今日の算数

 

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を利用すると、

も解ける。面積比を利用して、台形の面積公式に帰着させるのだ(台形の面積が上底の長さと下底の長さの相加平均×高さのとき、三角形ならば、上底の長さ=0)。

これは計算(連立二次方程式)で解いたら意味がないのであって、制約がある中で、その制約を(逆に)利用して考えることが、「自由に考える」意味を持つことを学ぶ。

このとき、

 

 だって、計算で解いても正しいのに、おかしい。不公平

 

と言い出すと話がひっくり返る。
それは、相撲に脚力が必要と言って、ラグビー選手を連れて来て、それはいいとして、ラグビー選手の方が足が速い、と言っても意味がないんだ。
その脚力を相撲と言う競技にどう活かすかであって。

すなわち、合理的に考えるとき、(そもそも)合理的であることがすなわち制約的であるので、反対に或る制約を以て「合理的に考える」ことを達成しようという企図だ。

そして、これは訓練に係ることだ。
少なくとも、よく訓練されていることが推奨される。

  • 制約のある中で、制約を利用して考える
  • そのようによく訓練されている

これが近代モデルだと思う次第である。
学校は(永続的な事業である近代社会を担保する)社会成員の再生産を目的として、技術的には、学校教育が(模範的な社会性から構築した)部分社会の中でその近代性を身に付けるものではないかと思う。

本の学校教育に「自由がない」と言われるのは、

  1. 学校が、学校生活の中で、学校教育を最適化するようデザインされていること
  2. 学校生活の規範化が直接権威的に為されること
  3. 学校生活が社会生活からのシェルターの役割を果たすこと。長らく学校教育と家庭教育が対立的であったこと(学校教育に一元化されて理解されてきたこと)
  4. 社会の成員として広く共有できる一般的な能力の獲得に大きな意義を認めていること
  5. 家庭生活が(家庭教育の学校教育化を通じて)学校教育に浸食されやすいこと

フランスの学校に「自由がある」が、卒業式はない。「成人化」の機能を期待されていないからだと思うが、どうだろう。
本の学校はある意味で「欲張りすぎ」と言える。
所詮は英語も文学も本来はSTEAMも選択の内にあるのだ※。社会生活の基礎となる技術を学びつつ、キャリアデザインに沿って、自己選択の内により専門的な学びに進んでゆくしかないだろうと思う。
そして、今「社会生活の基礎」とは、「○○學」というよりむしろ、方法論的に獲得されてゆくのだろうと思う。

※結社主義を採るか、国家主義を採るかにプロットするとアメリカの教育のひとつの見方を得るかもしれない。オバマ民主党の大統領だったので、国家主義的に、STEAM教育を採用して、教育現場を変えた。
日本の場合、国粋主義国家主義の区別がしにくかった事情もあって(国粋主義国家主義のひとつであり、それゆえ、近代化主義のひとつである。主権の二元論を採るか、一元論を採るかとも関係が深い。国粋主義は一元論を採る。天皇機関説は二元論を採る。国際法と国内法の優位を考えた場合、現在の水準から見て、後者が優れているとも言えないのは、国際法優位説を採るならば、一元論と親和性が高いからである。これは実は方法論的な技術論であって、ホーリズムにならないことが枢要な、相対的な法の作用場の問題だったに過ぎない。二元相互がそれぞれを対象化する可能なダブルスタンダードだったのである。国内法に於いては、人権体系に拠って、国際法を対象化するにすぎず、国際法に於いては、主権体系に沿って、国内法を対象化するだけであり、可能な範囲で達成するのに過ぎない。国際法に寄れば国際法に沿って一元的な振る舞いを見せるし、国内法に寄れば国内法に依って一元的な振る舞いを見せる。しかし、構造的には二元論である―が互いに「繰り込んで」いる、いわば疑似的一元論、或いは、相対的一元論である。
要は、天皇機関説とは、「主権」の持つ二面性ゆえの、技術的に不可避な問題だったに過ぎない。技術的には戦後に解決したので、いずれが優れていたとは短絡ができない。むしろいつまでも前期近代主義乃至オカルト主義を採るのが異様である。その場合、為にする議論にしかならず不毛である)、リベラルを人権から語ることを好む傾向があるかもしれないが、基本的に、リベラルは権威的であると思う。

日本の国粋主義大日本主義と表裏一体なのは、新井白石のころから、「放埓(自由)」が、国際秩序を乱す懸念があったからである。この点で、大日本主義の元祖は(或いは中興の祖は)、明確に新井白石であり、やはり彼も統制的な傾向を比較すると持っていたと思う。だから、国粋主義は、反財閥(自由主義の帰結する身分差)であったり(正義に適う権威的な身分差は許容。適わない場合は、天皇であっても、拒絶。これは中央からはわかにくいが、国会と各種地方会の差を埋める意味がある。要は、中央の実力を超える権威を超越的に求める意義があったが、だから、最初は普選の反対ということとも平仄があっていたが、国会で地方振興策が進むにつれ、普選擁護に変わった。要は、天皇は、地方の考える素朴な「民主主義」の権威付けだったのであるし、実際、勅令によって、補完的だったのである。すなわち、地方にとって、ある時期までの天皇は国会のライバルであり、国会の疎外からの救済だったのであり、これは「一揆」の精神的伝統でもあった。要は、民主主義には実体的にいろいろなチャンネルがあったに過ぎない。軍もそれに含まれた)、反共であったり、反原子的個人主義であったり(個性、個人的能力は許容)、反近世思想(西欧の近世思想からの近代主義)であったりする。

君主制とは - コトバンク

残念ながら、権威の確立のないところに、民主主義は根付きません。
大切なのは、政治的に独占させないことです。
ですから、日本の天皇制は、うまくできていますよ。

貴方の(〈私〉の)気持ちは尊重されるべきでしょう。
気持ちですから。

 

序の最初にある。

この事件の重要な今日的意義は、日本が中国への朝貢体制か完全に離脱した点にあると思われる。

冊封体制」と区別できることがまずは大事だが、上の国際法秩序にも通じて、日本は別に中国の下と内心から思う必要がない。それはそれ、これはこれと、実体的に保障する物理制約があったのだ。これがわからないと、「白村江の戦い」で「びっくり」、「元寇」が「すごい」となる。そんなわけがない。元は大して強くない。「勝ち知らず」で「当たり前」である(これは国際関係を考えるうえで本質的なので、どれだけ強調しても強調しすぎることがない)。なぜか、日本人の戦争観と歴史学会は歪んでいる(戦争研究のないところに、残念ながら、歴史研究が完全には成立しないと考えた方がよさそうである。なぜなら、理由は至極簡単で、戦争ばっかりしていたからである)。

そのうえで、「朝貢体制から完全に離脱」したならば、どういう体制へ移行したかである。朝貢体制とは、想像する限りでは、国境線が長く防衛のコスト負担か恒常的に大きい中華帝国が、相対的に安価な手段で「平和」を買う手段であるが、このとき、これがバーゲンにかかるのは、対峙国の国内統治に文物が有益だからである。戦争外支配領域外の勢力とばかりではなく、支配領域内においても起こるとき、朝貢を通じて、双方統治が安定した方がお得なのである。もちろん、中華帝国だって、国力が充実してくれば、戦争に打って出て、直接支配する。これはただの便宜なのだ。そしてそれを双方が弁えている。列島が常に中華帝国に恐れおののいていたなどはただのファンタジーである。また、「国力差」なども同じくファンタジーである(「国力」という概念がない。もちろん、調達はあるので、兵数把握などの、取扱数量はあったが、それが「国力」として把握されていたかは不分明である。要は、歴史に当然に「ある」話で、曖昧模糊として技術的に確立していたわけではなかったということである。そもそも農繁期には戦争などできたかを考えてもわかる。「国力」概念の操作とはそういった社会条件を無視できる近代的技術なのだ。戦争がわからないと、数字だけ見て「びっくり」してしまうのであった。そんな「カタログスペック」などただの宣伝効果しかない)。なぜなら、圧倒的に、自然の力が大きく、どうしようもなく(近代以前は)技術が未熟だったからだ。「国力差」など取るに足らない問題だったのである。ただ統治はいつだって重要だった。
だから中華帝国による支配のコスト差が著しい、朝鮮半島と日本列島では、自ずと振る舞いが異なる。まったく異なる国情なのは、単純に物理的制約による。

そんなことはどうしようもない。