ルターの反対の操作

韓国が「やらかした」と賑わせているようなので。
韓国は「そもそも」そういう国であることを自覚的に選んでいるので、不思議ではない。北朝鮮がそうであるのと、実は、似通っている。

日本では憲法がほとんど顧みられないので、実学的な理解で、日本と韓国の近さを見て取るからだろうが、憲法的な理解だと、北朝鮮との方が或いは近いかもしれない。
民族的な理由というより、(法政治学的な)「民族」的理由でである。

主体思想 - Wikipedia
主体と客体 - Wikipedia

主体は、言語(述語)の受態を内面化する存在であるがゆえに、それが言語を通じて「一体」となるときに民族となり、言語を通じた政治的側面においては民主となる。
じゃあなんで選挙しないのだとなるが、選挙は形式的に行っても、それは動員機序の表現であるから「一体」でなければ、「民族」の定義としておかしい(「民族」と「民主」は取り上げ方の違いに過ぎなくてそういった意味で同じことでであるらしい。ほかの説明が思い浮かばない)。誰か「怠惰」な者を見つけて処罰しなければならない。
そう考えるとまるでルターの主語のことだが、ケルゼンが形式上主体性を入れたうえで「主体」を排除して主語化したように(形式的再帰化による無限退行の導出。)、形式的に主語性を入れたうえで主語を排除して主体化できるのかもしれない。
ルターの場合、聖書があって、それが正しいことがルターにとっては自明だったが、社会主義の場合、自らの〈自由〉な言葉のうちに正しさがなければならないから、ルターと同じわけにはゆかなかっただろう。そこらへんを唯名論が生んだ「主体」から解明するが次の仕事であるようだ(唯名論が生んだ「主語」がルターの信念で在る一方)。デュルケーム、サンシモン、コントからデューイ、フォイエルバッハへの分岐かもしれない。

反対にフォイエルバッハを遡ると、

改革派教会 - Wikipedia
フリードリヒ・シュライアマハー - Wikipedia
ダーフィト・シュトラウス - Wikipedia
ルートヴィヒ・アンドレアス・フォイエルバッハ - Wikipedia

と居て、注目すべきなのは、

日常言語までを含めた言語的所産の「理解」に関する原理についての一般解釈学の理論を提唱

(フリードロヒ・シュライアマハーーWikipedia

これがシュトラウスの聖書理解にどう影響したか。

そして、言語は、ある時代のある語り手の言説の「文法的側面」のみならず、その語り手の個性さえを踏まえた心理過程を経て言説が表現されるという「心理的側面」の二つの側面を有するから、解釈もその二つの側面に即してなされるべきであるとした上で、直接に理解されるべき対象に向かってその個性を捉える「予見法」と理解されるべき対象を含む大きな普遍を設定し、そのなかで同じ普遍に属する他の対象と比較して理解されるべき対象の個性を探ろうとする「比較法」を用いて、その二つの方法の連続した循環の中から文体と作家の個性のそれぞれに二つの方向から肉薄することによって、豊かな発展的理解の可能性を見出そうとしたのである。

(フリードロヒ・シュライアマハーーWikipedia

赤字強調は引用者。
この強調部分がルターを言い表すらしい。
すなわち、外に出した主体をまた文中に戻す操作らしい。

 

ややこしいのは、係るレーニン主義的な「民族自決」を称賛したのが、アメリカ大統領の、しかも「神の子」を自認したウッドロウ・ウィルソンだったことだ。

ウッドロウ・ウィルソン - Wikipedia
革新主義時代 - Wikipedia

は「禁酒法」と「女性参政権」で有名らしいが、キリスト教的なのか、社会主義的なのかよくわからない社会運動を巻き込んでいたらしい。

ジョン・デューイ          1859年10月20日 - 1952年6月1日

トーマス・ウッドロウ・ウィルソン
             1856年12月28日 - 1924年大正13年)2月3日

吉野 作造                1878年明治11年)1月29日 - 1933年(昭和8年)3月18日

日米の「時差」を考えると、そういったアメリカ社会の様相が吉野の個人史に映し出されていると考えるのも一興かもしれない。なにしろ、吉野は、米学派だ。

(👇は前回の抜粋である。)


markovproperty.hatenadiary.com

そう考えると、同じ「戦後」を出発した、韓国の第六共和制憲法が、より大陸法に近づくのは相当な実験である。韓国の司法判断にいろいろと言われるが、第六共和制憲法は基本的にレーニン主義憲法であって、「民族自決」を謳う。この民族主義による民主主義が国際法一元論とどういう関係にあるかの理解が重要である。これは戦後の国語教育なら荒木繁の主張であり、いまだに社会主義の理解が(批判的に)求められる理由があることを意味している。

植民地を含めた他領土・他民族の強制的「併合」を否定

民族自決 - Wikipedia

👆国際法上の「併合」を否定して、国際法に認められる「民族自決」 

美濃部・立両博士論争の素描-国内法と国際法との関係論について,中原,精一 ,明治大学社会科学研究所紀要(7)PP37-54,1969

従前の「対外国内法」の美濃部と新しい「二元論」の立だが(著者はさらに新しい「国際法一元論」を称揚する理想主義者であるようだー現実的には折衷的な一元的二元論とでも呼ぶべき立場が多くなるだろう。ただし、ニュアンスの置き方で言葉尻が変わって来る。経緯的に言えば「対外国内法」と「一元論」の異なるところが味噌だ。世界政府への信頼と裏腹で、時代背景を感じる)、美濃部のケルゼン批判につながる。 

 👇国際連盟の「真実」(と名高い)

 👇国際連合の「真実」(と名高い)

本書のキーワードの一つは、「『大イギリス連邦の平和』の名の下に『階等的な国際秩序』を認めた平和観」、すなわち、「帝国主義インターナショナリズム」である。> フランス国際政治や帝国主義についての専門家の東京外国語大学教授の渡邊啓貴先生の解説も一読に値します。

 hummingbird
5つ星のうち5.0 叡智と啓発の書!
2016年7月15日に日本でレビュー済み