なぜ、「上皇」という言葉を、"国"は使うべきでないか

(答え)
天皇制は身分制ではないから。

と言っても、「天皇」と「上皇」の上下関係のことを言うのではない。
 あくまで日本国憲法から導かれる帰結で、日本国憲法上、陛下は「天皇」として「国民」から除外され、「国民」の象徴(シンボル)として規定されているが、これは「国民」が陛下を直接拘束しているのではなく、「国民」が「国民」自身の自己規定を置いているに過ぎない(「天皇」を象徴として敬う集合的存在、即ち実在として「国民」は「国民」を規定しているー「天皇」自身とは無関係に)。陛下は陛下で自己規定を行えるのであって、自身を歴史的な存在とみなすことは自由であるが、それは憲法に定める「国民」自身の自己規定と同じとは限らない。
 また、一方で「国民」には「国民」自身の自己規定と同時(或いは、観念的に、「直前」)に人権が存することに成るが、そうであるがゆえに、「国民」自身の人権規範に損なうことを憲法上規定できない(無内容と成る)ため、「国民」が「天皇」と相対するときには同じ人権の享有主体として相対することになり(逆に言うと、「相対する」の語義から、「天皇」という実在を、人権享有主体と認めざるを得ない。)、その限りで「天皇」の人権を擁護することになる(日本国憲法上、「天皇」は人権の享有主体であるにもかかわらず、間接的にしか人権が実現されない理由であるー国或いは「国民」と対等の、1個の(集合的)存在、即ち「天皇」という実在なのである)。したがって、「天皇」自身の自己規定も(謂わば、相互主義的に)認めざるを得ないのであり、そうであるがゆえに、「天皇」と「国民」は信頼でのみ結ばれる関係と言える。即ち、日本国憲法の規定からは、互いの自己規定の表出上の接点で、相対するほかないのである
※こういった関係は、国と国の関係を考えると、わかりやすい。最近では所謂「従軍慰安婦」を巡って、韓国と齟齬をきたしたばかりである。それを責めたところで、そういった齟齬は可能なのである。一方、陛下と国民は、十分な信頼に基づいて良好な関係を築いていると言える。
 こうして考えた時に、陛下がどれほど希望されようとも、"国は"、憲法の矩を超えることができない為、「天皇」とそれに準ずる事実上の存在として認められる皇族以外としては、認められないのである。 


 したがって、退位された後は、"国としては"、(「天皇」ではない皇族として)宮様とお呼びすることが、日本国憲法上は正しいと考えます。日本国憲法上の「天皇」は新しく創設された(「国民」の)制度であって、歴史や文化とは、直接の関係はありません。歴史や文化は「国民」の判断に資する参考事例であって、従うべき規範ではありません。

こういったことが衒学的であり有益でないと考えるのは間違いです。
原初社会でもない限り、観念的操作は、社会に必須だからです。

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言っておくけれど、個人的に尊敬するのは、自由なんだよ。
俺は朱子学なんてどうでもよいが、「長幼の序」という、そういった価値観もあるので。 


日本語は難しい。 となる、になる、の違い。