おそらく身体表現を大事にされている方なのだろうと思います。
小説における何かしらの意図を持っているのかな。
欄干の向こうに、川沿いの電柱から電柱へと吊るされた提灯が見え、晃が語っていた習わしを思い出し、足を止めた。河へ火を流すというのは、例えば灯篭流しのようなものだろうか――
送り火 高橋弘希
橋の先では電柱から電柱へと渡されたコードに下がる提灯が素知らぬ顔で時を待っているように見えた。ふと晃が教えてくれたここでの習わしを思い出して、欄干に手を掛けた。川に火を流すと云うのだが、テレビで観たどこかの地方の灯篭流しと同じだろうか。
助詞の意味をきちんと考え(て、接続関係を明確にし)、
重畳的な表現を改め、また、情景描写を客観的にするだけでも、
随分と違うと思う。
さらに小説では視点が大事になるようだが。そこまで行っておらず、言葉を尽くすことが満足にできていないように思う。
「的確な描写」と云うが、すべてをさらけ出す必要はなくて、対応を明らかにするだけで十分だろうと思う。