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La solitude est certainement une belle chose;
Mais il y a plaisir d'avoir quelqu'un qui sache répondre, 
à qui on puisse dire de temps en temps, que c'est une belle chose. 

孤独は、確かに美しいものだ。   
しかし、応答してくれる誰かを持つ喜びというものもある。    
孤独は美しいものだと、時々話しかけることができるような相手を。

『レッドアイズ』第7話のバルザック引用「孤独はすばらしいが・・人が必要だ」は、半ば間違い(フランス語出典付): テンメイのRUN&BIKE

誰の詩かというと、バルザックである。
バルザックには有名な人が2人居て、17世紀前半のフランス最大の作家バルザックと19世紀のフランスを代表する作家バルザックである。前者はデカルトと、後者はカントとの何かしらの繋がりが考えられる。

ジャン・ルイ・ゲ・ド・バルザックの『キリスト教徒ソクラテス』というのは、... - Yahoo!知恵袋

https://www.deepl.com/ja/translatorだと

バルザックは古典的散文の形成に不可欠な役割を果たした。当時の文化や文体の流れの中で、彼は宮廷と議会の博学なヒューマニズムの中間に位置する存在であった。ニコラ・ブルボンの弟子であるドレス王家の血を引く彼は、「宮廷の空気」と「学者の参考文献」を持っていた(彼はライデン大学と1621年から1622年にかけてのローマ滞在で学業を終えている)。オテル・ド・ランブイエの貴重な社交界だけでなく、ヨーロッパ中の学識ある人々に宛てたレター(1624年)では、キケロセネカ、教父といったラテンの修辞学の洗練をフランス語に適合させることに気を配っている。これらの手紙は、話題性のあるテーマと政治的、文学的、道徳的な問題の両方を扱っています。バルザックのレトリックの成功は、パネリックとハランゲ(称賛と熱弁)を組み合わせた斬新な手法によるもので、書簡というジャンルがあらゆる形式の雄弁を受け入れることが可能であることを示した。王子』(1631年)は、公共の利益のために完全に献身する理想的な君主を描いた作品である。権力は、その正当性と限界を神の意志の中に見出す。王子』の失敗後、バルザックは敬虔なヒューマニズムに近づき、デュピュイ兄弟のサークルに迎えられた。彼は決して思想より言葉を優先させなかった。それは、聖書の饒舌さを模倣して古代の道徳とキリスト教の宗教を調和させることを主張した『ソクラテス・クレティアン(引用者注:キリスト教ソクラテス』(1652年)にも示されている。バルザックは、「混乱と無秩序の時代」に、バランスのとれた雄弁と、しなやかさと構造性を併せ持つ言語の創始者であり、その起源は、古典的証拠に照らしてしばしば忘れ去られてきた。

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赤字は訂正

パネリックの定義と例
harangueの意味 - フランス語辞書 - Weblioフランス語辞典

久保田静香が詳しい。

ゲズ・ド・バルザックの『手紙』は宮廷やサロンに集う文芸アマチュアのオネットムたちの間で大成功を収めたが、学問的伝統を固守する学識者たちからは逆に激しい非難が浴びせられる。従来、「雄弁」ジャンルにふさわしいとされた哲学・政治・宗教に関わる「高尚な」主題を、日常的話題に限定すべきとされる「書簡」ジャンルにもちこみ、加えて、本来「卑俗」とされるこの書簡ジャンルにおいて、それにふさわしからぬ「崇高な文体」をあえて用いることの是非が問われたのである。

 

デカルトとレトリック,久保田 静香
KAKEN — 研究課題をさがす | 2005 年度 実績報告書 (KAKENHI-PROJECT-04J01623)

どうしたか。

人間個人に具わる「自然の理性」をもってすべてを再審に付し、古代ローマ黄金期のキケロの文体に倣いつつそれを凌駕することを目指しながら、母語である「フランス語」でもって「自己」を探究し「自己」を表現しきることに「真の雄弁」の原理を見出す。この大胆な雄弁理念を通じて、ラテン語を知らないフランスの一般人に専門知識が開かれることをもまた目指した。これはデカルトの「理性」にもとづく哲学改革に符合するものとして注目に値する

デカルトと言えば、もはや、久保田静香である。
https://cir.nii.ac.jp/all?q=%E4%B9%85%E4%BF%9D%E7%94%B0+%E9%9D%99%E9%A6%99

『孤独は鳴る』と言ったのは、誰だったか。
綿矢りさ蹴りたい背中』)
それはよいとして、対話文学を指向するなら、芥川龍之介はここを目指すべきだった。

さて、そもそもなぜ、バルザックを見る気になったかと言えば、

谷崎潤一郎バルザックを尊敬していたからである。

オノレ・ド・バルザック - Wikipedia

これを読んでいると、どうしても私がイメージするところの「デカルト」である。
キリスト教徒のデカルトは、「自然」を指向して、そこに社会も個人も、矛盾を湛えて重なり合っていることを言っていたように思える。社会も個人もその折々の表現だ。
近代的個人から語られやすいが、それは私の見るところカントであって、デカルトはもっと総合的だ。
そのカントが間接的に関わって来る。

「スヴェーデンボリの考え方はこの点において崇高である。霊界は特別な、実在的宇宙を構成しており、この実在的宇宙は感性界から区別されねばならない英知界である」(K・ ペーリツ編『カントの形而上学講義』から)

エマヌエル・スヴェーデンボリ - Wikipedia

『霊界は特別な』ことはないと考えたのがデカルトであり(デカルトは「人間は特別な」と考えた。言葉を持つからであるー動物機械論)、『霊界は特別な』と考えたのがカントである。人間や世界で考ええるとわかりにくいが、デカルトにとっての数学、カントにとっての数学を考えると、わかりやすい。カントのネオ・プラトニアンの面目躍如である。
問題はバルザックである。
バルザックはここでカントに批判される側のように感じる。
それはやはりデカルトの側である。或いは、ルソーである。

www.kosho.or.jp

ルソーよりバルザックへ - 国立国会図書館デジタルコレクション
太宰施門 - Wikipedia

さて、谷崎潤一郎である。
心理学上の変態から哲学的変態へ、哲学上の美学から心理学的美学へと、不思議な転回を成し遂げた谷崎であったが、「変態」は(「孤独」から)わかるにしても、「美学」はどうやってその着想を得たのだろうと思ったら、厠だったらしい(『陰翳礼賛』)。
『下人』も驚きの事実であった。
芥川龍之介じゃ、歯が立たなかったかもしれない。
ただ、それを、言葉の達人与謝野晶子が後押ししたのではないかと思う。
ただ、谷崎の達成については、むしろ、(方法論的には後期ヴィトゲンシュタインを参照しつつ)鈴木三重吉の「地方語」と比べられるべきだろう。


芥川も座談の名手と言われる。話の退屈しない面白い人だったらしい。
谷崎が「厠」なら、芥川は「痔」である。
気にしてお尻を触っていたら、手紙が臭かったという落ちだが、一方で、芥川はアフォリズムの名手とも言われる。そう言えば、村上春樹のエッセイは面白く、村上春樹の比喩は抜群である。

何が言いたいか。
小説の中にあるのは、機微ではなく、構成であるということである。
村上春樹は、短編から長編への移行を方法的に行った。
芥川はついに長編をものにできなかった。
芥川は痔を物語の中核に置けなかった。置いたのは面皰にきびである。
下痢を置けた谷崎には、芥川にはない、俗論心理学があったに違いない。
夏目漱石を尊敬してやまなかった芥川龍之介は、面皰にきび夏目漱石の場合は、天然痘の痕)と元良勇次郎の心理学に裏打ちされた、論理学+αの文学理論であったか。
低俗なことの受け入れは冷笑がせいぜいだった。ただ、彼の冷笑は、波多野が指摘する偽の副文と同様の、倒置であって、意外感をもたらして驚かすが、破綻でもなければ  でもない、ロジカルなものである(だから、芥川にとっての主題は、その論理が、古典的なものから、現代的なものへ移れたかどうかであり、また、数学的論理学とは違う意味で、ー要は、1階の述語論理より2階の述語論理方が説明能力が高いようにー十分説明能力を持ったかである。その説明能力の対象が当初は社会的事実であって、芥川の場合、法学的対象に親和的であったようだ。だから、『藪の中』で憑依:カウサ論も出て来るし、『蜘蛛の糸』もあれは仏教の体裁を装うが明らかにキリスト教の地獄か神道の天地の話である。ともあれ、内容の規範性から形式の規範性へ移ったようだ)。
※ただし、発生的には、2階述語論理の萌芽が先で、洗練させるために、1階述語論理が企図されたらしい。

誰もが誰かの影響を受けて、自らの方法を模索した。芥川は、反対に「二流」になれない人であった。それが彼の文学を狭めてしまったらしい。