(メモ)荻生徂徠の法実証主義

近世江戸期における経済思想と各商家の内部報告会計実践 千葉準一 .pdf

丸山はさておき。
【古文辞学と法】
ある規範の実践乃至反映としてあるのではなく、文と辞のそれ自体の規範からそれが成立する。赤穂事件で、徂徠が最初に、実定法の抵触に言及できたのは、徂徠の実証性による。「殿中での刃傷」の保護法益は「秩序」であって、現代の法では、傷害罪と銃刀法違反あたりが問われそうだが、ここから人権を差し引くと(なお、切捨御免 - Wikipedia。もちろん、人権保護も一つの秩序形成である。)競合関係になる。これがまた、法実証でない法解釈であると、同じ保護法益の「上位法」との対立になって、むしろ、免訴されるとしたのが、それまでの解釈である。徂徠の白眉は、「実定法こそ法である」として他規範を道徳として退けた点にある。それまでがなぜ、対立関係にあったかというと、(統一国家ではなく、徳川家が他家の筆頭である)幕藩体制にこそ原因があるのであって、このとき、徂徠以降の解釈で出てくる、「敵は吉良ではなく、幕府である」というのはおかしい。面目を潰したのは吉良だからであるし(敵討 - Wikipedia)、幕府が切腹を命じるのも、秩序維持が為だからである。秩序に従う赤穂の浪士が、幕府を敵討ちの相手とする道理はない。これが「法実証ではない」ということである。秩序維持が「最高規範」であるがゆえに、"主君"の"面目"を潰した相手を敵とし、幕府による主君への切腹の命令を受け入れるのである。つまり、「最高規範」のそれぞれの表現があるだけなのである(一方で敵討ちに、一方で切腹に。)から、矛盾しないのである。仮に敵討ちは喧嘩両成敗の補完として成立したと考えるなら、喧嘩両成敗が復讐の連鎖を断ち切ることを目的としたため、敵討ちも復讐のためにはできなかったと考えると自然である。なお、皮肉なことに吉良家がこの成立に関連した事実を残している(『なお、当時の「平衡感覚」と「相殺主義」に関する記録に残っている実例として、京の店に元結を取りに来た下女が品物ができてないので店主を罵倒したことから端を発して、最終的には侍軍団同士の洛中での衝突に発展して吉良家による調停で手打ちとした件があげられる。詳細は「喧嘩両成敗の誕生」参照』Wikipedia『喧嘩両成敗法』なお、赤字強調は、私)。面目を潰されたら面目を保つのが、復讐心ではなく、秩序感覚であり、平衡感覚である浅野内匠頭が処罰されるのも秩序であり、浪士が面目を保つのも秩序であり、同じ秩序であるがゆえに、浪士は実定法があるにも関わらずその「上位法」を以て免責されると考えられたのであるが、徂徠だけは違ったのである。
なお、以上は、浪士の秩序感覚をくみ取ったうえで、それを擁護する当時の学者の所説を批判したものであって、幕府は当初単なる(一方的な)刃傷沙汰(喧嘩ではない為、両成敗とならない)として理解していたようである。

荻生徂徠「政談」 (講談社学術文庫)

荻生徂徠「政談」 (講談社学術文庫)

 

この徂徠の始めた、形式の独立(1は1でしかなく、文章は名辞の「計算」であること)とそれに基づく実践倫理が、複式簿記の成立にどのような影響を与えたか。
そして、それが、明治期の戸籍と「家」の成立にどのような影響を与えたか。
 意義   理論       ドグマ         ジレンマ
形式の独立 法実証主義
統合的価値の定立 社会的構成主義  間主観性ホーリズム  危険負担
       〃


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