バーゼル大学と人文主義の果たした役割 

 

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バーゼル学統】

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 【ライデン学統】

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エーテル論を見ていたのだが、なぜこんなに揉めたのか。
いや、天才たちがその能力を惜しまず、揉めることに精を出すことができたのか。
オイラーがミソで、オイラーは関数論を作ったが、ジンバルロックを考えないで済む四元数を考えたのはニュートンの再来と言われたウィリアム・ローワン・ハミルトンであり、ライプニッツの主張した座標系を使わない数学の完成を目指したヘルマン・ギュンター・グラスマンであり、グラスマンの研究がテンソルを生み、それがアインシュタイン一般相対性理論を支えたのであった。
エーテル自体は特殊相対性理論の段階で否定されたようだが、きわめて記述的な問題を胚胎していたのだった。

エーテル (物理) - Wikipedia

オイラーも人であったかと初めてわかった。

ルターは無学な田舎者だと勝手に勘違いしていたがとんでもないことで、当時最高の知識人の一人ではないか。だから、あれだけの運動を起こせたようで、「宗教改革」は、10万人の犠牲者を出した「農民戦争」だったのだ。北ドイツでとどまったが、ルターがもっと政治的野心家だったら、南ドイツにも広がった可能性が大いにあって、ドイツにおける「ナポレオン」になっていたのかもしれない。

ともあれ、論敵であったエラスムスが学問上優れていたとは一概に言えないのは、意外なところで、オイラーほどの天才ががエーテル論を支持するばかりにニュートンの重力論を否定することに拘った事実から浮かび上がる。彼らはそういう学統を為していたのであって、別学統が劣っていたとは言い切れない。
人文主義はむしろ〈自由〉な学風のライデン大学で華開く。それでもデカルトが哲学上優れた画期を為したわけでもない。それはそれまでの神学者に比べてもそうである。
それは「記述」を通して初めてみえてくるものらしい。
言語学上の原理の下に、表現上の技術問題があるのだろうか?
「数学の危機」を迎えて、公理主義も直観主義も、この命題を超えるものではなかったようだ。

 

ルターを考えることが現代において意味を持つのは、直近では国語の中の国語として国語教育の中心にある『山月記』を理解するうえで(アメリカにおいてはどうも『グレート・ギャッツビー』がこれに相当するらしい。『グレート・ギャッツビー』は中高生が教科書で読むものなのだ※)、これがデューイのプラグマティズムの影響を受けたとして大正新教育運動の実践を考えたならば、「子ども」の発見がどのようなものであったかに関わるからである。こうして増淵が否定したはずの規範的方法の採用についての増淵自身への批判が腑に落ちるものとなってくる。なぜ増淵は本質的には規範教育である授業内容の理解に「効率的な方法」を採用したのか。それがなぜ「規範的な方法」として批判されたのか。
また展望としては、この反対に「小さい大人」が居るとして、増淵の考えた規範教育が現代的な負託にこたえるものなのかを考えた方がよさそうである。
それはルターの言葉を借りるならば、「言葉」の動員が弱い「子ども」に対して効率性を高めつつ、その主語として当然に〈能動〉が高まることを求めるのが正しいのかであって、そうではなく「小さい大人」としてその平等に付与される実在性の信頼の元に「言葉」を相互に参照しながら内面化=主体化してゆくのが正しいのか、或いはそれ以外の途があるのかが問われるのである。
※奇しくも村上春樹が『グレート・ギャッツビー』を(書かれた内容を見たときに、その執筆の際の時代背景ー社会主義の影響を受けたシュルレアリスムの勃興ーと社会背景ー第一次世界大戦後にあって、シュルレアリスムと対峙するような、建国精神を呼び起こす文芸復興ーの交叉した特殊性を考えても、著者であるフランシス・スコット・キー・フィッツジェラルドがおそらく想像していなかったであろう)社会主義リアリズムの手法に近づいて「翻訳」(意訳、翻案)しているのであった。

それら規範教育(人格教育、道徳教育)から離れた分析知を貴ぶならば、「芸術としての芸術」としての「言葉」が、本文と一作品としての漢詩として目の前に在るのであって、それが子どもの素直な興味に沿った教育であることも考えられるである。


ウィリアム・ローワン・ハミルトンとは (ウィリアムローワンハミルトンとは) [単語記事] - ニコニコ大百科

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だがそうではない。クサカベクレスは、私たちがより自由なものの考え方を獲得し、よりよく生きるための解決の糸口を探っている。

それを「人文主義」と言うのじゃないかな?
反対に言うと、いつごろからか、「人文主義」がないがしろにされてきたということであって。「人文主義」は「文献主義」と関係が深い。
ヨーロッパなら、エラスムスとルターの対立だし、日本だって、江戸時代の、  だ。
それはともに教条解釈の権力契機に着目している。
それを読む個人の広がりに期待するのが人文主義で、テキスト自身に返すのが規範的文献主義とでも呼んだ方が良い。どちらも教える側の特権を否定して出発点を(教える主体ではなく)文献に置くけれど、主体を移動させるだけで(教える側と同様に)教わる側の〈自由〉を許容するのが人文主義で(だから、『子どもの人権宣言』を帰結する。教える側も教わる側も同じ、、人間として。しかし、だから反対に「欺瞞」が問題となろう)、文献に従う限りにおいて〈自由〉を否定するのが規範的文献主義だ。
それが主体と主語の分離だ。
規範的文献主義では、読む個人はテキスト上で述語の操作対象に成るに過ぎない(だから、述語の導引の強弱を問題にして「子ども」の発見がある。しかし、だから反対に「怠惰」が問題となろう)。

日本の教育においては(専門領域は別として)「人文学」の等閑視がいわゆる「文系軽視」を招いてきた現実があると思う。
それでは反対に「理系重視」なのかというと、これには様相があって、そうとも言えるけれど、「陸軍より海軍の方がスマート」という意味不明な発言に近い場合もある(それは単に歴史的経緯もあって一概に言えるはずがない。)。
要は、市民教育とエリート教育の間にある産業教育である実学重視と即効的な技術志向もある。また、これがここで言いたいことだが、価値中立を装う技術体系であるために(技術者教育という意味ではない。)、合理的な格差を許容しやすい利点がある。

実は「人文主義」は〈自由〉な「文献主義」であるがゆえに拒否されてきた、隠れた歴史がある。この場合、「文系」に対峙するのは「理系」ではなく、「理系的」な「社会(科)学系」である。はっきり言えば、社会主義である。

その理解に於いては、かつてのキリスト教のように、主体の〈自由〉を許さない。その〈自由〉は公平の〈自由〉だからだ。
ひとつは、解釈の是々非々としての〈自由〉であり、主体間の〈自由〉なあり方だ。
すなわち、正統に正義が従属すべきであり(これを口説では「正義」に従うというから混乱する。)、主体相互の違いは無視されるか許されない(一見、エラスムスの「同じ人間」主義だが、異なる人間を許さないという側面が強まる)。
問題はその「正統」が解釈主義の「正統」であって、それゆえの「同じ」(従う)主体だからだ(もちろん、主体主義ではある。主体の〈自由〉の移動がないから人文主義でないだけで。しかし、口説は「同じ」人間主義を採る、口説の正義主義を採るのと同じように)。
分かりやすい教育例は、「三権分立」である。小学生に「「権力分立」であって「三権分立」ではない」と説明するのはかなり混雑である。だけれども大人に向かって「日本は「三権分立」である」とは必ずしも間違いではないが言葉が過少すぎる(なぜ、そう言える、、、、、のかの理由が要る。それは、社会的理解が及ばなくて、小学生には問えない内容であって、小学生と大人の問題対象は本来異なるものである)。同じ「人間」であるとは、係る事態を言い、「社会主義的事態」であると謂えるかもしれない。

そのような事態の揺り戻しがようやく起こって、文献主義に帰って解釈主義から解放され始めているのである。
また一方で、文献主義に帰って、規範的文献主義に向かっているようである。これは非難ではない。

例えば、「大東亜戦争」と呼ぶべきか「アジア・太平洋戦争」と呼ぶべきかは、主体を中心に考えるかの問題といってよい。それは実はシステマティックリスクの負担問題で、主体を排除するわけではなく、社会主義的な学識であるにはあるが、事実認識のリスク負担からは主体を開放する(しかし、主体から逃れられないことは、「見方」を排除しないことからわかる。この場合、「見方」間では危険を胚胎する)。この選択は、社会的利益がより大きいだろう。

要は、「文系」学問は主体問題が掛け合わされて、「理系」のように(価値中立に見える)技術習得の格差受容に帰着せず、価値に根差して匙加減一つになりやすいのである。

例えば、取り上げられたギリシア哲学であるが、私の困難に感じていた『法思想史』と同じ状況にあったのだろうと思う。解説論理なのだ。「この人」については「こういう業績がありました」という「業績名」紹介文書であって、その文脈に沿って説明を膨らませるから、読まされる内容に沿って不十分でないように見えるが、結局わかるようなわからないようなことになる。構成論理でないのは、問題に照らし合わせればわかる。説明力の弱さがたちどころに露見する。反対にそのような問題に十分な説明を与えなければならないからこそ、厳密な構成論理が求められる。解説論理では答えがアドホックになって不安定なのだ。
これを糺すためにはやはり文献主義が必用で主体性を排除しなければならない。文献の持つ機能的価値に着目しなければならないからだ。
翻って挙げられている哲学の説明を見ると、そういった意味での説明力が増しているような印象を受ける。構成的なのだ。

しかし、それは一方で、解釈主義を志向してきた昨今までの社会主義的動向に反する。なぜなら、「理系」学問のように、格差を受容しなければならないからだ。
それがリテラシーの問題である。
「わかる」ヒトと「わからない」ヒトを必然的に分別する。
これからは人類平等の「三権分立唱和主義」というわけにはゆかなくなっているようである。「マニュアル」は誰をも排除しないためきわめて「民主的」なのであった。
それがこの国で「工場における民主主義」「軍隊における民主主義」を成立させてきたのであった。この国の民主主義を支えたのが普通選挙だけではなかったことは事実であるだろう。

しかし、それが現在に至って、むしろ深刻な民主主義の問題を惹起しているようである。それが「小さい大人」問題であり、報復的な反フェミニズムであるだろう。
社会結合に動員契機(正統、帰属)は、回復契機(正義、帰依)とともに必要なのであった。人権教育が急務な理由である。動員力が弱くて、回復問題が噴出しているのではないだろうか。

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この2人が「がっぷりよつ」になる事態がどうなのだろう?
と思わないではない。