そういえばミステリ音痴を自覚したので「ここはひとつミステリを正面からディスっている論も知りたい」と思ってこちらも読んだのですが。
— いつかみ聖書解説 (@LampMate) September 3, 2022
『このミステリーがひどい! (2015/小谷野 敦 )』
いや、なかなか助けられました。やっぱりこういう役割って必要だなと。https://t.co/hzqvBuFRUH
コロンボはイタリア系だったんだね。
いえリュテナンです
は1960年にテレビで初放映されたということで、アイルランド系の
が民主党の指名を受けた年だね。これくらいは常識的な話だったろうか。
ドイツ系のメンケンがなくなった4年後である。
HLメンケンの痛烈な社会批評がアメリカ文化をどのように形作ったか
有名な「モンキートライアル」
メンケンは進化論を信じた一方で、
ニーチェを率直に称賛したメンケンは、下級の男性が上官を支配するシステムであると信じていた代表民主主義を中傷していました
コロンボのああいった社会批判的なニュアンスのある言葉は、「ビバリーヒルズ・コップ」でやはり刑事役を演じたエディー・マーフィーに受け継がれたのではないかと思う。見たのはテレビの『金曜ロードショー』だったか、初めて見たときは、驚いた。
「それは俺が黒人だからか」と聞く。
それは、日本人どうしなら、「僻みっぽい」と反対にキツイ嫌味を言われたころだったと思う。
は
のポルトガル語での読み方らしい。
エディーの演じたアクセル・フォーリーとは
アイルランド系の性らしい。
芥川龍之介は論理的と言われているがそれは『羅生門』くらいの話であって、その「ギリシャ性」を消化したのが志賀直哉だったが、芥川は志賀を称賛しつつ、論理主義にますます傾いて、とうとう〈は〉文体から抜け出せないまま自殺した。
一方で、〈が〉文体を使いこなしたのが、横溝正史で、彼が探偵小説をものにしたのは、興味深い。
歴史的に見ても、「は」の後に「が」が現れたらしい。これは単純に、表現の幅が広がったと見てよいのではないかと思う。格助詞、副助詞と言い出すとよくわからなくなるのではないかと思う。むしろ、認知文法が好ましく感じる。
芥川はとうとう長編をものにできなかった。
『あしたのジョー』の原作者、梶原一騎に創作上のヒントを与えたか。