否定と合流論証

👇すごく良い指摘をいくつも含んでいる。
ただ、『アンフェア』に関しては、unから始まる反対定義には着目した点は評価できるとは言え、その解釈には若干疑問に感じる。それは「勝手解釈」の問題ではなくて、明示されている倫理規範(play fair ,play to win)が実はあってその「努力義務」についての「法解釈」なんだよ、実は。

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これは論理の問題で、これを考えるときにわかりやすいのが野矢だろうと思う。

 

新版 論理トレーニング (哲学教科書シリーズ)

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論理トレーニング (哲学教科書シリーズ)

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 考えるべきことは、①否定(野矢では、新版Ⅲ演繹第7章否定)と②合流論証(野矢では、新版Ⅱ論証第6章価値評価)の2つ。

①の「否定」とは、野矢によると、「反対」を含んでより大きな意味を持つ。
自分はスポーツマンシップスポーツマンシップはフェアプレーの尊重を含んで多義的なのは、なぜか)から考え、一方で「八百長」を対置させて考えた(或いは、attitudeとbehaviorを分けて考えた)。
また、そのときに、信賞/必罰と称賛/非難のスペクトラムについて考えた。それは「努力義務」の、立法者とその義務負っている者双方の、行為評価のことである。

②の「合流論証」は、2つの前提がそれぞれ独立して或る帰結を導き、論証を補強する仕方を採る論証方法だ
特に、play fair ,play to winと別項目で挙げていることを"積極的に"評価するとするなら、これは合流論証を採っているのであって、ただ、「否定」で論じられるものではない。

これを「中間項の問題」として考えるなら、広い意味での政治問題であって※、その文化支配を考えるときに※、対抗文化に掉さすこととして、ブラジルのマリーシアとジンガについて考えた。

ちなみに、マラドーナリネカーは現役当時のライバルで、リネカーはそのフェアプレーで世界から称賛を受けたのだが、あの「マラドーナのワールドカップ」の「伝説の試合」で対戦し、皮肉なコントラストを見せた。

▼得点王 ガリー・リネカーイングランド)=6得点▼MVP ディエゴ・マラドーナ(アルゼンチン)

【W杯ヒストリー】第13回 86年メキシコ大会 - サッカー - SANSPO.COM(サンスポ)

 
※八幡さんは憲法9条を皮肉ったけれど、むしろ、「危険負担」とそれに掉さす文化支配を考えると、女性の人権の問題だよね。

※ひとつの共同体への義務を持つ、と考えたのは、キリスト教の司教で、それからクーベルタンはオリンピズムを構成し、また日本における近代スポーツの父が「勝負よりも全力を尽くす」ことを説いたのは、この共同体の義務のことだろう。これは騎士道精神にも見られる、キリスト教社会における、自由意志に対する考えと並ぶ、精神形成の伝統だろうと思う。
 

大人のための国語ゼミ

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