如何。また挫折しかけている。
「ただし」について。
これを読むと、一瞬「え?」と思うのであるけれども、
なるほどというね。
「ただ」とは、「正」であり「直」であり
それが「偶」(偶合)、「適」に通ずる。
「たまさか」と「たまたま」の違いを考えると、
「偶然」の「然」に着目すると、
そうすると、「ただ(し)」は構文上は「然」のニュアンスを伴って、機能上「偶(然)」の持つ希少性が「自(然)」でない様(との理解)を表現すると思う。
just 意味と語源 – 語源英和辞典
hoyu 意味と語源 – 語源英和辞典
Q18: justとはどんなイメージですか? justiceはどうして「正義」という意味になるのでしょうか? そのつながりを推理してみてください。 - ジャパンタイムズ出版 BOOKCLUB
justが実はヒトを「原基」とした「正しい(判断)」であることが含意されている。
だから、最初のエッセイのヒトの勘が鋭かったということ。
だから、「制限する」というよりもむしろ、「「制限する」ことを正しいと判断する」ことだったんだね。これは表現であるから「適当である旨を表示すること(の付加・負荷表現)」で、似たような言葉に、「適示」がある。
かいつまんで示すこと。又は摘出して示すこと(例、刑二三〇、民訴二五三②)。
「ただ」で済む場合は、「適示」でよいと思うけれど、ここで、「ただし」の「し」が強意(の副助詞)であるとき、「然」に近づき、「(示)唆」に近づくかもしれない。
すなわち、「ただ」の場合、前者も含み、「ただし」の場合、後者に限定される。
新語を作っても仕方がないので、穏当に、「適」でよいのではなかろうか。
ここで注意しなければならないのは、ここで問題にしている「ただし」というときの「適示」は、主体の「適示」する行為やその意図を目的とするのではなく(判断を介した)構文上の関係のみ示す。
(a)この店はうまいが、高い。
(b)この店はうまい。ただし、高い。
P17 2.1.2制限(A—制B)/2.1転換と制限/第2章逆接(『論理トレーニング』)
は
(a)この店はうまいが、高い。
(b)この店は高いが、うまい。
P15 2.1.1転換(A—転B)/2.1転換と制限/第2章逆接(『論理トレーニング』)
と
(1)この店は高いが、うまい。
(2)この店は安いが、うまい。
P16 2.1.2制限(A—制B)/2.1転換と制限/第2章逆接(『論理トレーニング』)
を踏まえている。
要は、制限の例(b)と転換の例(b)は構文的にはどちらも主張の中心は同じく「うまい」である。機能上は、「ただし、高い」も「高いが、」も「うまい」を修飾し、可能な言明となっているが、可能な選択肢(組み合わせ)から適示して十分説明している(しようとする企図な)のに対し、後者は評価を比較して対立することを説明している。前者は、制限(A—制B)は、適示(A—適B)だろうと思う。
なお、「ただし」のほかに「もっとも」が例にあげられている。
「もっとも」は「道理に適う」ことであるので、やはりこれでよいだろう。
これが「この店はうまい。しかし、高い」だと野矢の説明では転換(A—転B)であり、主張の中心は(多くの場合)「高い」に移る。
なぜ、これに拘るかというと、『〔①〕但し〔②〕、それに対して〔③〕』の構造がより明瞭になるからだ。すなわち、『〔①〕但し〔②〕』は一貫した内容を伝えている(ので、①と②には、同じ語彙が入る)。
② 平成05年度(1993年度)第08問
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を選択肢の長文を読まずに正しい答えを或る程度導けることの説明をするために、呻吟している。
野矢の説明は相当有効なのだが、どうにもクリアでない箇所があって、そこで迷うこととなる。
次に、対比構造の説明に移るのであるが、そこで簡単に「主題」と言ってしまうのであるが、彼の「根源的規約主義」はどうなっているのだろうと訝しく思えて来る。
例えば、今件では「学問の自由」と「教育を受ける権利」が対比されているのであるが、この問題に主題はあるだろうか。「学問の自由」と「教育を受ける権利」の対比を目的とした解説があるだけである。つまり、帰納的であり、2項目を並べて内容を精査したのちに、異同が発見されるようなことである。この場合に於いては「対して」はそのような事後評価であって、「異同」の視野を「異」に移してから指示する「一方で」と対置される。「同」の機能は、「対して」は(テキスト全体のうち)フォーカス上の含意に、「一方で」は(テキスト全体のうち)フォーカス外の条件として指示される。
このときフォーカスは対比軸で表現されるはずである。
すなわち、「学問の自由」と「教育を受ける権利」は対比されて「異同」が解説されるとき対比軸を持つ(がゆえに「異同」を持つ)こととなるが、それは潜在的なことである。しかし、それを主題と謂うと、内容が大きすぎる。それは背景であって、対比される内容は、あくまで対比軸が設定されることを通じて、その背景から反射される部分的なものに留まる。これを主題と謂ってしまうと、同義反復になって、無意味である。