簿記はさておき。

小谷野さんの本が図書館にあるはずが誰か先に読んでいたらしい。

読みそびれて

 

The name of 'insane' is borne by the Sage and the name of 'unjust' is borne by the Just, if in their strivings after Virtue herself they go beyond what is sufficient. (HoraceのEpistlesより)

拙訳:賢者から「愚者」の名が、聖者から「悪」の名が生まれる。美徳も、求めすぎたれば。

古典:ホラティウスの詩の一節を教訓調に訳すには?| OKWAVE

 

フィッツジェラルドの章を読んでみた。

  1. 東部における西部の物語であること(西部と東部の軋轢が物語の前提)
  2. 色彩表現に特徴があること
  3. フィッツジェラルドの主張する「ダブルビジョン」の物語であること
  4. 失われた「楽園」の物語であること

が説明されていた。

ギャツビーのセリフからくみ取れるように、彼女たちの魅力は富と不可分の関係にある。フィッツジェラルドは彼自身が抱いていた富への憧憬を彼女たちに投影し、それと同時に、金と結びついた堕落に対して批判のまなざしをを注ぐ。フィッツジェラルドのダブルビジョンが遺憾なく発揮されるのは、まさしくこの点においてである。

P1,はじめに

高橋 美知子 (Michiko Takahashi) - 「ローズマリーの姉たち―フィッツジェラルドの短編に見るローズマリー・ホイトへの系譜」 - 論文 - researchmap

フィッツジェラルドは、相当の推敲を重ねたようで、アスペクト(態)も書き直したりしたらしい。

またvision(視力、視界)はラテン語のvidere(見る)の過去分詞形の語根に主格を表す語句がついてできた語で、未来を見通す先見性について使われます。ちなみに、videre(見る)は1人称で「私が見る」という意味で使われていました。

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これなどまさに、『グレートギャツビー』のラストのセリフである。
こういったことが、ワルラスの『フランシス・ソヴァール』から同様にくみ取れるかどうかである。

そうか。まぁ、そんなものか。
むしろ、英米文学の基本的骨格なのかのしれない。