プロの翻訳家も(一般読者の可読性を想定して、当然に)意訳してくるから逆に「英文読解」ということでは(部分的に)わかりにくくなっているかもしれない。

そもそも「プラグマティズムとは何か」を説明していて、これが「科学的方法論」であることが鍵なんだね※。つまり、「帰納的」で「未知である事実」が。それが「アメリカ」という新しい文化圏乃至文明圏の標準として鼎立されてゆく一連の流れがある。

「「アメリカ」とは何か」

があるんだね。

だからこそ、”so novel”なんだね。

 

※ただし、具体的には、「ソクラテス・メソッド」のことを指して、必ずしも自然科学の方法論ではない(がそれを排除しているわけでもない。すなわち、以下の文)。

 このプラグマティックな方法には全く何も目新しいものはない。ソクラテスはこの方法の達人であった。アリストテレスは方法的にこれを用いた。ロック、バークリーおよびヒュームはこの方法によって真理にたいし重要な寄与をなした。シャドワス・ホジソンは、実在とは「として知られ」ているものであるに過ぎないことを絶えず主張しつづけている。しかしながらこれらプラグマティズムの先駆者たちはこの方法を断片的に用いたに過ぎない。つまり彼らは前奏者たるに過ぎなかった。こんにちにいたるまでそれは一般化されることなく、普遍的な使命を有することの自覚も勝利の運命をになうべき自負ももたなかったのである。私はかかる運命の来ることを信じている、そしてこの私の信念を諸君の心にも植えつけて講演を終わりたいものだと思う。

W.ジェイムズ; 桝田 啓三郎. プラグマティズム (岩波文庫) (pp.48-49). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

なお、『序  以下の講義は一九〇六年十一月および十二月ボストンのロウエル学会において、また一九〇七年一月ニューヨークのコロンビア大学において講述されたものである。(略)一九〇七年四月 ハーヴァ―ド大学にて※』ということである。

原著

There is absolutely nothing new in the pragmatic method.
Socrates was an adept at it. Aristotle used it methodically. Locke, Berkeley and Hume made momentous contributions to truth by its means. Shadworth Hodgson keeps insisting that realities are only what they are 'known-as.' But these forerunners of pragmatism used it in fragments: they were preluders only. Not until in our time has it generalized itself, become conscious of a universal mission, pretended to a conquering destiny. I believe in that destiny, and I hope I may end by inspiring you with my belief.

AYM English. 一冊英単語 プラグマティズム / ウィリアム・ジェームズ: 名著で英語多読 (p.513). Kindle 版.

ソクラテス式問答法 - Wikipedia

ハーヴァード・ロー・スクールの方法論がかつて本流だったイェール・ロー・スクールの方法論と対比されることが、この文脈においても、鍵である。

なぜ、「旧い真理の演じた役割」(W.ジェイムズ; 桝田 啓三郎. プラグマティズム (岩波文庫) (p.58). 株式会社 岩波書店. Kindle 版. )なのか、についての回答となっている。それは「真理成長の課程」(〃)のことなのだ。


(PP.99-100,『ロジ・コミックス』)

 

 

斎藤隆夫がイェール大学に留学したのは、明治34年(1901年)9月のことであるから、ジェローム・ニュー・フランクが講義をする随分前のことであった。
それではどうかというと、

f:id:MarkovProperty:20220126191947j:plain19世紀アメリカにおける大学付属ロースクール―イェール・ロー・スクールを中心として—

「すべての法は judge-made Lawである」としてリアリズムの先鞭を付けたJ・ C・グレイの名がある(The nature and sources of the law, ( Beacon Paper back in 1963 ) Boston: Beacon Press,  John Chipmann Gray,1909 /法の権威性 大塚滋

 




また、「アメリカ」の「第一原理」に関しては
Cf.トマス・ジェファーソン

 

 

 


そうだね。テキスト論。

小学校5年生に夏目漱石の『こころ』を読ませるのが是か非かってあって、経験的にわからないからこそ、読解に関して、(或る意味、純粋に)文法から成る文の構造を理解する必要がでてくる、ということあったんだけれど、

受験生に対して、コロンビア大学で講演した当時にあって先端的な思想であるウィリアム・ジェームズの専門的な内容を(当然、知らないだろうから)読ませるって、似たような発想なのかね。

確かに、「黄リー教」の趣旨を満たす文章であるかな、とは思う。
外連味なく(品詞から)英文の構造を理解できているか。

そうなんだよ。だって、形容詞と副詞(節)なんだもの。難しく考える必要はない。
形容詞は名詞を修飾するし、副詞はこの場合においては形容詞を修飾する(辞書の説明では「相関する」)。

youtubeの別問題の解説の方もそうだったけれど、辞書繰った方がいいよ。
基本的な学習が済んだら。英語学の専門書を読むのでないなら、辞書が一番詳しいから。詳しすぎるから、本当の初心者が、「辞書で文法を勉強する」必要まではないと思うけれど、そこを抜けたらステップアップには今でもお誂え向きだと思うけれどね。

逆にアンチョコだけだと、アンチョコだけに探すのが大変になるかも(端折っているからね。どこに書いてあるんだよって)。最初から網羅的な辞書の強みがある。
学校の先生とそんな話ってしないのかね?

忙しいからね。


トップレベルの方たち(実際に合格して「極意」を敎える方へまわった方も。)が、辞書を繰らないって、ちょっとした驚きだったんだけれど。

えっ!?って。

参考書はよく読むんだよね。でも辞書読まない。いやわからないけれど。
辞書に書いてあるからね。読んでないんだと思う。

ひょととして、もしかして、今の若い方たちって、辞書を強制的に買わせられないの?
昔は、辞書も買わない奴は、勉強する資格なんかないくらいの、つまり、学校に何しに来ているんだくらいの権幕だったけれどね。
罵倒をされるんだよ。
何かすごく倫理的に過ちを犯したような。

たぶん、辞書って高価だったからだな。要は、ごり押しだね。
要は、「豆単」みたいな単語帳もあって、安く済ませようと思ったらできるからさ、でもそれじゃあダメだよって。要は、「豆単」なんて、そんなもん「勉強」のうちに入らないって。それはアンチョコであって、ってことなんだけれど、語彙を増やす必要はあるから、暗記用としてそれはそれで活用すればいいんじゃないかと思ったもんだね(「勉強用」と「暗記用(の便宜)」の違いね)。先生も、それならいいって。

そういう世界線が失われたんだね。
アンチョコ間で、その技術を競う感じかね?
そうでもないか。