① 昭和62年度(1987年度)第16問

 後記1から5までのうち、次の〔  〕に入る語句の順序として最も適当なものはどれか。

 「憲法が〔学問〕の自由を保障しているのは、国家が〔学問〕の分野に立ち入って、ある〔学説〕を奉じたり、主張したり、また、ある種の事項を研究したりすることを禁止又は制限することができないこと、つまり、国家が〔学問〕上の事項に干渉し、これに関して指揮命令することができないことを意味する。ところで、個人的な性質をもつ〔学者〕の研究に対する保障は、あたかも個人の〔信仰〕の自由の保障の場合のように制度化される場合において、その保障が一層完璧となる。」

  1. 信仰 宗教 宗教 宗教 宗教 思想
  2. 学問 思想 主義 思想 主義 職業
  3. 良心 良心 倫理 思想 良心 思想
  4. 信仰 良心 教義 信仰 信仰 職業
  5. 学問 学問 学説 学問 学者 信仰

P287 昭和62年度

『「制度化」されているのは政教分離という制度的保障がある信仰の自由である』(P288 解答解説)ことから。
[所感]
この問題のキーワードは2つ、すなわち『研究』『制度化』であるが、どちらも語彙を巡って探索的に追及する  が求められており、それは語彙が体系的に意味を付与された語の集まりであるとき、法が(法主体による)行為の評価であることに鑑み、特に述語に着目して、特異的な意味分岐を為す探索木(検索)と、
選択肢の分岐指示の不明な語彙群から、精神的自由権の分岐肢に属する  を   したら、法文上の語を引用した選択肢の語群と法文または法文の学術的解釈の語を引用乃至反映した(問題文中の「」で括られる)説明文の語群の組み合わせに特異的な語彙の分岐と  クロス集計する。
これは、  がどの程度組み合わされば意味合いの範囲を十分制限できるか、またその探索(アルゴリズム)を十分制御できるかの一般的な信念を反映して、法学上は、法的三段論法への一般的な信頼と同調的である。

 

② 平成5年度(1993年度)第8問

次のAからEまでの▭内に「学問の自由」と「教育を受ける権利」のいずれかの語句を補充した上、これらの文章を「〔①〕。ただ、〔②〕。これに対して、〔③〕。ところで、〔④〕。確かに、〔⑤〕」の順に並べると、まとまった論述となる。後記1から5までの記述のうち、誤っているものはどれか。

A ▭が、これらの自由権と別個独立に憲法により保障されたのは、過去の歴史において政治その他の権力による干渉の対象になりやすかったことに照らして、その主要な担い手である研究教育機関における研究者や教育者の自由な活動を確保する必要性があるという、沿革的な理由によるものである

B ▭は、下級教育機関については、その目的が真理の研究というよりは、むしろ児童生徒の心身の発達に応じて普通教育をなすことにあることや、児童生徒は必ずしも批判能力を備えていないことなど、大学における活動とその目的や機能上差異があるので、下級教育機関自治や教師の自由を含むものではないという見解もあるが、公権力によって特定の意見のみを強制されるべきではないという本質的な要請は同じであるから、ある程度の自治や教師の教育の自由を含んでいると考えるのが妥当であろう

C ▭は、国によって条件整備や機会保障が積極的に配慮されることによって、初めて充足される点において、生存権などとその性格は同じであり、国に対して合理的な教育制度を通じて適切な教育の場を提供するよう求める社会権の性格を有する

D ▭は、真理の研究のためには、権力からの干渉を排除し、自由な研究活動を保障することが不可欠であることから認められたもののであり、内容的には思想及び良心の自由、信教の自由、表現の自由などの自由と本来的に何ら異なるものではない

E ▭は、その内容を実質的に保障するために、高度な学術研究及び教育の場である大学がその本来的機能である研究教育活動を外部からの圧力を受けることなく自主的自立的に遂行することができるように、大学の自治という制度的な保障や大学における教授の自由を含むということができよう

  1. 〔①〕に入るべき文章中の▭には「学問の自由」が入る。
  2. 〔②〕に入るべき文章中の▭には「学問の自由」が入る。
  3. 〔③〕に入るべき文章中の▭には「教育を受ける権利」が入る。
  4. 〔④〕に入るべき文章中の▭には「学問の自由」が入る。
  5. 〔⑤〕に入るべき文章中の▭には「教育を受ける権利」が入る。

[所管]

これは野矢の論理図式から入るのがわかりやすい。
それぞれの接続詞は『』『』『』『』

①+②|

 

余談だが、野矢の『論理トレーニング』のP16『逆説の論理』で説明する例文の解釈はおそらく間違っている。

  1. この店は高いが、うまい
  2. この店は安いが、うまい

この2文について『どちらもいえるところが、面白いところである』と評価し、その概説的な説明部分に関してはおおむね同意できるが、

  1. A(それゆえCと考えられもするが)、しかしB(それゆえ非Cである)
  2. A(それゆえ非Bと予想されるかもしれないが)、しかしBである

と帰結するのが不自然である。おそらく野矢も扱いに困ったのであろうが※、これを『論理的』と『常識』的『連想』的とを区別するが、奇妙な話で、
※そもそも語の使用が不明であるのは、以下の通り。

    1. 高い(それゆえCと考えられもするが)、しかしうまい(それゆえ非Cである)
    2. 安い(それゆえ不味いと予想されるかもしれないが)、しかしうまいのである

と置き換えれば判然とするが、そもそもパラメータは2系統が独立して在るのが所与であり、それぞれに選考パラメータから返されるが、その関係を論じればよい(すなわち、パラメータは選考の理由となる対象を示すO:高い/安い、O:旨い/まずい、選好を示すV:快/不快の3系統ある)。
比例関係を、V1:V(О1)とV2:V(О2)が逆進的であると理解する。すなわち、

高い(不快)↔安い(快)、不味い(不快)↔旨い(快)

であるとき、逆進的であるとは、

高い(不快)→安い(快)、旨い(快)→不味い(不快)|高い→旨い、安い→不味い

を導く信念(この場合、取引感情)である。
このとき、

項目1は単純に比例関係を、支持、、していない。
項目2は単純に比例関係を指示、、している。

これを繋ぐと、

項目2は単純に比例関係を指示、、しているところ、単純に比例関係を、支持、、していない(その対立関係を表現している)。

項目1と項目2でそれぞれ修飾する〈が〉の参照構造が異なるのである。

  1. 「高いゆえに不快である」と「旨いゆえに快である」で示す選考の理由となる対象パラメータと選考パラメータの組み合わせが述語上(不快と快とで)対立位置にある
  2. 「安いならば不味い」と「高いならばうまい」で示す比例関係の主述がねじれ位置にある

と理解するのが、健全ではないかと思う。つまり、素朴な感情に反して論理的には、項目2は項目1を前提として、より高度なのだろうと思う。
これは論理が倫理的である説明となっている。素朴な取引感情を言語作用を通じて停止するのが倫理だからである(歴史的にはキリスト教の布教を通じて達成された。ヨブ記などが有名)。

 

③ 平成7年度(1995年度)第10問

④ 平成10年度(1998年度)第17問

⑤ 平成12年度(2000年度)第3問

⑥ 平成15年度(2003年度)第4問

⑦ 平成17年度(2005年度)第17問