)をないがしろにした主張をする、つまりはステレオタイプな「主知主義」に依存するリベラリストではないかと思うのだが、この本の目次を見ても、戦前との繋がりを無視しているようだし、三島由紀夫安藤昇一橋大学も父石原潔も出てこないようだ(三島由紀夫はボクシングとのかかわりで触れられているかもしれない)。
ただ、「大衆」に着目していることは良い点で、それでもハイカルチャー石原慎太郎の役割をサブカルチャーで果たした梶原一騎などおくびにも出さないのだろう。

それで「戦後日本史」のように、「史料」の間を、想像で埋めているだろう。
『暗い「戦後」から明るい「太陽」の時代へ』とは岡本太郎の話だろうか?

白村江の戦いで、半島に渡って大陸の大群にびっくりした、くらいに「五島勉」である。

 

五島 勉   1929年(昭和04年)11月17日 - 2020年(令和02年)06月16日
石原 慎太郎 1932年(昭和07年)09月30日 - 2022年(令和04年)02月01日

五島 勉と石原 慎太郎は近い年齢で、梶原一騎になると離れるが、手塚治虫とは1年違いである。

手塚 治虫  1928年(昭和03年)11月03日 - 1989年(平成元年)02月09日

この3人の中では、意外と言ったら失礼だが、五島勉がエリートだったりした。
北海道生まれのキリスト教徒(正教会)で、第二高等学校から東北大学へ進んだ。ルポライターとして活動した最初の著書が『続・日本の貞操』(『黒い春 米軍・パンパン・女たちの戦後』)で、もともとが小説家志望だったらしく大学時代はポルノ小説を雑誌に投稿していたらしい。

五島勉 - Wikipedia

戦前と戦後を繋ぐ「太陽(思想)系」に実は五島勉も連なっていて、『ノストラダムスの大予言』は、反ユダヤ主義とも言われるが、「予言」の文言に「太陽」を発見して、その役割を担う日本の特別な使命を説いてシリーズを終えている。

私が敬愛する「二流の人」としては最高傑作で、「ポルノ」「オカルト」(の選択)などは、戦前の「純文学」「思想」(或いは「歴史学」)を、どうせそういうことではないかとぶっちゃけているのだろうと感じられて、小気味が良い。


星 新一   1926年(大正15年)09月06日 - 1997年(平成09年)12月30日

たちを悩ませた徴兵の心配がなくなった後の世代の開き直りだろうか、徴兵されなかった星たちも明るかったのだが、さらに思い切りが良い一方で、独特の正義感が在る。

石原 莞爾  1889年(明治22年01月18日 - 1949年(昭和24年)08月15日
藤澤 清造  1889年(明治22年)10月28日 - 1932年(昭和07年)01月29日

 

この2人は同じ齢だったのだな。
そう考えると、演劇出身の藤澤清造には、何か教養が足りなかったかと思わないではない。
西村賢太はまだまだ伸びてゆこうとしていた。人間というのは不思議なものだ。
ここにも仏教の影響がある。