『銭ゲバ』と『ねじ式』と水木しげる

【メモ】

3面の内の或いは外の各領域(の近傍)或いは各領域をまたがって1面足したときに、その1面が(ユークリッドの第5公準に従い評価上)交線を持つならば、交点を〈切断〉することで接続した(その1面を、)2面にして追加するとき、領域の〈切断〉が同時起こることを言いたいと思って、

積読中の上の本を実読し(、また、集合論を含む数学の体系→集合論を含まない論理学の体系→集合論を含む数学の体系とできる証明手順を勉強し)ようと思っていたが、進まない。このままだと忘れるのでメモを残しておく。
要は、N(ℛ,ℛ,ℛ)=3ℛ-2ℛ+1ℛが  N(ℛ,R3)=2ℛ-1ℛを含んで;ℛは点の数であり、点が構造を与えることを説明、ℛは共有する線の数で在り、線が様相を与えることを説明、ℛは共有する線で閉じた面の数であり、それらの効果を説明するのだが(イメージとしてはベン図であり、例えばN(A∪…)=N(A)…-N(∩)…+N(∩∩)、イメージとしてでしかなく)、この決定式に帰着するとして、ペアノによる自然数が例えば、

 {3×6ー2×7+2(=5)}→{{2×1ー1×0(=2)}{2×2-1×1(=3)}}

となるとき、それを〈切断〉されたと言いたいなどと思っていたのだが、『銭ゲバ』を読んでいたら進まないのでメモを残しておく。

P248~ 第10章 シンタクスの観点から論理学のゴールに迫る
10.1 公理系という発想

 

「切断」の概念により実数の厳密な基礎付けを試みた『連続性と無理数』、そして数学的論理のみから自然数論を展開した『数とは何かそして何であるべきか?』の、デデキントの業績を代表する2篇のモノグラフを収録

 

銭ゲバ

1冊200円台で、2冊で500円にもならなかったので、衝動的に購入。
本当は👇を読みたかったが。

 

ジョージ秋山 - Wikipedia
青木雄二 - Wikipedia
本宮ひろ志 - Wikipedia

ジョージ 秋山         1943年4月27日 - 2020年5月12日
青木 雄二                1945年6月9日  - 2003年9月5日
本宮 ひろ志             1947年6月25日 - 

銭ゲバ』はすごく変な漫画で、絵が下手なんだけれど、妙に説得力があって、これは感情に訴えかけるからではなく、おそらく渉猟的なアイデアを文脈化して無理なくまとめあげているからで、『なにわ金融道』の反対の漫画のような印象を受けた。
『なにわ金融道』は文脈化されない漫画の傑作で、偶々画面を切り取ってきたような構成が、『人間の証明』とか昭和の刑事ドラマの「撮り方」を思い出させる。意味的に回収されない様々な声にあふれている
BE-BOP-HIGHSCHOOL』になると、(今でいうマウントをとるために)虚実ないまぜにして文脈化させない掛け合いが醍醐味になっていて(その実の部分の枢要が暴力)、執筆動機が「反『男一匹ガキ大将』」であったらしい。

男一匹ガキ大将
 

週刊少年サンデー』(小学館)に1970年(昭和45年)13号から1971年(昭和46年)6号まで連載された。

銭ゲバ - Wikipedia

墓場鬼太郎(1960年 - 1964年、兎月書房 - 貸本漫画)
墓場の鬼太郎(1965年 - 1967年、週刊少年マガジン
鬼太郎夜話(1967年 - 1969年、月刊漫画ガロ)
ゲゲゲの鬼太郎(1967年 - 1969年、週刊少年マガジン

週刊少年マガジン』(講談社)に、1968年1月1日号(発売日は1967年12月15日)から1973年5月13日号にかけて連載された

あしたのジョー - Wikipedia

集英社の漫画雑誌『少年ジャンプ』(1969年より『週刊少年ジャンプ』に改名)にて1968年11号から1973年13号まで連載。

男一匹ガキ大将 - Wikipedia

『愛と誠』(あいとまこと)は、原作:梶原一騎・作画:ながやす巧による日本の漫画作品(劇画[注 1])。『週刊少年マガジン』(講談社)にて1973年3・4合併号から1976年39号まで連載された

愛と誠 - Wikipedia

人間の証明』(にんげんのしょうめい)は、森村誠一の長編推理小説、またそれを原作とした映画、テレビドラマ。1975年に『野性時代』(角川書店)で連載された。

人間の証明 - Wikipedia

 

りっぱだわ。メガネをかけていて青白くとも男らしい男だわ!

愛と誠 - Wikipedia

三島のことかな?と思ってしまう。

 

創作の意味が分からない初期の作品では垂れ流し的に描くから自身の内面が表れやすいが、何年も描いていると作品としての構成を考え、セリフひとつにも自覚して描いているため、自身の内面が出ることは少ない

ねじ式 - Wikipedia

銭ゲバ』に『ねじ式』の構成力に近いものを感じるのは自分だけだろうか?

白土三平作品が”唯物史観漫画として論議されたのに対し、つげ作品は「意識」「存在」「風景」「時間」といった言葉で盛んに論じられた[6]。

ねじ式-Wikipedia

つげ義春水木しげるの仕事を手伝っていたんだね。そのころの夢が原案で『ねじ式』ができる。銭ゲバはラストが「夢」だ。
ここいらあたりかもしれないなぁ。

つげ 義春(つげ よしはる、戸籍上は1937年(昭和12年)10月30日[1][2](実際は4月の生まれ[1]) - )
梶原 一騎(かじわら いっき、1936年〈昭和11年〉9月4日(正確な生年月日には疑義もある)- 1987年〈昭和62年〉1月21日)

白土三平は1932年う前だから、もう少し前だな。

つげ義春 - Wikipedia
梶原一騎 - Wikipedia
白土三平 - Wikipedia
水木しげる - Wikipedia

連載当時の流行語でもあった「断絶」を描いた作品(本作解説に書かれた原作者のコメントより)。

虹をよぶ拳 - Wikipedia

この原作者とは梶原一騎のことで、

つのだ じろう(本名:角田 次朗、1936年7月3日 - )

つのだじろう - Wikipedia

も同年代だったりする。空手漫画ということでは『空手バカ一代』に繋がるが、「断絶」への回答は『あしたのジョー』『愛と誠』に受け継がれてゆくか。

mangapedia.com

あしたのジョー』は金竜飛戦がひとつのクライマックスであると思われる。
ここで初めて、或いは唯一、『あしたのジョー』のロジックが語られたと思う。

力石の死後はずっと、回復の儀式をしていたわけだが、本当は、梶原一騎流の「断絶」の回避は、カネでなければ、破綻であったかもしれない。

ちば氏は、パンチドランカーになったジョーが日なたぼっこをしており、白木葉子が少し離れたベランダからじっと見ているというものだったと説明。「それもいい絵なんです。僕も別の絵で描いていますけど、マンガではラストシーンは変えました」と語った。

ちばてつや氏「ジョーの死は一切考えていない」 最終回秘話を明かす - サンスポ