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これ面白い

これを、「中国式」に詞中心に考えてみると。

 イケア カレ ヌイグルミ サメ

となるだろうか。
これをシチェーション化(右結合)すると
[イケア[カレ[ヌイグルミ[サメ]]]]
となって、この場合、サメはヌイグルミの内部にあるから、間違わない。

例えば、

 シーライフはじめての彼女に「ぬいぐるみには気を付けろよ」って言ったらテメーじゃねえよって鼻で笑われたけど、5分後にはサメ持ってた

この場合、どう理解するだろう?
[シーライフ[カノジョ[ヌイグルミ[サメ]]]]
[シーライフ[カノジョ[サメ]][ヌイグルミ]]
このとき、[A[B[C]]]は[A[B]]かつ[B[C]]ゆえに[A[C]](推移律)
[イケア[サメ]]が[イケア[ぬいぐるみ[サメ]]]であるがゆえに意味づけられるのに対し、
[シーライフ[サメ]]はそれだけで意味づけられる。
トリッキーなのが「けど」で、必ずしも逆接を指示しない。
ここで言いたいのは、自然言語が自然に理解できる理由は、おそらく明確に「ある」ということだ。
☞意味論と統語論
「美しい水車小屋の少女」と"Colorless green ideas sleep furiously" 
構文解析 - Wikipedia
Colorless green ideas sleep furiously - Wikipedia

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激しかった雨が降った
F [激しかった(雨が)[降った]]=[激しく降った(雨が)[降った]] 重畳的
T [激しい(雨が)降った] 
T [降った(雨が)[激しかった]]=[降った(雨が)[激しく降った]]
   [降り方が激しかった]

激しかった~激しく+あり(降り)+たる

ex.車が赤い車だったのは、偶然ではない
  (許される繰り返し表現)
  降った雨が激しかったので、
  降った雨が激しい雨だったので、
     降り方が激しいものだったので、
  降った雨が激しく降ったので、

激しかった雨が止んだ
T [激しかった(雨が)[止んだ]]=[激しく降った(雨が)[止んだ]]

もちろん、日本語は「辞中心」の言語である。英語が語順自由であることから、語尾変化と語順制限を加えながら発展したように、発展的な形態と見ることができたら。
人間には「感情」と「理性」があると言われるが、「速い規則」と「遅い規則」の二重規範であってもよいのである。どこかに統一的な規則があると思う必要はない。
「シチュエーション化」(詞の重ね合わせ)と「形式化」(辞による操作)の二つがあってもよい。