夏目漱石および寺田寅彦は「漢詩の構成」という本来の意味で「起承転結」の語を用いているが、寺田は比喩としても使用しており、1931年の『連句雑俎』では四部構成を漢詩のみでなく「戯曲にも小説にも用いられる必然的な構成法」としている
(さて)
吾輩は猫である。
(但し)
名前はまだ無い。
(対して)
主人は毎日学校へ行く。人が来ると、教師が厭だ厭だという。
(ところで)
吾輩はその日その日を暮している。
(確かに)
名前はまだつけてくれないが、欲をいっても際限がないから生涯この教師の家で無名の猫で終るつもりだ。
「起」「承」「転」「結」のそれぞれの機能の定義が明確でなく、各部分に含まれるべき文が曖昧であることを、高松は問題視する[5]。
日本語教育が専門で千葉大学国際教育センター准教授の佐藤尚子らは、論理的な文章は論理の一貫性が必要であり、「転」の部分が論理の一貫性に反すると批判している
言語文化学会東北支部長 (当時) で論文指導者の横尾清志もまた、「転」の部分が論理的な展開から逸脱している点が論理的でないとする。
横尾は、起承転結は文学的な文章展開であり、論理性や客観的視点が無いため、論証や議論には適さないとしている。
ひどい云われようだね。
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君をはじめてみる折は
千代も経ぬべし姫小松
御前の池なる亀岡に
鶴こそむれゐてあそぶめれ
(さて)
私は姫子松である。
(対して)
貴方は君である。
(ところで)
私が君を見ることができたならば、千年生きられる。
(ところで)
千年といえば、君の御前に在る池が万年である。
(確かに)
千年生きる鶴は足し合わせれば万年の時を重ねるだろう。
(ところで)
私がその鶴である。
ここにあるのは、modus ponens である。
山田孝雄は、係助詞が陳述に影響を及ぼすとしている[4]。そこから、係り結びも活用形の拘束のみを指すのではなく、文全体に働くとする見方がある。これが「は・も」や現代語の係り結びという考え方につながる。ただし、活用形の拘束を表現形式とする係り結びの意味づけは現代語と切り離すべきとする立場もある[5]。