我々は本当に日本語を読めているのか【メモ】

あまりにしつこいのでなるべく厳密に考えてみる(途中)

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問題2系統ある
Ⅰ問題文の意味はどのようにあるか
Ⅱ問題文はどのように読まれるべきか

Ⅰ問題文の意味はどのようにあるかー意味の決定と矛盾

A『3国の童話をモチーフにしたアニメーション』
B『(ノルウェイと)フィンランドを舞台にしたアニメーション』
C『フィンランドに関するアニメーション(と言語を・・・選べ)』
ABC3文の関係はどうであるか。

そのとき
『3国/の/童話/を/モチーフ/に/した』とはどういうことか?
フィンランド/を/舞台/に/した』とはどういうことか?
フィンランド/に/関する』とはどういうことか
概念とニュアンスの幅による、文章の意味が問われる。
たとえば、

「と」と「に」はどう違う?|日本語・日本語教師|アルク
助詞の「に」と「と」の違い、知っていますか?|伝わる文章の書き方 文章の講師・山口拓朗
【日本語】「~になる」と「~となる」の使い分け

助詞 - Wikipedia

フィンランドを舞台とした/フィンランドを舞台にした、に違いはあるか

(他地方の地形とともに)フィンランドに実在するある地形も参考にアニメーションの舞台が描かれたとき、『フィンランドを舞台にした』と言うことを(或いは『ノルウェイを舞台にした』ということを)、どの程度受け入れられるか(《にする》は「参考」の意味あいを完全に排除できるか)。

togetter.com

ムーミン谷の参考になったのは、スウェーデンフィンランドらしい(本人談)が、ノルウェイの地形(フィヨルド - Wikipedia)らしきものも散見されるらしい。
係る架空の舞台には、フィヨルドのような地形が在る、というだけのことである。
また、ヴァイキング - Wikipediaの国と活動地域は?

さて、『3国の童話をモチーフにした』と言うとき、その3国と童話の内容に対応が認められるかといった内容に関する問題と、それが認められないとき、回答者にとってその事実はどのような意味を持つか、が問題となる。
要は、ヴァイキングを主人公としたフィンランドの、幼年者向け創作活劇があってもよく、それを童話にした場合「フィンランドの童話」と呼べるのであるが、このときフィンランドヴァイキングに(高校の)「世界史」の知識としての対応は認められないにも関わらず、回答者がそれを答える利益はあるだろうか。
そうして考えると、ヴァイキングのビッケがノルウェイの童話をモチーフにしている事実にかんする知識は、ヴァイキングそれ自体の知識と異なり、「世界史」の知識とは言えず、それに関係することを推測するほかないが、その確からしさの保証はひとえにビッケに関する事実に依存しており、ヴァイキングの知識があるからといってそれを以てビッケの画並びにタイトル名を見て当然にノルウェイを選ぶことを保証するものではなく、それぞれに独立した知識であるため、偶々の知識の有無如何に拠るところ、回答者にとって公平でないかもしれず、また、偶々の知識の獲得が反映されるような出題は、その目的から望ましくないかもしれない。
それが、(単に)『3国の童話がモチーフ』と言うのでは足りず、『フィンランドを舞台にした』とまで言い及んだ理由として考えられる。

Ⅱ問題文はどのように読まれるべきかー指示と仮想

問題文を一文ごとに書き出して、文と文の関係を見てみる。

①ヨシエさんは、3か国の街を散策して、言葉の違いに気づいた。
②そして、3か国の童話をモチーフにしたアニメーションが日本のテレビで放映されていたことを知り、
②'3か国の文化の共通性と言葉の違いを調べた。
③次の図5中のタとチはノルウェイフィンランドを舞台にしたアニメーション、AとBはノルウェイ語とフィンランド語のいずれかを示したものである。
フィンランドに関するアニメーションと言語との正しい組み合わせを、下の①~④のうちから一つ選べ。

キーワードは「いずれかを示した」、「正しい組み合わせ」である。
③で限定的、排他的な選択肢を(とりあえず受け入れるべきこと、すなわち)「正しいこと」として指示され、④でそれゆえの、選ばれるべき組み合わせを、指示に対して返す、こととなる。③で「そのようなこと」として受け入れるべきことを支持され、④でそれを受け入れた場合得られる解答を示すことと言い換えても良い。
この枠組みを受け入れた時、2つに限定されたもののうち、排他的な選択肢として選ばれるもの同士の組み合わせが(その限りで)「正しいこと」として決定される。
逆に言えば、回答者に与えられた述語(命令)は「選ぶ」(「選べ」)であり、その所以が構造上十分示されているはずであり、それは指示者において支持されていることのため、(指示者の得るべき利益として)指示者の為に指示者に返すべきことである。指示者において拒否できることではない。そのような拒否は反言として禁止されるはずである。
このとき、「ムーミンフィンランドを舞台としていない」「ビッケは必ずしもノルウェイを舞台としているとは限らない」は係る指示構造に内容を与えることができるか。
情報量を比較すると、前者は(ムーミン谷の)一値、後者は(フィンランドを含まないが、ノルウェイを含んで)複数値あり、選択肢の限定性の要請(フィンランドノルウェイに限定されたうちからいずれか一つを必ず選ばなければならない。)により、ノルウェイは決まり、排他性の要請(一方を選らんだとき、他方にその選択とは別の国を選ばなければならず、同じ国を選べない。)により、フィリピンは決まることが、(指示者の指示した構造から)指示者に支持されることとなる。言語の選択において同様であり、これらを総称して、合理性の要請と呼ぶ。つまり、”それが(結果として)正しくなるように”選択肢は選択される。

また、Ⅰに戻って、仮に、AとBが矛盾しているとして、指示者の要請上合理的に解答する(いずれか一方を選び、いずれか一方を排除する)とすれば、Aを選ぶ(ゆえにBを排除する)こととなる。

いずれにしても、解答のとおりである。

簡単に言うと、読解の論理構造が指示されているので、指示者の為にそれを受け入れ、指示通りに回答するだけのことである。

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色無しのマスは、回答者にとって、既知の事実(知識)
色付きのマスは、回答者にとって、未知の事実(知識)

まず、『小さなバイキング ビッケ』の舞台は未知であるが、「バイキング」よりノルウェイであることが推測され、実際の舞台も、ノルウェイを含んでいてそれを選んでも差し支えなく(スェーデンに対しては、ノルウェイ"も"舞台であり(並置)、フィンランドに対しては、ノルウェイ"が"舞台である(選別)。)、また『ムーミン』の舞台はムーミン谷であるが、排他的にフィンランドが選ばれるはずであり、矛盾する事実により合理的に解釈するならば、架空の町は排除されるはずである。

問題の趣旨は「舞台」(の、「世界史」とは無縁な、真なる知識)ではなく、「世界史」の知識を使って、理路整然と考えられるかどうかである。そういった要請の下に解かれなければならない。

このクイズで仮にプロブレムがあるとすれば、外部不利益であって、例えば、この出題を機会にムーミンに関して間違った知識をうっかり覚えてしまったりすることなので、間違いは間違いと認めて訂正し、或いは(ムーミンに)非礼を詫びてよいかと思う。


面倒くさいので、途中結果が同じになる場合には、端折っているかもしれないが(例えば、「ムーミンはフィリピンを舞台としていない」は「ムーミンは必ずしもフィリピンを舞台としていない」でもどちらでも同じ。また、前段(「また」以前)と後段(「また」以後)との間にも合理性の要請はかかるのであるから、前段が排除されても後段によって合理性は維持される※)。
大切なのは、合理性の要請で決まる、ということであって、それを満たす確からしい、最低限の情報量があればよいのであって、極論すれば、研究者の指摘する「真なる情報」はトリビアに過ぎず、(合理性の要請の前では)必要とまでされない。ムーミンムーミン谷を舞台としていて、ビッケがノルウェイを舞台としていなくても、合理性の要請上回答する分には、構わないのである。

※そういった意味で、上の、構造上「どのようにかしていずれかのみを選べる」問題は、「いずれをも選べる」がゆえに「いずれかを選ぶ」指示と矛盾する問題と異なる。

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