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不思議な小説、というか、小説家で、なかなか考えがまとまらないけれど。
なんていうか、図式的なこと、話柄の常としての例えば「地方の因習」への傾倒を、方法的に排除していることで、或る小説たろうとしているのだろうと想像がつく。鈴木三重吉の「中央語」にあふれていると思う。
つまり、地方/中央の(文化的には換骨奪胎した)語法を通じて、仏教/(キリスト教)/科学、学者/雑誌記者、障碍者/健常者、資産家/貧窮する個人といった都市的な問題を浮かび上がらせるようになっている。忘れがちなのが、家/世帯が家族問題(婚姻問題、非嫡問題)を内包して、貧困問題として理解されることが当時の社会にあったということ(フランスならばルソー、日本ならば穂積)。
だから、「斬新」と言えば、すごく斬新で、斬新すぎてほとんど理解されていないくらいに斬新で、理解しているのが、西村賢太くらいだというのが、すごいよね。
西村さんてすごいよね。
元良 勇次郎 1858年(安政05年)11月01日 - 1912年(大正元年)12月13日
夏目 漱石 1867年(慶応03年)02月09日 - 1916年(大正05年)12月09日
徳田 秋声 1872年(明治04年)02月01日 - 1943年(昭和18年)11月18日
桐生 悠々 1873年(明治06年)05月20日 - 1941年(昭和16年)09月10日
泉 鏡花 1873年(明治06年)11月04日 - 1939年(昭和14年)09月07日
阿部 信行 1875年(明治08年)11月24日 - 1953年(昭和28年)09月07日
林 銑十郎 1876年(明治09年)02月23日 - 1943年(昭和18年)02月04日
上杉 慎吉 1878年(明治11年)08月18日 - 1929年(昭和4年)04月07日
鈴木 三重吉 1882年(明治15年)09月29日 - 1936年(昭和11年)06月27日
北 一輝 1883年(明治16年)04月03日 - 1937年(昭和12年)08月19日
前田 利為 1885年(明治18年)06月05日 - 1942年(昭和17年)09月05日
夢野 久作 1889年(明治22年)01月04日 - 1936年(昭和11年)03月11日
藤澤 清造 1889年(明治22年)10月28日 - 1932年(昭和07年)01月29日
渡部政盛 1889年(明治22年)生まれ 詳細不明
横光 利一 1898年(明治31年)03月17日 - 1947年(昭和22年)12月30日
辻 政信 1902年(明治35年)10月11日 - 1961年(昭和36年)
赤字強調は石川県関係者。前田利為は東京(当時、府)生まれ。
ラストの場面は、浄土宗の小地獄のうち叫喚地獄でいう閻魔羅遮曠野処(えんまらこうやしょ)(酒が原因の地獄)のようなイメージで、上野の鐘が鳴るのは、『良心と云う怖ろしい枷を課せられて』ということだろうと思う。
これをキリスト教に絡めるのが、やっぱり時代背景で、でもより重要なのは、『宮部』という心理学の先生との関係じゃないかな。
そうやって、考えてゆくと、藤澤が東大で実験心理学が始まったころに生まれたことに気づくわけだ。
最初の実験器具購入(験温器ほか)
特に注目されるのが、禅との関係で『顕心儀 (人の自我と、外界との関係の理解を助けるモデルの一種)(1909年)』
やはり、何かしら仏教は関係している。
清造は寡作で、単行本は「根津権現裏」だけしか残っていないが、2人の雑誌記者の酒と女と貧乏の陰惨な生活を描き、最後にその一人が先輩を裏切ったことを後悔して謝罪するが許されず、自殺するという異常心理を描いたもので、ドストエフスキーの外形模倣のあとが見られるが、やや冗漫であり、かつ平板である。(杉森久英)
赤字強調は引用者(以下、同じ)。
対話が『冗漫』だから『ドストエフスキーの外形模倣』という判断に繋がったのか、じつはまだ、読んでないのもあるし、ドストエフスキーに詳しくないのでなんとも言えないが、誤解ではないかと思う。
夢野久作を語るとき、ドストエフスキーが出て来るかな?
むしろ、
奇蹟の悪夢 五木寛之
夢野久作の世界は一場の悪夢である。彼はドストエフスキイと逆の方向から人間の想像力の極限をきわめた。
と云われているけれど。
五木がどういう人かと言うと、
1965年には、石川県選出の衆議院議員(のち金沢市長)岡良一の娘で、学生時代から交際していた岡玲子と結婚、夫人の親類の五木家に跡継ぎがなかったからか五木姓を名乗る。日本での仕事を片付けて、1965年にかねてから憧れの地であったソビエト連邦や北欧を妻とともに旅する。帰国後は精神科医をしていた妻の郷里金沢で、マスコミから距離を置いて生活、小説執筆に取りかかる。
あれ?むかし、「『機械』は4人称の小説」って書いたら、「文学理論を知っているのか」って腐されたような気がするけれど、やっぱりそうでしょ?
あれ以来、自信を失っていたけれど、自分の自信なんてあってないような、あってもないような、あっても意味がないような代物だけれど、とりあえず、、、まぁ、どちらでも構わないか。今、気付いた。気にして傷ついていたと思いこんでいたけれど、そうではなかったらしい。どちらでもよかった。
一人称の「私」以外の「四人称」の「私」の視点を用いて、新しく人物を動かし進める可能の世界を実現しようと試みた実験小説である[5][3]。
3 篠田一士「解説」(機械 2003, pp. 340–347)
5 横光利一「純粋小説論」(改造 1935年4月号)。愛の挨拶 1993
さぁ、自殺した岡田の「視線」を考えようかと思ったら、消してしまった。
気を取り直して。
一言でいえば、言葉を失って、視線が残った、ということがテーマなのかもしれない。
つまり、「中央語」の戦略とは、言葉を重ねることで見えて来る地方の意味合いが語尾変化に短絡することで「暖かい言葉」が「冷たい言葉」に変化する、というところまでが、鈴木三重吉の研究だったか。それは、言葉を重ねることがそうしてきたその地方の関係の在り方の模倣であって、その地方ではそうすることで都度何を護ってきたかの選択の繰り返し(の結果)に同意することを指示ーしたがって、排除を内包ーしていた。その排除性をなくしたときに起こることが近代的な何かを実践したのが鈴木三重ならば、「視線」だけが残ったと答えたのが、藤澤清造だろうか。
つまり、『冗漫』と評されたのは、藤澤の戦略であって、「暖かい言葉」を重ねていた地方の人間が「冷たい言葉」を重ねることがどういうことかを表現しているはずである。
そこにかつて見出せた意味合いはあるだろうか。
近代人はなぜ、視線に怯えるのか。
それは言葉を失ったからではなく、言葉の持っていた意味合いを失って、「こころ」を見透かされるようになったからだろうか。
言葉で排除を重ねることで関係を紡いできたことと、言葉で関係を紡げなくなった近代的個人の孤独が凍てつく視線に常に見られる恐怖となることの半対照(前者は描かれないが、論理的な前提としてある。)が描かれていると言えるだろうか。