これはあくまで例示だろうけれど、
男の前で弱音を吐けない男問題の歴史というのも調べたら興味深いのかも知れない。
— おきさやか(Sayaka OKI) (@okisayaka) April 13, 2021
自らも訴追され隠遁中のコンドルセが、ジロンド派の知人達が処刑されたことを聞いた時、知らせを持ってきた男性を下がらせて、隠れ家の女主人の胸で泣いたというエピソードがその男性本人により伝えられている。
面白いね。
People don’t really get down on one knee for much these days, unless they’re tying their shoelaces. So why do we do it when we’re proposing marriage? It’s a tradition that dates back to the days of knighthood, chivalry and formal courtship (i.e. medieval times and beyond). Knights would get down on one knee in front of their lord as a display of respect, obedience, and loyalty. It was also a common occurrence in religious ceremonies, and in those days marriage and religion were intrinsically linked. So when a courteous gentlemen was proposing to his lady, pledging his allegiance to her and declaring his undying love for her, getting down on one knee was the natural thing to do.
尚、赤字強調は引用者
上のリンクで
「騎士、騎士道精神、そして正式な求愛行動」が根付いていた時代
なんて訳文を載せるから、そんな文献でもあるのかと思ったら。
興味が惹かれたのは、courtship(求愛)でこれ、裁判所と同じcourt。
古期フランス語 cort(宮廷)→
つまり、男の前で男が泣けないのか、貴族の礼節として人前では泣けないが、ひざを屈した人の前だけでは泣けたのか、これだけではよくわからない。
コンドルセはスペンサーほど有名でないかもしれないが、世界的に影響を与えた数学者以上の啓蒙家で、彼の著した は、物理学におけるニュートンに匹敵し、社会科学上の金字塔であったのではなかろうか。
日本の「国体」がドイツの公法学を受容するときの和学化(さながら、明治期以降に、明治以前の「小説」を日本の中に探すような営み。[『源氏物語』の「(再)発見」)から形成されていった一方で、スペンサーの影響下で「日本(社会)そのもの」の「進化」を言い募った日本の社会主義と対で近代社会 となったのだが、科学的合理主義による国家
法学や文学の時代から、政治学の時代を経て社会学や経済学の時代へ移行するときに、コンドルセの果たした役割は極めて大きい。
「国体」などとはドイツ公法学上のアイデアを「日本文学的」に受容しただけで、「国家主権」と並んでいかにもドイツ人の受け売りであるが(だから元来法学的論争の的たることであったが、法学的保守主義がやがて政治学的保守主義に覆い隠されたようなことともなった。政治学的にも敗北した現在は、「日本文学的」意味しかない)、
👇は👆の本の紹介文である
彼がサロンのふるまいに通じていたのは言うまでもない。
コンドルセの再評価が進んだらしいが、清少納言の再評価も進んでいた。
『真名書き散らし』の真意とは
「男の前で弱音を吐けない男問題の歴史」という視点がすごく面白いから、日本人の悪い癖である、ごっちゃにしたあとわけがわからなくなる癖だけは出さないように気を付けたらよいのではないかと思う。