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これ面白い
自然言語処理のいい例文。
— Zelch (@zzzelch) 2019年11月11日
サメといってるが、サメではなく、そのぬいぐるみを意味している。 https://t.co/zyvcGGm2pP
これを、「中国式」に詞中心に考えてみると。
イケア カレ ヌイグルミ サメ
となるだろうか。
これをシチェーション化(右結合)すると
[イケア[カレ[ヌイグルミ[サメ]]]]
となって、この場合、サメはヌイグルミの内部にあるから、間違わない。
例えば、
シーライフはじめての彼女に「ぬいぐるみには気を付けろよ」って言ったらテメーじゃねえよって鼻で笑われたけど、5分後にはサメ持ってた
この場合、どう理解するだろう?
[シーライフ[カノジョ[ヌイグルミ[サメ]]]]
[シーライフ[カノジョ[サメ]][ヌイグルミ]]
このとき、[A[B[C]]]は[A[B]]かつ[B[C]]ゆえに[A[C]](推移律)
[イケア[サメ]]が[イケア[ぬいぐるみ[サメ]]]であるがゆえに意味づけられるのに対し、
[シーライフ[サメ]]はそれだけで意味づけられる。
トリッキーなのが「けど」で、必ずしも逆接を指示しない。
ここで言いたいのは、自然言語が自然に理解できる理由は、おそらく明確に「ある」ということだ。
☞意味論と統語論
「美しい水車小屋の少女」と"Colorless green ideas sleep furiously"
構文解析 - Wikipedia
Colorless green ideas sleep furiously - Wikipedia
激しかった雨が降った
F [激しかった(雨が)[降った]]=[激しく降った(雨が)[降った]] 重畳的
T [激しい(雨が)降った]
T [降った(雨が)[激しかった]]=[降った(雨が)[激しく降った]]
[降り方が激しかった]
激しかった~激しく+あり(降り)+たる
ex.車が赤い車だったのは、偶然ではない
(許される繰り返し表現)
降った雨が激しかったので、
降った雨が激しい雨だったので、
降り方が激しいものだったので、
降った雨が激しく降ったので、
激しかった雨が止んだ
T [激しかった(雨が)[止んだ]]=[激しく降った(雨が)[止んだ]]
もちろん、日本語は「辞中心」の言語である。英語が語順自由であることから、語尾変化と語順制限を加えながら発展したように、発展的な形態と見ることができたら。
人間には「感情」と「理性」があると言われるが、「速い規則」と「遅い規則」の二重規範であってもよいのである。どこかに統一的な規則があると思う必要はない。
「シチュエーション化」(詞の重ね合わせ)と「形式化」(辞による操作)の二つがあってもよい。