「和魂洋才」の「魂」は仏性的自由であり、「才」は神の授ける自由である ㉖

やっぱり机が要る。小さなパソコン台ではノートがとられない。

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マルコフの紹介文を読んでいると、(文系の自分にはそう感じられる)強圧なワーディングに面食らう。

「ブール集合」って、論理学?
「モーメント」って、力学?
「スキーム」って、幾何学

という感じで、特に、スキームに関しては、アレクサンドル・グロタンディークだと、大分最近の話になるけれど。。。。
理論の理解は挫折するだけなので、とにかくワードのピッキングを『共立講座21世紀の数学27 確率微分方程式』(長井英生,共立出版株式会社,1999)から始めると、どうも、幾何ブラウン運動から、フィンテック金融工学、所謂デリバティブ)でほんの云年前になって一般的に知られたBlack-Scholes ブラックーショールズ式に進むらしいのだが、そのときに、基本的な理解として、差分方程式と微分法方程式の近似の仕方に「スキーム(陽的スキーム、陰的スキーム)」と謂うことが出て来るらしい。
(あくまで)直観的には、差分/微分は、No limited(非極限化)/limited(極限化)ではないかと想像するのだが、果たしてどうか、適当である。
差分方程式で取り扱わなければならない対象の取り扱いに関して微分方程式で近似するのが便利だが、それが数学として正しく「近似」とならなければ正味使い物にならず目的を達成しないのであるからして、その枠づけが「スキーム」と呼ばれる手順におけるルールらしい。オイラーが考え出したのか、オイラーが考えを深めたのか知らないが、その時代にはあった(数学史上、数学上の)イベントということで、古いのか、新しいのか、要は、「確率」は「応用数学」の範疇に閉じ込められてきた経緯があって、その体系的な理解が追い付いていないのだ。「純粋数学」からは、「触れる」程度の話だったようだ。「数学史」を執筆したフランス人のブルバギにしてどうか、「弁明」を述べたイギリス人のハーディにしてどうか。

どうも大正期の「科学革命」の時代に在って、ドイツ乃至アメリカの輝かしい成果に眩暈して、或いは、応用数学にしても、社会科学の勃興に目を奪われて、もう一方の、フランスからロシアにおける「確率論」の目覚ましい発展、特に、ロシアの数学の「リバイアサン(巨人)」に気が回らなかったようである。いよいよ「おそロシア」の時代が到来した。思っていたより早かったようである。

 

文系優位の官界にあって、永遠の異彩を放ったこの人が、本邦には居た。
高橋洋一に言わせると、25年に一人は「変わった人間」を入れる大蔵省出身らしい(いや、統計部門を抱えているでしょう。高橋さんは保険数理のプロである)。

※これは、おそらく池田隼人のときに謂われた惹句で、

『太陽』10万部~『主婦の友』74万部~「キング」100万部の「雑誌水滸伝」でも誰か説明してくれないものだろうか。

 

「雑誌王」野間 清治
          1878年明治11年)12月17日 - 1938年(昭和13年10月16日

鉄道王」初代根津 嘉一郎 
          1860年(万延元年)08月01日 -1940年 (昭和15年01月04日
「前田家」前田 利為
          1885年(明治18年)06月05日 - 1942年(昭和17年09月05日

 

前田利為は東条英機との確執が言われやすいところ、むしろ(隠れた)最大の雄藩「加賀藩」への仕置きの影響があったのではないかと思っていたが(歴史上なぜか無視されやすい。)、近代的な相続税の在り方の技術的な問題だったのかもしれない(財産権として「相続税」を理論的に位置づけるのは、意外に厄介だったりする)。

 

そうか、伊藤清さんは、1938年(昭和13年)大蔵省入省(銀行局配属)だから、津島壽一の時代かもしれない※。意外な共通点が。
※実際は、大蔵次官 - Wikipedia
賀屋 興宣:1937年(昭和12年)2月2日 - 1937年(昭和12年)6月5日
石渡荘太郎:1937年(昭和12年)6月5日 - 1939年(昭和14年)1月6日

山本五十六とガチで殴り合った武勇伝を誇り(時代のせいか、大蔵省も、体育協会と関係が深かったり、居合道など武道とも関係が深かったり、やたら運動会・体育会系だったりする。)、戦争を財政から支えたあの「伝説的」な賀屋興宣の後の石渡荘太郎の時代で、石渡荘太郎も癖が強くて※、内閣調査局(企画院。所謂日本の「CIA」)の方の人だから、内閣統計局(旧文部省数理統計研究所)の伊藤清さんとはどうも毛色が違う。
※中央省庁で「お洒落」と言えば、噂に聞こえた外務省であるが、石渡荘太郎もやたらオシャレである。

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ロシア(から見た)数学史の金字塔

ロシアはまだまだ謎が多いのか。

👇の後の歴史を見たいけれど、「おそロシア」の高い壁が。

そう考えると、あらためて、イギリスってすごいなって話で。
ドイツ、フランス、ロシアを向こうに回して、伍していたんだから。
イギリスって、学術的には、だいたい「田舎」で、時折傑出した成果を上げるらしく、そのせいか、覇権に関しても、実は、「全然」だった歴史がある※。
イベリア半島の先、地中海の向こう側も含めた、ネットワークの互恵性があって、「大陸諸国」が強みを発揮していたのではないか、と思う。「自由諸国」とは言うが、要は、ネットワークではないかと思う。
だから、「大挑戦時代」になって、海を通じたネットワークを構築するに及んで、国力が飛躍的に増大したのではないか。「自由」は「理念」よりも「実益」ではなかったか。

黄金の世紀(ビクトリア朝)に入って、急速に伸びたけれど、それにしても合理的なドイツ人の影響があったらしい(イギリス人は、根が田舎者なのか、バイキングとフランスに支配された怨念か、こういうのをすごく嫌うようだ)。