文系学問には、沿革があるだけである。
その場合の「定義」はそれへの理解を共有することである。
「そのとき」「そういうことがあって」「そう理解された」ことを共有するだけである。
「保守」とはただの名である。
「正しい保守」について、薫陶を垂れようとしている時点で、そもそも理解がおかしいし、そもそも保守主義者ではない。
それは「下」であるのだろう、お前の(実在的な)「定義」では。
新潮45も、こんな感じに。執筆者がほとんどネトウヨ乞食ライター。。。以前はいい雑誌だったんですけどね。
— 適菜収。完全bot。(問題は右でも左でもなく下である) (@tekina_osamu) 2018年9月15日
読者としても、執筆者の一人としても残念です。
編集長の若杉さんには、直接その旨伝えましたが。。。 pic.twitter.com/ISGzX4hpcm
比較対象:アナキズム - Wikipedia
保守とは、知的ふるまいにある権威の抑圧に対する、それ自体に一種のアナキズム側面があり、したがって矛盾的な未定義語で、「家族的類似性」を持つだけである。
そう考えると、その内容の雑多さは、適当に保守的であるかもしれない。
markovproperty.hatenadiary.com
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