「和魂洋才」の「魂」は仏性的自由であり、「才」は神の授ける自由である ㉘

 

「試し読み」だが、面白い。
今東光藤澤清造評は、『性欲研究家』以外は、上杉慎吉評と言ってもよいくらいだ。
反対に、『性欲研究家』は心理学の影響だろう。

心理学の元良勇次郎教授の勧めで大学院に進学し、「変態心理学」を専攻します。

第1章 千里眼実験を読む|本の万華鏡 第13回 千里眼事件とその時代|国立国会図書館

赤字強調は引用者。
「出歯亀事件」の解明に努力した師匠、元良勇次郎がそうだったが、変態の研究は最先端の学問だったのだ。
それは文学的には、家族を挟んで、孤独のことであった。

ただし、性的な変態ばかりが対象ではない。

変態心理学とは - コトバンク

esdiscovery.jp


「2流」の人間を好きなのは、「2流」の人間は社会の影響で浮き沈みが激しいからです。

そういったことからは、藤澤という作家を通じて、まだまだ大正時代を理解する余地はあると思います。
或いは、ほとんど理解されていないでしょう。
このあいだのNHK大河の渋沢栄一にしても、(近世思想である)報徳思想に傾倒したわけですが、それが社会的にどのような意味を持っていたか、ほとんど知られていません。

つまり、近代史は「ほぼ手つかず」です。
そういった近代史の一人の「平凡な都会人」としては、大変興味深い存在ですよ。

藤澤の短編集を少し見ましたが、「余計な一語」が、鼻に付きます。
それが彼の人付き合いと相まって酷評の原因としたら、興味深いのは、それが「演説」に見えるからです。
古いハナシばかりで申し訳ありませんが、田中角栄で覚えていることは、「ま、その」という一言で在ったり、大平正芳の間投詞であったり、そういう「余計な一言」です。つまり、講演を開けば人気だった、上杉慎吉の影響が気になります。
それが「文学研究」じゃないと言えば、その程度ですが(そもそも私は研究者じゃありませんし)、文学が「文学のためにあるのか」(芸中のための芸術)ということです。

ただ、最近のことなのかは知りませんが、「大正生命主義」にも(若干)注目が集まっているようですし、その「時代」に生きて居たことは、間違いありません。

下の方の研究は、室生犀星の研究の一環でしょうが。

二瓶 浩明 (Hiroaki Nihei) - 室生犀星と藤沢清造 - 講演・口頭発表等 - researchmap


酷評されたのが、『女地獄』。西村賢太さんは、題名を付けるのが不思議なほど下手で作品の入り口で損をしている藤澤清造が、寸鉄人を殺す(刺す)惹句をようやく得て、喜んでいる。続く『母を殺す』への評者の酷薄な態度(無視)には残念がっている。

※「寸鉄人を殺す」など大げさかと思ったが、検索してみると、曽子とは - コトバンクのことらしく、ちょうどよいと思った。

何がどう下手なのかに興味が沸いて、実際の講評を目にしたいが、自分の目論見では「人気(講演会)講師」上杉慎吉との関連である(講演会としたのは、大学の講義の人気とはまた別のことであるためである)。

藤澤清造の文庫本を漁りに本屋へ行ったらついでに目についた。

ちょうどよかった。学習院での講演記録である。『大正三年(引用者注:1913年)十一月二十五日学習院輔仁 会において述』。輔仁会とは学校法人 学習院 | 学習院の概要 | 小事典

夏目漱石における『ソクラテスの弁明』というか、いろいろな意味で面白い。一言で言うと、夏目漱石は「芸術のための芸術」などは目指していなかった。『赤い鳥』を創刊する前の鈴木三重吉が、島崎藤村に興奮して「老驥千里を思う」かのように気勢を上げる夏目漱石に辟易として、無暗な進言にも距離を置くことを決めたことがあったが、その夏目漱石の顛末を見ることができる。

「近」で検索

かつて私にどうも近頃の生徒は自分の講義をよく聴かないで困る、どうも真面目が足りないで不都合だというような事を云われた事があり ます。

夏目 漱石. 私の個人主義 (p.6). 青空文庫. Kindle 版. 

近頃流行るベルグソンでもオイケンでもみんな向うの人がとやかくいうので日本人もその尻馬に乗って騒ぐのです。

夏目 漱石. 私の個人主義 (p.14). 青空文庫. Kindle 版. 

近頃自我とか自覚とか唱えていくら自分の勝手な真似をしても構わないという符徴に使うようですが、その中にははなはだ怪しいのがたくさんあります。

夏目 漱石. 私の個人主義 (p.24). 青空文庫. Kindle 版. 

そうしてこの三つのものは、あなたがたが将来において最も接近しやすいものであるから、あなたがたはどうしても人格のある立派な人間になっておか なくてはいけないだろうと思います。

夏目 漱石. 私の個人主義 (p.26). 青空文庫. Kindle 版. 

近頃女権拡張論者と云ったようなものがむやみに狼藉をするように新聞などに見えていますが、あれはまあ例外です。

夏目 漱石. 私の個人主義 (p.27). 青空文庫. Kindle 版. 

 

「科学」で検索

それを、普通の学者は単に文学と科学とを混同して、甲の国民に気に入るものはきっと乙の国民の賞讃を得るにきまっている、そうした必然性が含ま れていると誤認してかかる。そこが間違っていると云わなければならない。

夏目 漱石. 私の個人主義 (pp.15-16). 青空文庫. Kindle 版. 

一口 でいうと、自己本位という四字をようやく考えて、その自己本位を立証するために、科学的な研究やら哲学的の思索に耽り出したのであります。

夏目 漱石. 私の個人主義 (p.16). 青空文庫. Kindle 版. 

 

「念」で検索

この時私は始めて文学とはどんなものであるか、その概念を根本的に自力で作り上げるよりほかに、私を救う途はないのだと悟ったのです。

夏目 漱石. 私の個人主義 (p.14). 青空文庫. Kindle 版. 

私の 著わした文学論はその記念というよりもむしろ失敗の亡骸です。

夏目 漱石. 私の個人主義 (p.17). 青空文庫. Kindle 版. 

いやしくも公平の眼を具し正義の観念をもつ以上は、自分の幸福のために自分の個性を発展して行くと同時に、その自由を他にも与えなければすまん事 だと私は信じて疑わないのです。

夏目 漱石. 私の個人主義 (p.24). 青空文庫. Kindle 版. 

著作的事業としては、失敗に終りましたけれども、その時確かに握った自己が主で、他は賓であるという信念は、今日の私に非常の自信 と安心を与えてくれました。

夏目 漱石. 私の個人主義 (p.18). 青空文庫. Kindle 版. 

だから彼らの自由の背後にはきっと義務という観念が伴っています。

夏目 漱石. 私の個人主義 (p.27). 青空文庫. Kindle 版. 

一般の英国気質というものは、今お話しした通り義務の観念を離れない程度 において自由を愛しているようです。

夏目 漱石. 私の個人主義 (p.28). 青空文庫. Kindle 版. 

国が強く戦争の憂が少なく、そうして他から犯される憂がなければないほど、国家的観念は少なくなってしかるべき訳で、その空虚を充たすために個人主義が這入ってくるのは理の当然と申すよりほかに仕方がないのです。

夏目 漱石. 私の個人主義 (p.34). 青空文庫. Kindle 版. 

 

「自然」で検索
(省略)

 

勘違いされやすい講演であるが、一見すると国家主義のようでいて、そうではなく、(ソクラテス、アンセルムス、ホッブスゲーデルの)「二重規範」(の論理的伝統)に沿って時制を述べているようだ。
そしてこれは「芸術のための芸術」ではないので、だからこれは、「夏目漱石の弁明」と言ってよい。
つまり、夏目漱石は、「科学」ではなく「自然」を採ったのであるが、その「自然」は機械的世界観のことで、

アリストテレスはこれらの方法を科学的方法の本質だとみなしている。

ソクラテス式問答法 - Wikipedia

とまったく同じことを言っている。
夏目漱石の「文学」とは畢竟、そういうことであった

さて、見たかったのは、そこではない。
「講演(演説)」ゆえの文の運びである。もっと言えば、接続詞にしろ、副詞にしろ、或いは間投詞にしろ、その修飾句の選択である。
それを上杉慎吉の場合と比べ、藤澤清造がどちらに似ているか、似ていることがあったならであるが、見たかったのである。

この時分、夏目漱石も随分とたたかれたようで、愚痴っていて面白い。
文学者の言う「主義」とは、(芸能マスコミ的な)「ムーブメント」であったことがわかる。
この時代の文学は、心理学の遷移をベースとして、「変態寄り」か「論理寄り」か「仏教寄り」か「景教寄りか」か「マルクス寄りか」、、、、こういうアドホックな分類もあまり意味がないか。

ひとつ言えるのは、日本の「自然主義(文学)」は「変態主義」に過ぎなかったということである。つまり、極めて理解が偏っている。そこには「科学」がないので、ゾラではないし、「論理」がないので、  「政治」がないので、イプセンではない。
そういったものを毛嫌いしてか、排除した特殊な「個人(というより、私情)主義(心理学)」が残ったようである。

大菩薩峠』が面白いのは、仏教(禅)で、「ソクラテス的転倒」を成し遂げたように見えたからであったように思う。
仏教は、日本人に、唯一の「実証主義」を与えたように思う。