西田幾多郎、純粋経験② 私的言語論

 

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私的言語論 - Wikipedia


1回性/規則性/対応性/同位律/矛盾/自己言及

言語を規則性から捉えずに、対応性から考える。
あるランダムな数列を2つ考える。
それが「数列」というオブジェクト(O)であるかぎり、同位律は保障される
すべての文字が異なる数列の場合、1回性が保障されることと同義なので、当初Oレベルでは詩的言語が保全されている。当初Sレベルのランダムな数列を対象化して、二回目Oレベルを考えた場合、同じ数を(ランダムなのでどの他者かの指定はできないが)原理的には他者と数字=意味を共有することになって、言語の私的性は背理される。
数列対数列の対応のみならず、各数列内の対応を考える。

ランダムな数列(O):1011010110111110101
ランダムな数列(S):adaadadaddadadadadd


赤字のaが「現在の私」であるとすると、私に与えられる数列{10110101101}には、言語の私的性が保全されている。「現在の」が(意味の)1回生を保全しているからである。つまりは一種の対角線論法なのだが、これを当初Sレベルとして対象化して、二回目Oレベルを考えても、1回生は保全されるので、詩的言語はこの限りで成立する。

つまり、これは、アナロジー(比喩)のことである。
「言葉」を対象とすると、規則性を対象化して自己言及する為、仮に矛盾であっても、矛盾とはランダムな数列の別名であるから、「矛盾」を(対象化して)自ら作り出せる」以上、上のように、誰かと数=意味を共有することが可能となってしまう、すなわち、言語の私的性は保全されなくなるが、
言語を対応性で考えた場合、1回生(再現不能性)をSにもOにも導入することで、自己言及しても、言語の私的性は保全されたママなのである。 

批評理論入門―『フランケンシュタイン』解剖講義 (中公新書)

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 アナロジーとは、ひとつには、経験との対応であり、経験は(実際には、社会に存する限り、共有されるのだが)原理的には1回生を持つので、その経験との対応のみを考える場合、言語の私的性はアナロジー(比喩)で成立することとなり、ひとつにはしたがって規則性の排除、言い換えると論理の飛躍なので、他者と共有されずに、言語の私的性は保全される。
※だから、文学では、表現上の比喩が成立する。ただ、実際に共有されることと、原理上共有されないことが可能であることは、両立する。

この場合におけるアナロジー(比喩)は純粋経験と同じか、それに近いだろうか。 

ウィトゲンシュタインのパラドックス―規則・私的言語・他人の心

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