揚げ足を取りたいわけはありませんが、実は、あったんです。
本多 真隆 (Masataka Honda) - 多義化する「家族制度」:1920年代における家族概念と情緒の配置 - 論文 - researchmap
1914年(大正03年) 07月 第1次世界大戦勃発、
08月 〃 参戦
1918年(大正07年) 09月 国勢調査施行令
11月 第1次世界大戦終結
1920年(大正09年) 10月 第1回国勢調査実施
1928年(昭和03年) 02月 第16回衆議院議員総選挙(男子普通選挙)
すなわち、上の議論は、おおむね第1回国勢調査から第16回衆議院議員総選挙の間に起こったことである。
さて、国立公文書館で「世帯」を検索すると
特に重要なのは、国勢調査令で、「寄宿」(概念)は、ここに拠る。
それ以外では「寄留」(概念)しか出てこない。
すなわち、「世帯」は、統計上(国勢調査)の必要から求められた、「戸籍」「住民登録」「家」「家族」とも異なる概念だったのだ。
国勢調査の前には、戸籍に関係して居所移動に関する届け出の類がその代わりとなっていた。
「イエ」のほかに「ウチ」もあったということだ。
国勢調査施行令第3條
・・・本令ニ於イテ世帯と稱スルハ住居及家計ヲ共ニスル者ヲ謂フ
一人ニシテ住居ヲ有シ家計ヲ立ツル者亦一世帯トス
家計ヲ共ニスルモ別ニ住居ヲ有スル者又ハ住居ヲ共ニスルモ別ニ家計ヲ立ツル者ハ一世帯トス其ノ一人ナル場合亦同シ・・・
基準日時に、居住実態を基にして、家族に拘らず(居住)生活を共にするならば、同一世帯だが、同一の住居地内であっても、別家計ならば、別世帯となったらしい。
特に、戸籍からの経緯から、移動実態を調査するものであったから、仕送り等で生活している居所を別にする家族は、別世帯になるらしい(たぶん)。
ただし、親切なのは、0時を基準にしたから、『偶屋外に在り』云々は帰るウチがあればカウントしなさいと指導している。ルビが面白い。上の『』内は『ちょうどそと(に)お(り)』であるし『世帯』が『ひとのすむうち』となっている。
👇国勢調査申告書(練習用紙)
『世帯主』は『戸主に限らず世帯を主宰する者を謂ふ』(氏名欄説明)
世帯に於ける地位
一 普通の世帯にては、世帯主は主人を書き入れ、其の他の者は世帯主との續柄又は關係を、妻、父、母、長男、雇人、来客等と書き入れること。
二 準世帯にては、準世帯の關係を、寄宿人、患者、宿泊人、船客、事務員、雇人、船長、船員等と書き入れること。
今でいう「見本」だろうけれど、何しろ昔は筆記用具も限られていて、虚偽申告は過料だったから、「練習しなさい」というよりも、「練習くらいさせろ」ってことだったんじゃないかと勝手に思っている。
そうなると、印刷技術とか紙の生産量とかどうだったか知らないけれど、結構親切だったなと思う。ルビからして親切だから。もはや外国映画の邦題か字幕のノリに近い。
ということは、この分類は、かなり生活実感、社会実態に近かったのではないかと思う。
明治前期の戸籍法制と社会移動の統計的把握/法政大学日本統計研究所
明治期の「旅行届」と「旅行証」の実態に関する基礎的研究/日本女子大学学術情報リポジトリ
戸籍届け出上の「寄留届」や「旅行届」、そのほかに、寄留法もあった。
この調査は、国勢調査で唯一の地方での集計、すなわち、地方分査で集計を行った調査です。
そのため、個々の属性による分類・区分が容易にできるように単記式個票(一人一人を1枚の調査票に記入する方式)を採用しました。