「正しい保守」などそもそも存在しない

文系学問には、沿革があるだけである。
その場合の「定義」はそれへの理解を共有することである。
「そのとき」「そういうことがあって」「そう理解された」ことを共有するだけである。
「保守」とはただの名である。
「正しい保守」について、薫陶を垂れようとしている時点で、そもそも理解がおかしいし、そもそも保守主義者ではない。
それは「下」であるのだろう、お前の(実在的な)「定義」では。

比較対象:アナキズム - Wikipedia

保守とは、知的ふるまいにある権威の抑圧に対する、それ自体に一種のアナキズム側面があり、したがって矛盾的な未定義語で、「家族的類似性」を持つだけである。
そう考えると、その内容の雑多さは、適当に保守的であるかもしれない。

 

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