福田恒存は保守主義者か

 

明治からの日本のprogressive

〇radical conservativeに対する Historical jurisprudence

 元田 永孚に対する井上毅

〇Laissez-Faireに対するHistorical jurisprudence

 穂積

〇old liberalismに対するradical conservative

 

日本の「保守主義」はprogressive進歩主義;漸進主義)である。

 

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実は、自然法思想が「狂信的」と現代揶揄される状況から脱して社会制度の原理として受容されたことと、「人間観」の再考とが関係あるように思う。
それは大正デモクラシー期を彩る〈大衆言論人〉である渡部政盛に見られる通り、初期の近代化が一通り落ち着き、明治期の開明派乃至英米派が広めた自然権に飽き足らなくなってきたということであり、また、デモクラシーの制度的な拡充により、それを担う主体に関して、属性に依る差異を乗り越えるより普遍的な理解が求められたためだろうと思う。

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要は、どうもフランス学派並びにアメリカ学派、特にフランス学派が盛況だったようで、(渡部政盛もルソーを信奉するがアメリカの教育学にも目を配っている。)

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この中で、若干毛色が違うのが転学した先の帝大でドイツ法を学んだ三島であるが、もともとがフランスの影響の強い学習院の出身である。
白樺派』誕生とともに『鉢の木会』の面々も生まれてきたようなものである。
白樺派は軍人嫌いであったが、社会の方は、「軍人」から「兵隊」の時代に移っていたようだ。「兵隊」は「隊」に埋没した「兵」であって大衆の写し鑑となっていたのである。もっとも大正時代に軍隊勤務は不人気職業となっていたが、在郷軍人会と徴兵制の整備が、かつてのカール大帝の神聖ローマのように、「軍隊による民主主義」を実現していった。
都市と帝国大学が興れば国会が興り、殖産工業と女学校(看護学校、含む)が興れば女権運動が興り、地方開発と徴兵制が興れば普選が興る。社会参加に焦点を合わせて属性を短絡化してよいものか、悩ましい。

このような時代の人、田中耕太郎と菊池寛は2歳違いである。

田中耕太郎 - Wikipedia
菊池寛 - Wikipedia

「内村的信仰」と「白樺的芸術」― 『南欧芸術紀行』まで

https://www.jstage.jst.go.jp/article/nenpouseijigaku1953/26/0/26_0_208/_pdf

思想形成期の田中耕太郎

田中耕太郎「方法としての商的色彩」を読む

http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/law/lex/19-56/019murata.pdf

立命館法學 2019年 第5・6号 RitsumeikanHougaku 2019-56 387388 20200325