こうなるともはや自分でも何をいっているかわからないが、吉本ばななと岡崎京子のとくに吉本ばななを理解するきっかけをえたようだ。
彼の逆説的な教えをいかにして宗教的関心事に結びつけるかを知っていた
物理学は美しいね。
問題は、フロギストン(燃素)だ。
フロギストンが、ニュートンに倣って、バトンリレーされることが意義深い。
さて、フロギストンを擁護したのが、近代科学の父ジョセフ・プリーストーリーだが、この人がユニテリアンで、合理的な科学とキリスト教の統一ができると思っていた。
彼がフロギストンを信じたのはおそらく、ニュートンが媒介としてのエーテルを否定したからだ。強弱として現れる秩序と(というとフィヒテみたいだが、彼と違うのは、道徳に制限しなかったことだろう。)、秩序の対象としての実在だ。
キリストや聖書が媒介であるかは議論のあるところだが、ユニテリアン派としては、「媒介として」のキリストも聖書も否定したのだろう。神は神だけであり、聖書は合理的判断の対象である。神の恩寵である理性はすでに被造物に宿って、媒介を必要としないゆえに「聖書から(啓示)」を必ずしも求めることではなく、世界を満たす言葉を伝わるものではない。それがむしろ言葉として放出されるのであるのであるから、聖書の言葉と照らしあわされるものである。それがモダリティだろう。
そしてモダリティーがフロギストン恒等式を与えるらしい。
要は、これは実在に関しては、数学の4源流のうち、簿記による「表解(公平)」であり、秩序に関しては幾何による「図解(開閉)」である。
さて、ニヒリズムだ。
否定論法だ。
ニーチェもキリスト教理解の文献学的伝統(それ自体もはやキリスト教理解の伝統的理解だが。ややこしい。)に沿って、二系統を立てる(こういうことも、体系的に同語彙を用意すればよいと思う。でないと、ニーチェがいかにも画期的なことを述べたようではないか。そんなことはない。)。
1受動的ニヒリズム:実在論:回復契機(導出:「もたらされる」、正義、多寡)
2能動的ニヒリズム:秩序論:動員契機(導引:「引き上げられる」、正統、強弱)
それを踏まえて
1満たされ〈ない〉→仕方〈ない〉
2惹かれ〈ない〉 →見境〈ない〉
これはどうも、機序G内実 が暗に措定されているのか、Gの永遠の喪失に際して、機序なき内実(永遠の評価無き内実)か内実なき機序(永遠の充実なき機序)の選択になるらしい。神が居れば、永遠の評価が永遠の充実を持つはずだったということである。
そうすると、(上では解説的に理解していたのに過ぎないから、より構成的に理解し)より語源に近づいて、
1満たされ〈ない〉→みも〈ない〉(みの〈ない〉)※:あるべきものがない
2惹かれ〈ない〉 →しが〈ない〉 :すべきことがない
sptt やまとことばじてん: <しがない>、<仕方(しかた)がない>の語源
「実のない」の類義語や言い換え | 意味のない・中身の薄いなど-Weblio類語辞典
実もない(みもない)の意味 - goo国語辞書
※この〈も〉は無背景の〈も〉の類型と解釈した。
一例(代表)を明示して「み」の他に同類の比較できる或いは比較すべき対象があることを伺わせるよりも、ここでは、(一方で強意を表現する〈も〉があるが、)弱意を以て、「み」の内うちで比べるニュアンスを醸すと理解する。
c.f. 夜も更けた(小学館『現代国語例解事典』助詞・助動詞解説P1591)。
或いは、田中ビネー知能検査V[10歳]文の完成。
また、「実もない」であり、「身もふたもない」(並列の〈も〉)と異なる。
👇で説明される「新しい意義」から(離れて)遡る。
「しょうがない」という日本語の裏にある潔さ | アルファポリス | 東洋経済オンライン | 社会をよくする経済ニュース
『永劫回帰』などから考え始めるからさっぱりわからない。
ニーチェの本質は脱キリスト教だけである。
なぜ、ニヒリズムが5種に類型化されるのかがよくわからないが、次々に「発見」されるところをみると、構成論理ではなく解説論理である。もとからあるものを後からうまく説明しようとする企図である。これから何かが構成されることではない。
どうも「フィヒテの〈し〉」は厄介だ。
自己と他者の関係を規定する社会秩序の与える行動規範である耽美主義を否定する
ニヒリズム
さて「耽美主義」と「ニヒリズム」である。ニヒリズムとは主体がする或る主義、或る主張ではない。一方耽美主義はその主義、主張である。つまり、主体が居る。
自己と他者の関係を規定する社会秩序の与える行動規範である「男」の言い分を
否定するモダリティ
ニュアンスの違いを感じる。
自己と他者の関係を規定する社会秩序の与える行動規範である「男」の言い分を
否定するモダリティを与える「私」
こうすると近づくが「与える」が2回も出てきて循環する。これを回避するにはまず評価を適当に与えればよいとロジシャンたちは言う。
自己と他者の関係を規定する社会秩序の与える行動規範と嘯く「男」の言い分を
否定するモダリティを与える私
ルターの〈の〉、フィヒテの〈し〉に並ぶフィリッパ・フットの〈と〉と言ってよいのではないだろうか。
吉本ばななは私に括弧を与えない。私は「男」の他者である。
フットはこの問題をライフワークとしており、すべての時期の著作で取り上げている。プラトンの対話篇に登場する非道徳家カリクレスやトラシュマコス、またニーチェを繰り返し論じる中でもこの問題が取り上げられることがある。
吉本ばなな〈が〉ニヒリズムなのではなく、吉本ばなな〈は〉ニヒリズムを与える存在だった。
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私の文章が下手すぎて弱ったことである。