色彩論

民法学と商法学の分業は対象的のものではなく方法的のものであるとされたうえで,民法学と商法学の間に対象面での区別があるかは,存在するとも存在しないともいえるとされる。商法学を含む学問の成立は,新カント派的・リッケルト的方法を是認する場合には,その対象によるのではなく方法によるものとされ,スコラ的実在論を採用する場合には,方法が対象を創造するものではなく学問はその対象により成立するものとされる。

 

商的色彩論の系譜 : 商法とは何かの問い
村田 敏一
立命館法学 (387/388), 445-465, 2019

 前回、増淵は、荒川の「革新」的な方向性に対峙するために「保守」的な方法、すなわち旧制高校教養主義的なエリート主義を持ってきて「現代国語」の「読解」の途を開いたのではないかと考えた。

この時代に「革新」に対抗する「保守」的方向にはキリスト教保守主義もあって、田中耕太郎は商法の泰斗で戦後は教育にも関心を持ったが、実際、文部大臣も務めたらしい。新トマス主義者、、、と言われてもピンと来ないが、遠藤周作もそうだと言われれば、なんとなく「わかる」ということは、、、やはり別にない。 わからないものはわからない。

1946年(昭和21)第一次吉田内閣の文部大臣、勅選貴族院議員、参議院議員を経て、50年最高裁判所長官に就任、司法権の独立を強調して「裁判批判」を戒めた。また、国際司法裁判所判事としても活躍した。

田中耕太郎とは - コトバンク

 文部大臣として何をしたか。

最初、大日本帝国憲法改正議論の中で、新憲法に教育規定を盛り込むべきとの意見が出されたが、当時文部大臣であった田中耕太郎により憲法とは別に法律で定めることが提案された。

教育基本法 - Wikipedia

 一方で、

旧法の前文では、約1ヵ月後に施行される日本国憲法との関連が強く意識されており、日本国憲法に示された理想の実現が基本的に教育の力によると記載されている。 

教育基本法-Wikipedia

 『旧法』とは最近の改正以前の同法のことである。旧法の『第1条では教育の目的は人格の完成をめざすこと、第2条ではあらゆる機会あらゆる場所で教育の目的を達成することを述べている』ということだった。

この人は国家論も著していて👇は有名だが『二 法の概念と国家の概念』に紙幅が割かれている。 

 

 興味深いのはこの人で、

東京下町の江戸っ子らしく、ドイツ流の観念論を「借り物思想」として排し、個々人の「生活事実」を思考の立脚点とした。本来は庶民の生活維持のために作り出された国家の諸制度が、歴史の過程で自己目的化するさまを鋭く批判した。英国流のリベラルで国民主義的な言論活動を繰り広げ、職人および職人の世界を深く愛し、「日本および日本人」(日本の文化的伝統と国民性)の探究をライフワークとした。

長谷川如是閑 - Wikipedia

 東京法学員(中央大学)出身で、5大法律学校の時代だろうか(法律学校 (旧制) - Wikipedia)もとは東京帝大の英米学派の巻き返しの拠点であった。

松岡正剛がなんじゃら私にはよくわからんことを言うておるが、日本において緩やかに総覧的なのは別に珍しいわけでなく、むしろバートランド・ラッセルも加入したフェビアン協会のような印象を受けた。

1884年1月4日、フェビアン協会はロンドンで設立された。1883年にトーマス・デヴィッドソンがロンドンに新生活友愛会をつくり、詩人のエドワード・カーペンター、ジョン・デヴィッドソン、性科学者のヘイヴロック・エリス、エドワード・R・ピースら約9人がメンバーとなっており、この団体の支会として設立された。新生活友愛会は、清潔で単純化された生活の模範を示すことで、社会を変革しようとしていた。しかし、個人の精神生活に籠ろうとするグループと、社会改革に携わろうとするグループがあり、後者のメンバーがより政治的な団体を別に作ろうとした結果、フェビアン協会の創設が決定された。

フェビアン協会 - Wikipedia

 フェビアン協会

経済学が特に有名で、同分野における主要な大学ランキングで、英国を含む欧州全域で1位の評価を受けるとともに、関係者から13人のノーベル経済学賞受賞者を輩出するなど、世界最高の教育・研究機関の1つに数えられる。

ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス - Wikipedia

 に繋がってゆくというね。

ミルは、生産が自然の法則によって与えられるのに対して分配は社会が人為的に変更可能であることに着目し、政府の再分配機能によって、漸進的な社会改革を行なうことに期待している。その意味では「大きな政府」によるセーフティ・ネットの構築に、激化する階級対立の処方箋を見出したと言える。長い時間はかかったが、おおよそ英国社会はマルクスの激越な革命の予言ではなく、ミルの書いた穏健な処方箋の方向へ徐々に進んだともいえる。

後にフェビアン協会へと連なっていく英国の社会民主主義に、具体的な、正統派経済学からの理論的裏づけを与えた最初の経済学者の1人としても評価できる。

ジョン・スチュアート・ミル - Wikipedia

 ルソーの半世紀後のヒトの「(家族)生産効率論」はこうなる。

また、当時の英国に深刻な不安を投げかけていたマルサス人口論』以来の人口問題については、労働者階級の自発的な出生率の抑制による出生率の制御に期待する、という考え方(新マルサス主義)で臨んでいた。

 第二は、道徳的抑制が生活設計のために主張されながら、子供数を計画外においていることである。マルサスの場合、結婚後何人の子供が生まれるかはまったく天意であり、したがって結婚延期は人口の合理的抑制の根拠とはならない。J・S・ミルはこれを危険な偏見とし、確実な生計をみいださない以上は結婚しないと同じく、結婚後は自ら養育しうる以上の子供を生んではならないとした。

新マルサス主義とは - コトバンク

 ルソーは啓蒙主義者だったし、ミルは社会主義者だったんですよ?
「存在承認」などは、(ポストキリスト教社会である)近代社会のキリスト教社会への「対抗的言辞」としてしか出てこないはずであり、だから反対に、極めて宗教色が強い発想なのであった。

 

こうやって経緯を紐解くと、日本にひそかに根付いているキリスト教的性格がほのかに見えて来る。田中耕太朗はその理論形成を明示している奇特な人なので、読み進められたら幸いである。

 

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