幾何学精神(オルガノン)

新しい国語の教科書に夏目漱石の『夢十夜』が掲載されているらしい。

時間性と個体性 -ライプニッツ・フッサール・ホワイトヘッド- 田口 茂

当時の心理学の状況を知らずして、どう読むつもりなのだろう。

夏目漱石『文学論』の修辞学-Associationism(連合主義)を視座として-

これは人間の持つ直観を巡るハナシで、つまり、人間は「或る機械である」のか、文字が「機械となる」のかの争いである。
それは世界観を背負っている。

日本人が夏目漱石を半ば受け容れていないのは、おそらく仏教の影響である。
上の議論は(ピュタゴラスを踏まえて)プラトン主義か、アリストテレス主義かが根底にあるが、道具主義までは理解できても、それ以上は仏教になってしまう。
なにしろ日本では、中華思想で抽象化を学び、仏教で実証化を学んだ経験があまりに長かった。それ以外に想像の仕様がなかった。ところが日本人の自意識ではそれらから宇宙観というものを学んだことになっている。なかなか自覚しづらいのだ。

  0= { x | x ≠ x } , 1= {0} = { x | x = 0 }

と定義すれば良いのに、どうして・・・?という疑問が湧くのは当然である.しかし,こういう特殊な「数の具体例」を数の定義と認めることは,数が抽象的普遍的先験的実在であると信じる当時の人たちには,思いもよらないことであっただろう。

P185 5.10外延による定義,5 フレーゲ自然数
フレーゲデデキント・ペアノを読むー現代における自然数論の成立/足立恒雄

赤字強調は引用者

これは、心理学的論理主義を言っていると思う。つまり、フレーゲは、実証的な論理主義、すなわち、フレーゲの偉業が、「論理学を数学的にする」のではなく「数学を論理的にする」(すなわち、数学が直観的であることへの批判)にあったところ、〈判断〉を経てする数学の代わりに「判断」(内在的な〈判断〉を外部表現できる記号構成)を開示して展開する数学を企図したが、結果として同じく躓いたということである。

ブレンターノから学んだ記述心理学的な立場で基数概念の成立過程などを分析した『算術の哲学』

フッサールとは - コトバンク

1879年 フレーゲ     概念記法
1884年 フレーゲ     算術の基礎
1887年 フッサール    数の概念について—心理学的分析—
1888年 デデキント    数とは何か
1889年 ペアノ      算術の諸原理      
1891年 フッサール    算術の哲学―論理学的かつ心理学的研究—
1892年 フレーゲ     意義と意味について,概念と対象について
1894年 ペアノ      数学的論理学の記号法
1893年 フレーゲ     算術の基本法
1900年 フッサール    論理学研究
1902年 ラッセル     ラッセルのパラドックス
1910年 ラッセル     プリンキピア・マテマティカ
1929年 ホワイトヘッド  過程と実在

 

概念Fの基数とは「概念Fと同数である」という概念の外延である

(『基礎』,第72節)

便宜的に記述すると、♯F={ G|F ≈ G } を基数の定義としたらしい(ただし、『概念は集合の要素となるという意味での対象ではない』(足立,P185)ので {} を使用するのは厳密でないらしい。これはフレーゲの考える「外延」を現代の記法でなぞらえたものである。)

そうすると

 

  0= ♯Φ = { F|Φ ≈ F }
  Φは「自分と等しくない」という概念(Φ⒳⇔x≠x)

  1= ♯Ψ = { F|Ψ ≈ F } 
  Ψは「0と等しい」という概念(Ψ⒳⇔x=0)

 

(足立,P185)となるらしい。
それでも、フッサールは直観を捨てなかった。

フッサールがワイエルシュトラウスの弟子であることは侮れない。
フレーゲの批判を浴びたが、フレーゲでさえ直観主義の頸木を完全に脱していなかったのだ。

https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/126642/1/ItoReview.pdf