世界観の獲得

 

 

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誰かがが、いつまでビートやってんの?と聞いても、いつまでロックやってんの?とは聞かないでしょと言っていて、ひょっとしたら、『失礼だよゲイだからってすぐセックスの話を持ち出すのは』という『リバーズ・エッジ』の科白と呼応している※。

また一方、誰かはポップスとの関係にも触れて「世界を制した」と言うのは、ジャンルへの押し込めに対してである。

いすれにしても、これが(一方の「選択」ではなく)「広がり」と理解されることが鍵で、「広がり」を与える何かが、ポピュラリティーを獲得していると言っているのであった。 

 ※岡崎京子の天才性が敬意を持たれたのは、それがそれだけで済まなかったからだろう。作中でそう説いた彼は同性愛だけでなく、被虐への性的傾向も併せ持っているのだが(だから周囲から「虐められている」と見えることが彼にとっては性的な興奮を伴うモノであった※)、それだけで済まず、死姦を好むことはないにせよ、死体鑑賞がそれ以外でのほとんど唯一の娯楽(精神的快楽)であった。
それが彼への無理解が彼からの無理解と、暴力と同時に語られることで、暴力が暴力性へと昇華されつつ、誤解に次ぐ誤解を生んで「正解」を関係の彼方に追いやるのであった。ここにあるのは耽美主義の反対である。親友の吉本ばななは批判的であったらしい。

ルターの能動が強弱から問題視した怠惰をさらに延長したのがカミュの反抗であったが、それが〈悲劇的〉であるとして〈喜劇的〉にエラスムスの欺瞞に差し戻したのだ。
そこにフィリッパ・フットの言った〈厚さ〉という倫理感情の転換が見られる。すなわち、悲劇的/喜劇的とは〈的〉なことであって、それは〈厚さ〉の指標であったのだ。
その欺瞞をあらためて突いて対象化したのが岡崎で、だからともすれば〈悲劇的〉となるところ〈〈悲劇的〉〉と対象化されて、これはよく指摘されるが、主人公の「眠たい表情」となる。岡崎が文芸的と評される所以である。
これが見た目どおりにモラルを指向、つまり、消極的義務と積極的義務を配置して悲劇的な結果を当然に導く目的合理的な語りだったら、まさに教科書的であり、吉本ばななが言いたかったのもそれであろうが、そうではなく、かといって耽美主義を棹差すものでないのは、主人公の表情として表現されることから理解される。
吉ばななが志向していたのは、アンチ耽美主義であって、耽美主義の持つ美的判断の権力性をやり玉に挙げて、耽醜主義然として、耽美主義を〈厚さ〉の対象として掌中に収める主観(私)を称揚してのことであった。だから、私(主人公)は軽やかであるが、谷崎潤一郎の対象として持ち上げらるほどの軽さではない。シモーヌ・ヴェイユの「重力」と比較すると興味深い。「(残念ながら)世界の中心には女に狂った男がいないだけ」と言い得る私が「男」にとって他者であっても私にとっては紛れもなく私である。

ー「P」〈P〉P() を明確に区別した方がよいが、とりあえず進む

それをさらに対象化したのが岡崎であるが、それが煩く感じられないのが、画のもつ芸術性と言ったら、夏目漱石の『草枕』になってしまう。岡崎は「あはれ」も志向しない。それが美的判断のもとにあるからだ。

「常在戦場」で言いたがっているのは、戦争の悲劇ではなく、悲劇性である。悲劇的に現れる諸相の背後にある何かであって、言葉にならないことであった。それは美的判断のもとにある耽美主義から判断を差し引くことであって、まさに漫画のもつ描写力を駆使してのことであったから、〈耽〉の一字であって、諦念でもない。念などないからである。梵でもない。原理など提示も直観もされないからである
したがって、「文芸的」であるとは、岡崎への過小評価かもしれない(それでは生来の小説家である吉本ばななになってしまう)。むしろアート乃至画そのものである。

その後になって岡崎はむしろ文芸へと進路を採る。あまりに評価されなかったためであろうし、人気作家が本業であるから期待に応えたかったのであろう。物語を語り出すのであった。奇跡というのは一度きりだからあり得ないことなのかもしれない。 

 

※この見方は精神医学的にも注目される指標のようで、だからと言って、この登場人物がそういったことで判断されるかは知らない。 

 「成人を諦めて幼女を代替物としたようで、小児性愛死体性愛などの傾向は見られません」(第1次精神鑑定鑑定医 保崎秀夫 法廷証言)

東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件 - Wikipedia

赤字強調は引用者

 岡崎京子はこの事件とそれによる「語り」の騒動を気にしなかっただろうか?

三島由紀夫は、その芥川の自殺が、その後の谷崎文学に与えた「逆作用」の影響を指摘し、芥川の芸術家の敗北の死を目の当たりにした谷崎が、「持ち前のマゾヒストの自信を以て、『俺ならもつとずつとずつとうまく敗北して、さうして永生きしてやる』と呟いたにちがひない」として谷崎の文学変遷を論じ、谷崎がニヒリズムに陥ることなく、俗世への怒りや無力感にとらわれずに身を処して「おのれを救つた作家」だとしている

谷崎潤一郎 - Wikipedia

ニヒリズム」と指さされるのは誰だっただろう? 
それでも三島は死んだ。